第2話 慢性的睡眠不足の天才・2

「ちょ、ちょっと! ドアの前にいたならわざわざ通信してこないでくださいよ!」

 相変わらず、研究員のくせに無駄にでかくて威圧感のある身体だ。見事なグレーの白髪を撫でつけた頭、同色の髭を蓄えた口元がにやりと歪む。


「お前さんのせいだろがよ。なかなか通信に返事がないから、心配してわざわざ来てやったってわけよ」


「それはとんだご足労を」

 どう考えても嘘である。あらかた、次々と降ってわく新規案件に忙殺されそうな僕をからかいに来たに違いない。彼はそういう性格だった。精一杯の皮肉を放った僕をちらと一瞥し、上司のエイノはどかんと、椅子に腰を下ろした。


「おう。はるばるやってきた上司に紅茶のひとつでも出してくれよ……。っとまあ、冗談はこのくらいにしておいて、そろそろ本題に移るかね」

 あんたの執務室からここまで徒歩一分でしょうという言葉を、僕はぐっと飲みこむ。今はそれより、看過できない発言があった気がする。


「え? 本題ってまた仕事の話ですか? さっきの新規案件ってのが本題じゃ?」


「ばぁか言え。あの程度、お前さんなら二日三日集中すれば片付けられんだろうがよ」


「絶望的だ……」

 確かに二日三日で片付くかもしれないが、それは眠らずに稼働し続けた場合の話である。


「次回の魔法研の恒例行事、技術市場テック・マーケットの件なんだがな」


「失意の僕を無視して話を進めないでくださいよ!」


「オーラルの発表枠がまだ一つ余ってるんだなぁ、これが」

 どうやら、僕がエイノの発言に水を差す権利はないようだった。


「お前さん、そろそろ一題何か発表してみないか?」

 その言葉に、僕は思わず大きく目を見開いた。技術市場テック・マーケットとはつまり、ここ王立魔法研究所で半年に一度開催される研究員たちの成果発表の場である。王様直属、国の研究機関である魔法研の研究活動の維持には、毎年莫大な規模の国家予算がつぎ込まれている。研究成果の発表は、研究員たちにとって華々しい晴れの舞台であると同時に、つぎ込まれた予算に付随する義務でもあった。一度につき、二つの口述演題オーラル・コンテンツと、約十の掲示演題ポスター・コンテンツ解禁リリースされるのが通例である。


 同じ分野の研究員から厳しい批判にさらされることも間々あるけれど、それでも多くの研究員がその舞台に登壇することを一つの目標としている。魔法研究史に残る極めて優れた研究であると国から認められた場合に、登壇者はを一つ叶えてもらう権利を得るからだ。自身の研究への予算の追加、施設設備の拡充、人員の増強など、その内容にやや制限はあるものの、極めて破格の待遇を受けることができる。


 もっともここ十年で、その栄誉を得た研究員は目の前のエイノ一人だけだ。


 興味がないと言えば嘘になるが、技術市場への登壇を持ち掛けられて僕が面食らったのにはきちんとした理由があった。


「何を言ってるんです? まだ実績が伴わなくて年も若い僕じゃ、ベテラン勢にまともに話を聞いてもらえないからって、いつも僕の研究成果はエイノが発表することにしてるじゃないですか」

 僕が入所当初、エイノと取り決め、以来二人だけの秘密として長らく周囲の者には黙っていたことだった。当時、まだ幼なかった僕の実力を懐疑的に思った者は決して少なくないのだ。


「ばか言え。それはお前がまだここに入所したばかりのころの話だろう。多分今、少なくともここの研究員の中に、年齢が理由でお前の発言を軽視できるような奴はいないよ。なんなら、今まで俺が自分の成果として公表してきた実績が、実は三割くらいはお前の研究だって、この際、公にしたっていいんだ。今回はそれくらい強い要請だと受け止めてくれ」

 事実の公表は、いつかは行わなければならないことだと、分かっていたことではあった。確かに、今の僕は、自分でいうのははばかられるとはいえ、所内で一定の信頼を得られている自負がある。


 それに……。それに、幼い僕の言葉に説得力がないというのは、初めにエイノが僕の研究成果の公表を肩代わりしてくれた時も、副次的な理由でしかなかった。


「いや、でもいきなり技術市場でっていうのも。僕は口下手で発表は苦手だし」

 下を向いて目を伏せる僕に聞こえるようにエイノは大げさなため息を一つついた。


「敢えて言うが、お前は魔法研究において、とてつもない才能を秘めている。実際に成果を上げていることも、俺や、それにお前と仕事をしたこがある奴は知っているだろう。けど、それを外にアピールしない限り、いくら魔法研にいたって、お前はずっと昇進しないし、下請けしか回ってこないんだぞ?」

 それも分かっているつもりだった。いつまでもこのままでいては、僕の未来は停滞しかない。


「それはお前にとっても、この国、いや、世界の魔法技術にとっても損失だと、俺は思っている。半年に一度の場で三十分の演題を構成するくらい、お前にとってはわけないだろう?」


「エイノも知っているでしょう? 僕は昇進に対してモチベーションがないし、地位や名誉に興味もない。今のまま、こうして魔法研究を続けていられるだけでも楽しいんです」

 自分でも消極的だと、自嘲の笑みが漏れそうになった。


「あのなぁ、レイフ。地位や名誉ってのは一種の力なんだ。今はなくても、いつかお前が何か守りたいものを手に入れたときに、持っていて損はないもんだぞ。それに、一度のし上がっちまえばお前が怖がっているようなことだって……」

 そう。ただ僕は怖がっているだけだ。過去に起きた出来事に。それは自分でも分かっているけれど、それでもまだ、僕は踏ん切りをつけることができないでいた。結局、かぶりをふる僕に、エイノはもう一度大きくため息をついて、表情を変えた。


「わぁったよ。じゃあ、言い方を変えよう。これは上司としての命令だ。今期の技術市場での発表用演題を今月末までに見繕ってくれ。お前にもそろそろ公の場に立ってもらわないと、お前を魔法研に推薦した俺の立つ瀬がないんだ」

 エイノはいつものひょうきんな中年オヤジの目をしていなかった。親としても上司としてもエイノは自分の立場を利用して僕に何かを強制したことは今までにない。それだけ、今回は彼も本気ということなのだろう。この不安定な状態を終わらせる、潮時だと考えているのかもしれない。


「わかりました。エイノがそこまで言うなら。でも、僕の研究成果をエイノが代わりに公表していたことはまだ……。その、内密にしておいてください。あくまで今回の成果発表を僕の名義で行うというだけで」

 しばらく逡巡した後、エイノは頷いた。


「いいだろう。落としどころだな」


「それから、こんな仕事を振るからには、少なくとも今月末までは、新規案件の受け入れを従来の半分くらいにセーブする方向で……」

 このシリアスな流れに乗って、ついでに通常業務の願望までもを口にしてみたが。


「そいつぁ、できない相談だ」

いつの間にか、エイノはいつものひょうきんオヤジの表情をまた顔に張り付けていた。


「そんな。あんまりだ! 僕がこの一週間どれだけまともに休めたかエイノは知ってるんですか? ベッドどころかソファでとった仮眠を含めても一日三時間睡眠なんだぞ。こんなブラックな職場、辺境の町工場にだってありゃしない!」


「おい、敬語を忘れてるぞ」


「そのくらい多めに見ろ! …………みたいなニュアンスで言ってみただけなんですが」

 なんだかんだいって、ひょうきんだろうが真剣だろうが、僕はエイノには逆らえない。何より、育ててもらった恩がある。僕は義理堅いのだ。


「わかったわかった。それじゃあ、無事に技術市場での演題を終えたら、お前に二日の休暇をやる。その間、新規の案件を入れないと約束しよう」


「そっ、その言葉に嘘はありませんね!?」


「ああ。国王に誓って」


「あぁぁ~~~。何年ぶりの完全な休日だろう」


「言っておくが、ちゃんと無事に発表を終えられたらだぞ? それで、さっそくだが、発表内容に心当たりはあるのか? まあ、お前は日常的にぽんぽん新しい技術を試用しているみたいだから、心配はないと思うが」

 俄然モチベーションを得た僕は、数秒頭の中をさらってみる。最近業務の中で生み出された新しい考え方や理論が浮かんでは消え、しかしそのどれもが、魔法技術師マギ・エンジニア向けの便利ツールであることに思い至る。つまりは、魔法の研究開発を日常とする玄人受けはいいかもしれないが、一般人や戦闘狂の魔法軍人も参加する技術市場で三十分も話を続けるには向いていない気がしてしまった。


「純理論畑の演題でもかまいませんか? ちょっ変わり種になるかもしれないけど、インパクトは……、それなりに大きいと思います」


「変わり種ぇ? お前がインパクトが大きいなんて言うと、俺でも少し身構えるんだが」


「そう。変わり種です。簡単に言うと、無意識下における魔法の複記述マルチグラマー仮説について」


「おっ、おう……。なるほど、俺でさえさっぱり何を言っているのかわからんな。一般人に理解できる内容か確認したいから、ちょっと詳しく説明してくれ」

 臨時会議の始まりだ。こうして、今日も結局眠れない僕の執務は続いていく。

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