第16話 隣国の殿下、国王の意思・1

「さて、そろそろ本日の本題に移ってもよろしいでしょうか」

 その一言でやや和やかとも言えた広間の空気に一気に緊張が走った。


 豪奢な装飾品がそこかしこに設えられたこの部屋は、重要な客人を迎える時にしか解放されない。お父様とお母さま、外務大臣に加えてブルーノお兄様が、広い入口と相対するように列をなして長いテーブルの席についている。その一番端に、今私は申し訳程度に加わっていた。


「と、いうと事前に通告を受けていた例の農耕技術の件ですかな」

 対する客人は四人。ここアイブライト王朝の南西に位置する隣国、つまりはオレガノ王国の、外務官重役である二人の初老の男性に加えて、一人の妖艶な雰囲気を纏う壮年の女性、そして、とりわけ人目を惹く長身の若い男である。長らくの間、至極微妙な軍事と経済のバランスの上に表面上は友好的な関係を築いている両国は、定期的に使者を相手国に送り合いながら、必要があれば今回のように重役同士が顔を合わせて会合を開く。


「ええ。昨今の、この大陸北方全域に渡る大規模な干ばつに伴い、我が国の農業はここ二年間非常に厳しい状態が続いています。もともとこれほど干ばつが続くような地域ではなく、我々はこのような状況における農業のノウハウを持ち合わせておりません。備蓄していた食料も間もなく底を尽きようかといったところ」

 事前にお父様に会の司会進行チェアマンを任されていたお兄様の言葉に、初老の男性のうちの一人が答えた。


「状況はお察しします。我々とて、ここまで長期間の水不足は経験したことがありません。辛うじて今は持っているとは言え、予断を許さない状況」

 隣国とは言え国境を山脈に隔てられたアイブライト王朝とオレガノ王国は基本的な気候に大きな違いがあった。北方に広がる海から常に湿潤な風が舞い込み定期的な雨をアイブライトと、山脈から吹き降ろす乾燥した風は雲を作らず、頻繁に干ばつが発生してきたオレガノ。水不足に対して強いのがどちらの農耕技術なのかは明らかである。


「貴国の事情が厳しいことも重々承知している。承知したうえで、あえて単刀直入に聞こう。貴国が三年前に開発したという、特殊な小麦の苗。少量の水でも非常によく育つと聞く。その新種の苗の提供とあわせ、その他干ばつ時における農耕のノウハウを我々に提供することは可能か」

 会議の冒頭から、あまり口を開いていなかったお父様が、重々しく告げる。事前に書面で通達していた内容と相違はなかったはずだけれど、オレガノ王国の外務官である二人の男性は互いの意思を確認するように、アイコンタクトをとった。


「条件次第と言えましょう。我が国の技術をただ提供するだけではあまりに我々に益がありませぬ。貴国からは何を提供していただけますか」

 今度はお父様が、アイブライトの外務大臣に目配せをする。手元の書類に視線を落として、彼は読み上げるように言った。


「まずは、オレガノから多数輸入されている金属資源と、磁気陶器等数品目への関税を段階的に一定水準まで引き下げましょう。品目ごとの逓減率はこちらに記載のとおり。また、我が国から、魔法発動体デバイスの原料である良質な高純度水晶の優先的な提供を確約します」


「粗悪水晶の高純度化に関わるノウハウについては……?」


「そちらに関しては提供しかねます。我が国の魔法産業を支える重要なコア技術ですから」


「では、国境付近の水晶田クォーツフィールドにおける一部優先採掘権に関しては?」

 小さくため息をついてから、アイブライト側の外務大臣は頷いた。


「わかりました。そちらも一部ですが確約しましょう」

 その言葉を合図に、両社の間で再びやや空気が弛緩したのが伝わった。と同時に、私も少しだけ肩の力を抜く。そもそも、このような重苦しい会議の席に私が加わっている理由は、ひとえに美しい王族を表現するための飾りである。見栄えや迫力といった中身の伴わない虚勢も、時には公の場で優位に立つための武器となり得ることを、お父様もオレガノ王国の大使たちも十分理解しているのだろう。おそらく相手方の女性もその類だった。


 しかし、今まで私たちと同じく一度も口を開いていなかった、長身の若い男。男性にしては少し長めの金髪を後頭部で結わえ、同じく金の装飾で豪奢に装飾された衣装に身を包んだ彼は、また別の意味合いを持つ者であった。


「いかがか? アルベルト殿下」

 お父様が、最終確認をするように、その男に水を向けた。背もたれに深く身体を預け、両手を組んだままであったため、今までの話を聞いていたのかはわからない。けれど、そのお父様の言葉に、殿下と呼ばれた彼は、オレガノ国王の二番目の息子であるアルベルト・マクロンは薄く目を開いて顔を上げた。それから、一番はじめに、お父様でもお母さまでもなく、私を視界にとらえ、にやりと口角を上げたのが分かった。


「イエルド国王。そちらに座っていらっしゃるのは、あなた様の末の娘、レーナ・アイブライト嬢に相違ありませんかな?」


「いかにも」

 急に自らの名前を口に出され、私はわずかに動揺する。彼は私が単にこの場のお飾りであることを理解しているはずである。理解していながら、私に真っ先に目を向けた殿下の真意は、では、何だったのか。そこまで考えてから、不安な思いが顔に出そうになる前に、自らの思考をシャットアウトする。


「確か以前お会いしたのは何かの社交場だったでしょうか。その折はずいぶん幼かったように記憶していますが、これはまたずいぶんと……」

 一度言葉を切ってから、今度はどこか粘着質な視線で私の全身を見つめてから続けた。


「お美しく、成長されたようですね」

 ぞわりと、背筋にいやな感覚の走る声音だった。けれど、この程度で動揺してしまうほど軟弱な育てられ方はしていない。


「お褒めにあずかり、恐悦至極です。ですが、たとえ私がいかな美貌を備えていたとしても、アルベルト殿下と同じ空間にいては霞んでしまうでしょう」

 顔に張り付けた微笑に、殿下は満足そうな表情を見せた。


「はっはっ。レーナ嬢は世辞がうまいな」


「世辞などではございませんよ」

 再び、微笑を返す。


「なるほど。では、素直に受け取っておこうか」

 そこで、お父様が口を挟んだ。


「うちの娘にご興味が?」


「ああ、いえ、特にそういったわけでは。…………ただ、」


「ただ?」

 聞き返したお父様に、殿下は小さな笑みを鼻から漏らす。


「私と彼女が結婚することにでもなれば、我々国家間の友好も末永く続くだろうなと、そんな風にふと思っただけですよ」

 再び私に向けられたその粘着質な視線はじっとりと重く、また、その表情はどこか私に、蛇を想起させるものだった。

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