第34話 王族の義務、不本意な履行・2
「つまりは、実質上の婚姻の申し出ということだ。とうとうだな」
お父様が、私宛の書状を読み終えて、厳かに口を開く。
「え……」
私の口からは戸惑いの言葉が自然とこぼれていた。
容姿端麗だとか、眉目秀麗だとか、野に咲く一凛のバラのようだとか、私の容姿を一通り誉めそやした後に、私たちの出会いはまさに定められた運命だったのだとそれは締めくくられていた。もちろんお父様本人の言葉ではない。
「どうした? 何か言ったらどうなんだ?」
「それは当然、そのような申し出を頂いたことに関しては嬉しく思います。ですが、私は彼のことを……、アルベルト殿下のことをまだ何も存じ上げません」
急転直下。まさか、こんなに早く事態が動くなんて思ってもみなかった。私の王族としての使い道。ついさっき意識したばかりの、けれど、まだ先の話だと考えることをやめた、私自身の義務。
だって彼との交友はまだ始まったばかりではないか。長い間感じていた孤独を埋めてくれるかもしれないもの。しばらくはそれを楽しもうと割り切ったのも、ついさっきなのに。そんな思いが首をもたげて、言い訳じみた抵抗が口をついて出た。普段はないことだ。私の言葉に、お父様は僅かに眉を顰め、ため息をつく。
「そんなことは、貴族同士の結婚であれば珍しいことでもないだろう? いいか、これはチャンスなのだぞ?」
「チャンス、ですか……」
「ああ。隣国のオレガノ王国が、我々の求める高い農作技術を有していることは言うまでもない。その他の特産品や魔法
「はい。承知しております」
私だって、お父様の言っていることが分からないわけではない。
「先日の会談にはお前も参加していただろう? 殿下の言葉を覚えているな?」
「私と殿下が結婚することにでもなれば、我々国家間の友好も末永く続くだろう、と」
お父様がおおいに満足そうに頷く。
「実際彼の言う通りになろう。両国の主要人物同士が結婚したとなれば、少なくとも私の子供の世代までは両国間の友好は約束されたようなもの。これはアイブライトという国において、重要な意味を持つのだ」
「で、ですが、私はまだ十七ですよ? 殿下も成人しているとは言え、まだお若いと聞いています。せめて私が二十を迎えるまでは、ゆっくりと関係を温めるというのは」
「分かっておらんな」
必死に考えて思い至った私の言い訳も、お父様にばっさりと切り捨てられる。
「相手が既に定まっているのであれば、女の方の時期は早い方がよい。お前だって自分の価値が有限であることは分かっておろう。あちらがいつ心変わりを起こすともしれんしな」
価値。その言葉がありありと、私は国を存続維持させるための駒なのだという事実を思い知らせて来る。笑顔でその言葉を突きつける。残酷だと思った。しかし一方でもう、割り切っていたつもりでもあった。それが、実際その段になると、こうも受け入れがたいものだろうか。
「それとも、お前はまだこの国に何か未練があるのかね?」
「……未練。……そいうわけでは、ありません」
嘘だ。私は思わず、きゅっと自らのスカートの裾を握る。結婚とはつまり、アルベルト殿下の花嫁として、オレガノ王国に迎え入れられるということ。文字通り、彼とオレガノの所有となること。いかな友好国と言えど、今のように自由にアイブライト王朝に、ましてやその王宮に出入りすることは出来なくなるだろう。
こちら側の男性と親しく交友を持つなど、もってのほか。アイブライトも、オレガノも、夫としてのアルベルト殿下もそれを看過することはないだろう。つまり、今これを認めてしまえばあの人とは……。
私が今最も心の安らぎを感じられるレイフ様との交友終了までの秒読みが、忽ち始まってしまうことになる。
「いいか? お前にとってもこれは悪い話ではないのだ。オレガノとしてもアルベルト殿下としても友好の証として迎えたお前を悪いようには扱わんだろう」
「そうなのかも、しれませんね」
そして、そうあってなお、直接的に父の言葉を否定できない私のことを見て、あの人は一体何を思うのだろうか。心中ではちっとも事実を認められず、けれど表面上頷いた私を見てお父様は諭すように告げる。
「今月の末、現国王である私の生誕五十三周年を迎える、生誕祭を控えていることは覚えているな?」
「は、はい」
唐突に出た生誕祭という言葉に戸惑いながらも私は頷く。
「オレガノ王国の大使数名と、アルベルト殿下もその時期に合わせてアイブライトへ来賓として迎えることになっている」
「殿下がまた、いらっしゃるのですか?」
「ああ。だが、移動も骨だ。祭典の日だけ遠路はるばるやってきて、その日のうちにさようならでは、大事な来賓を迎える国の対応として、たいそう味気ない。そのまま数日は、こちらに滞在していただき、王宮の内装や街並みを見て回っていただく予定だ」
だんだんと話が見えてくる。要はその来賓たちの歓迎をにぎやかせということだろう。けれど、続いた国王の言葉を聞いて、私は自らの予想が甘かったことを知った。
「お前にも、歓迎の手伝いをしてもらうことになるだろう。先ほど、お前は殿下のことを何も知らないと言ったが、その期間でしっかりと殿下との交友を深めなさい。そして、さらに気に入られるよう努めなさい」
「しょ、承知しました」
「ああ、それから、殿下は生誕祭翌日の国民たちの祭事にも大変興味を示しておられた。互いの為人を理解するためにも、お前と二人町を見て回りたいと言っている」
「そっ、それは!!」
半ば機械的に返事をしていた中、けれど最後のその要求にだけは、私の身体が反射的に反応してしまう。なぜなら、その日は。その日は、何があっても守ろうと意気込んでいた約束が。レイフ様との約束が控えているのだ。
「どうか、したのかね?」
「い、いえ……。そういうわけでは」
けれどまさか、一介の研究員であるレイフ様とひっそり王宮を抜け出すつもりなのだとは言えなかった。まただ。また、私は結局欲しいものを手に入れられない。つまらないしがらみと、自らの臆病さのせいでがんじがらめになっている。
「そうか。では、くれぐれも、粗相のないように」
「はい。分かりました。お父様」
すっと、自らの目から輝きが失われていくのを感じた。いつもは退屈な執務の時間帯、無意識に表層に出てくるもう一人の私。胸の内から湧き出る感情を極力無視するための防衛本能。けれど今は、こうして感情を殺せるようになってしまった私自身の成長さえ、恨めしい。
「レイフ様にはお伝えしないと。………………気は、すすまないけれど」
私の独り言が、父の去った後の、ただ広いだけの空間に溶けた。
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