じゅようときょうきゅう~天才魔法技術師と箱庭の王女様は今日も互いに求めあっています~

無味乾燥

王女様のご来訪

第1話 慢性的睡眠不足の天才・1

「また差戻なのかぁ……はぁ、解決したと思ったのになぁ。同じとこで破綻エラーが」

 ぼさぼさに伸び切った髪に指をいれてがりがりと後頭部を掻きながら、僕は天井を見上げる。


「そもそもなんでこんな仕事まで僕が。あの人が請け負ってきた案件だろぉ……」

 いや、言うまい。両親を失い、途方に暮れていた僕をあんな辺境の地で拾い上げてくれたのは彼なのだ。ここ魔法研において、僕は僕自身の実力で今の地位に就いた自負がある。しかし、あの人が育ての親でなかったら。また、幼すぎて言葉に説得力を持たせることのできない僕に代わってあの人が研究成果を発表してくれなければ、僕はここで魔法技術師マギ・エンジニア、つまりは魔法技術の研究員として、働き始めるきっかけを得ることはできなかっただろう。


 ぶつぶつこぼしながら、左手で両目をおおう。僕が何かを考えるときの癖だった。けれど今は何も建設的なアイディアが浮かんでこない。それどころかどんどん思考に黒いもやがかかっていく感覚に陥る。


「うぅううう、眠たいなぁ……ねたいなぁ」

 かれこれもう一週間ほどは、まともな睡眠をとらずに稼働し続けている。これでは効率も何もあったものではないし。


「うん、こういう時は、寝た方がいいよなぁ……これは決して執務怠慢ではなく……戦略的撤退であって……」

 自分自身に対して言い訳をしながら、既に半分意識を手放しかけていたところで、視界の隅の連絡用の水晶がチカチカと目障りな紫色の光を放ち始めた。研究所の内線。僕が悪魔の輝きと呼んでいるやつだ。こういう時は。うん、無視しよう……。


『おーい、カールフェルトくーん、レイフ・カールフェルトくーん』

 ざざっという小さなノイズと共に、すっかり聞きなれた、野太い男の声がする。驚くほど陽気な、けれど今神経質になっている僕には、うっとおしさを覚える声音。もちろん声の主が、僕専用に宛がわれた研究室に突然現れたわけではなく。これも現代では当然となった、魔法技術のなせる業だ。


 僕はまだ十七歳だから、文献でしか知らないけれど。今からおおよそ三十年くらい前、魔法技術が急速に発展するきっかけとなった大発見があったそうだ。その発見を期に、一人の偉大な魔法技術師マギ・エンジニアによって、今僕達が当たり前に享受している魔法技術の大半の基礎が出来上がったと言うのだから驚きである。


 今では、経済活動、治安維持、文化創出など国を支えるあらゆる要素に魔法技術が組み込まれ、魔法の発展はすなわち、国の発展と同義であると考えられている。そのため、魔法は粗方の国で義務教育に組み込まれ、こんな大陸北端の小国、アイブライト王朝においても、国民は基本的に生活に必要な汎用魔法を習得している。また、魔法分野においてその開発や行使に優れた才能を見せる者は、国軍の中枢や王立の研究機関で働くことも多い。


『ちょっと、レイフちゃぁ~ん。いるんでしょ? また新規の案件溜まってるんだけど』

 弱冠十五歳にして、国王直属、王立魔法研究所の所員に召し上げられた僕は、一時期周囲の人間に、天才だ、神童だ、などともてはやされていた。いくら育ての親が同施設の研究員だからといって、ここはコネクションだけで入所できるような場所ではない。


 しかし、しかしながら、だ。実際に職員になってみてからは、天才だなんだなど、途端にどうでもよくなった。有能な研究員は研究所にとって、恰好の馬車馬である。特に、入所当初の僕は世間知らず、というより研究所の常識を知らなかったから、頼まれればなんでも張りきって全力で職務にあたり、その全てでそれなりの成果を上げてきた。そうして気が付けば、僕の所属する部署は、次から次へとひっきりなしに、行き詰った魔法研究の案件に関する相談ばかりの舞い込むお悩み相談室と化していた。


 このままでは仕事の波に飲まれて、部署全体に被害が及ぶ。見かねた当時の上司が、僕の引き受けていた機能を独立した一つの別部署として切り離し、あの人直轄の新研究室を立ち上げてからはや一年。もとの部署には平和が戻ったらしいのだが、引き換えに僕はさらに多忙な毎日から抜け出せなくなっていた。


 とまあ、懇切丁寧な状況説明はさておいて、とにかく、今は少しでいいから休息を身体が欲している。


『いないの~? それとも取り込み中? 執務中にマスかくのは良くないんでなぁ~い?』

 のっそりとソファから腰を上げる。もうだめだ、いくら上司だからって。僕の睡眠を邪魔する者は……、間違えた。所員のことをちゃん付で呼んで、あまつさえ同性に対してとはいえセクハラ紛いのお下品ワードを口走ってしまうような者にははっきりと不快感を突きつけねばなるまい。いくら育ての親だからって、パワハラはパワハラ。このご時世、王立機関は部下からの意見が通るホワイトな職場であるべきだ。


「だ・か・ら!! レイフちゃんって呼ばないでくださいって言ってるじゃないですか!! 僕だってこう見えて、この年齢と顔立ちのせいで、魔法研の所員としての威厳みたいなものがないの、気にしてるんですからね」


『ほら~っ、やっぱいるんじゃん。無視決め込むレイフちゃんが悪いよ。新規案件が溜まってるのにさぁ。てか童顔なの気にしてんだ……』

 その言葉に我に返った僕は、彼、上司であるエイノ・ハーゲンに乗せられたという事実に今さらながら気付いたのだった。


「うそ……だ。現状に加えて新規案件なんて……。僕は今から寝るはずだったのに。これじゃどうやたって」


『お~い、今執務中に寝るとか言ってなかった?』


「き、気のせいでございます。ボス。直ちに残っている仕事にとりかかりますので、新規案件、新規案件だけは、ご勘弁を!」

 動転してボスとか言ってしまった。まあ、マスかいてるよりはマシだろう。まずい、やっぱり寝不足で少しおかしくなっているらしい。


『へいへーい。ま、天才レイフくんはいつもいつも頑張ってくれてるから別にいいんだけどさぁ。これはどうしても君じゃないとダメみたいなんだよね。後で水晶送っておくから、ちゃちゃっと済ませてね』


「ったく、結局何と言おうと新規案件は引き受けるんじゃないかぁ……」

 通信が切れてから、ごくごく小さな愚痴を零す。その直後だった。


「ったりまえでしょ~」

 突如開いたスライドドアの向こう側から、先ほどまでの声の主が唐突に姿を現したのは。

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