第5話 天才は朗々と魔法を語る


「魔法とはそもそも何なのか。それを一言で説明することは我々魔法技術師マギ・エンジニアにとっても少々難しい作業です。中等教育の教科書では、しばしば『魔法とは、心象でもって世界の理に干渉し、現実を変化させる技術である』と説明されますが、ではここで言う『心象』とはなんなのか、『世界の理』とは何なのか。いったいどうやって、『心象』は、『世界の理』などという得体の知れないものに干渉することが出来るのか。そんな根本的な問題さえ正しく理解できている者は少ないでしょう」

 資料で見た通りの顔が壇上にあった。いや、伸びきった黒い前髪、その奥のこれまた黒い瞳は写真で見たレイフ・カールフェルト以上に、気だるそうな印象ではあるが。目の下に浮く濃いクマが、彼の健康状態を物語っている。派手なフォーマル衣装に身を包んだ小ぎれいな集団の中に居ながら、彼は恐らく、魔法技術師マギ・エンジニアが日常的に身に着けると言う作業用の黒いローブを無造作に羽織っているだけで、とてもオフィシャルな場に立つ者の姿とは思えなかった。


「僕が提唱した理論を説明するためには、その根本的な問題について、これまでより少しだけ深く皆様に考えていただく必要があります。まずは、『世界の理』から。魔法技術師の間でこの『世界の理』はしばしば色典ホール・レコードと呼ばれます。意外かもしれませんが、これは概念的存在でありながら、テキスト形式の情報の羅列のようなものです。と言っても、この世に存在し得る万物を記述したテキストですから、その量は膨大。例えば……そうですね。今この壇上には僕の声を拾い上げて拡声するための一つの水晶が置いてあるわけですが、色典には、このようなごく些細な物体の存在さえも記述されています。少なくとも、何が? 何処に? どんな状態で? といった情報は疑う余地もなく」

 けれど、そんな状態にあって彼の言葉には一切の淀みがなかった。むしろ意気揚々と話をしているようにさえ見える。因みに、話している内容は二割くらいしか理解できていない自覚があった。


「そしてこの色典に記載されるテキストは、これも意外かもしれませんが、簡単に書き換えることが出来ます。こうやって……」

 壇上の彼は、これ見よがしに拡声水晶を持ち上げて、それを拳三つ分離れた位置に置き直す。


「ほら、たったこれだけで、色典のテキスト情報は、この水晶に関する記載のうち、どこに? の部分が書き換わっているはずです。こんな風に、この世界に何か変化が起こった時、その変化と連動して色典は書き換わる……と考えられています」

 一瞬だけ言葉が途切れる。


「こうやって現実世界の変化を介して色典を書き換えることが可能な一方で、私たちは、概念上の存在である色典を直接書き換えることも可能です。そして、この色典を直接書き換える作業こそ、我々が、魔法、と呼ぶ技術になります」

 壇上の彼は、そこで目を瞑った。そのまま小さな声で何事かを呟いた後、左手を拡声水晶にかざすと、それはすっと、ひとりでに。元々設置されていた位置に移動した。


「今、僕は色典を直接書き換え、その記述に従う形で現実の水晶が移動しました。まさに魔法です。あ、今、前者と後者で因果の逆転が起きているじゃないかと思った方がいらっしゃいますね? それもまた基礎魔法の分野では面白い研究テーマなのですが、今日は割愛させていただいて……。とにかく今僕は、色典を直接書き換えたわけですが、その際に用いたのが、僕自身の『心象』です。ここからは魔法を日常的に使う方には分かりやすいと思いますが、『心象』とは自らの内側に思い描く、『こうあってほしいという世界の姿』ですよね。これを思い描くだけではなく、その内容に従って色典を書き換えて初めて、魔法が成立するわけです」

 一体何がそれほど楽しいのだろうかという程、その時の彼は笑顔だった。髪は伸び切っている。不潔な印象はないが、丁寧に手入れをしているとは思えない。服装は皺だらけ。とても正式な式典の衣装とは思えず、彼が始めに壇上に上がった時、観覧席側の誰もが一瞬目を見張った。けれど、彼は笑顔だった。そして、周囲の目など一切気にせず、堂々と話しをしていた。そんな姿に、何故か私の心がうずうずしている。もしかすると、あの人ならば……。


「さて、すっかり前座が長くなってしまいましたが、ここからがようやく本題です」

 相変わらず朗々と響く、彼の説明文句。気が付いた時には、私は、式典の後何としてでも彼と一度話をしようと心に決めていた。


 *****


 どうして姿が見えないのかしら……?


 食事の席に黒髪の魔法技術師・マギ・エンジニアはいなかった。長テーブルに並んだ、この国にしてはやや豪奢な食事を囲むのは、国王と王妃、兄姉たち。つまりは見慣れた王族に加え、研究者然としたローブをきっちり着込んだ、燃えるように鮮やかな赤髪の女性。


「では、セルベル博士の研究では心象は既に構築済み。今はごく小規模な範囲に雨を降らせる段階ということですね?」


「ええ。ですが、今のところどうも結果が芳しくありません」

 女性にしては低い声だ。アンネ・セルベル。彼女も魔法研の代表として、今日黒髪のあの技術師と共に、式典で講演を行った人物だ。魔法研の一般的な所員の範疇で考えれば、彼女も随分若いのだということがその容姿から見て取れるが、それでもレイフ・カールフェルトよりはいくぶん年を重ねているだろう。


「ほう……。原因は分かっているのですか?」

 その彼女と、ラルフお兄様、スヴェンお兄様が会話を交わし、その様子をお父様は表情のない顔で眺めている。話題は、本日の彼女の講演でも主題となった大規模気象操作魔法に関する内容だった。


「いいえ。残念ながら。どうやら現象のごく初期段階、水を凝集させて雲を作る工程に問題がありそうなことは分かっているのですが」


「それは、残念だ。自由に天候を操れるようになれば、もう我々も異常気象による飢饉などに頭を悩ませずに済むようになるでしょうに」

 スヴェンお兄様のその言葉に、セルベル博士が一瞬鋭い視線を向けた。お兄様は気が付いていなかったようだが、その顔を見た私の背中はほんの一瞬だけぞくりと震えた。


「ええ。ですが、この程度の問題は日常茶飯事ですし、すぐに解決する予定です。魔法技術師マギ・エンジニアにとって試行錯誤は日常ですからね」

 けれど数秒の後にはすぐに元の表情を取り戻し、セルベル博士は言葉を返す。その様子に、ほっと胸を撫で下ろしながら、私は自らの空いたコップに水を足しに来た顔なじみの給仕に小さな声で訪ねた。


「式典に出ていた、黒髪の若い魔法研究員はこの場には来ないのですか?」

 はた、と一瞬考えてから給仕が口を開く。


「黒髪、というとレイフ様でしょうか?」


「ええ。その方で間違いないわ」


「彼でしたら、我々がまだこの場を準備している最中にいらっしゃいまして、パンを少しだけ持って、執務室へ戻られました。疲れたから先に戻る、と」


「まあ」

 私は驚いて目を見開く。このアイブライト王朝において、王と謁見可能な食事会をそのような都合で断る者など滅多にいないだろう。しかし、そうだとすると、彼に対する私の中の期待感はさらに大きくなっていく。


 私を、王族として扱わないかもしれない……。


 そう思うと、どうも心が疼いて、いても立ってもいられない。結局のところ私は、そうやって立場を度外視して、言葉を交わせる存在を心のどこかで欲しているのだ。

私は、父や母、それに王宮の人々から甘やかされて育ってきたが、特段我儘で聞き分けのない娘というわけでもない。こうしたオフィシャルな食事の席に呼ばれれば、王族としての私の仕事は一つの華やかな。黙って大人しく、けれど優雅に食事をとる姿を求められているのだということを知っている。だから、こんな風に自分が何かをしたいという衝動に駆られるのは随分久しぶりだった。滅多にないことだった。だったらたまにはいいだろうという思いが首をもたげる。


 それに、私はきっと、何をやったって怒られることはない。そんな、少し悲しいけれど、諦観じみた私自身への心境が結局最後に踏ん切りをつけさせてくれた。


「お父様!」

 声を上げ、私は唐突に立ち上がる。


 ばっと席に着いた面々が私に注目する。お母さまなどは、滅多に出さない私の大きな声を少し訝しんでいる様子だった。


「レーナ。どうした? 今はセルベル博士との大事な食事の席だぞ?」

 お父様は言外に、もう少し座って居なさいと告げる。けれど私はその意図に気付いていながら、構わず続けた。


「少し体調が優れないようです。自室に戻って休んでもよろしいでしょうか」

 一瞬だけ、煩わしそうな顔をしたお父様と目が合った。また、もう少しだけ我慢しなさいという言外の意図を感じたけれど、私は自らの主張の強さを示すために、瞬きもせず数秒そのまま父の目を見つめ続けた。


「……まあ、いいだろう。退出しなさい」

 そして結局穏やかな顔でそう告げるお父様に頭を下げる。


「はい、大変失礼いたします。セルベル博士、どうか今後とも、このアイブライト王朝繁栄の一助となるようお力添えいただければと思います」


「え、ええ」


「レーナ様、それでは、私が自室まで付き添います」

 急な私の言葉に博士は困惑したように頷いて、先ほどの給仕は私の下に近寄ろうとする。


「いえ、結構です。自室までは自分で戻れますから」


「ですが……」


「この会場でのお勤めの方が大事でしょう」


「……は、はい。それでは、お気をつけて」

 私はもう一度一礼してから、しずしずと部屋の隅の扉の元へと向かう。お父様の「騒がせてすまない」という声をかすかに背中で聞きながら、徐々に歩みを速めていく。そして、そっと、丁寧に扉を潜り、お父様達から自分の姿が見えなくなる瞬間を待ちかねたように、スカートの裾を掴んで走り出した。


 目指すのは王宮の二階。王立魔法研究所へとつながる渡し廊下だ。講演の最後に、魔法の基礎理論について何か聞いてみたいことがあれば、こちらに立ち寄れと、彼の研究室が紹介されていたから、場所は把握済み。


 疲れたから戻ると言っていたらしいが、あの給仕が言っていたように、今ならまだ彼は、自室で休んでいるだろうか。


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