第8話 魔法という概念

「レーナ様も私生活でいくらか魔法を行使されるでしょうから、心象しんしょうとはいったい何なのか、おそらく感覚的に理解していらっしゃると思います」

 まずはレイフ様の研究の話が聞きたいと言った私に、彼は始め戸惑いながらも、やがては朗々と、基本的なところから魔法のレクチャーを始めてくれた。


「ええ。私たちが魔法を行使したいときに思い描く、『こうあってほしい』という世界の姿ですよね?」

 初等教育の教科書に載っているような内容に、私ははじめ少々の不満を覚えたが、明確な定義をつきつめられるとどれも困ってしまうような質問を先ほどからレイフ様は繰り返している。


「その通りです。世界のすべての情報が記載されているという概念上の存在、色典ホールレコード。これを書き換えることが魔法。その書き換えを行う上での、いわば設計図、あるいは計画書、とでもいえば分かりやすいでしょうか」


「たしかに。設計図なのだと聞くと、すとんと腑に落ちました」

 しかし彼が今日行った講演の内容を深く知るためには、それらを一つ一つ明確に理解していくことが不可欠なのだそうだ。


「ところで、私たちが普段の生活の中で、既に確立された、汎用的魔法を行使する際、通常、その魔法の成立に必要な心象は既に魔法の発動体デバイス、多くの場合は水晶などに記憶されているため、めったに失敗はしません。しかし汎用的ではない魔法や、個人のみが使用可能な魔法。あるいは新魔法の開発研究の場においてはその限りではありません」


「新しい心象を自らのイメージで作り出す必要があるから、ですよね?」

 レイフ様の語り口調の端々に私は深い知性を感じていた。ひとつ質問を行うたびに、そんな彼に、物わかりの悪い生徒だと思われないように、慎重に言葉を選ぶ。


「ええ。とりわけ新魔法の開発には失敗がつきもの。魔法の規模にもよりますが、着想の段階から数えると、きちんと実用可能な魔法の心象を一つ生み出すまでに、おおよそ数百パターンの心象を試してみる必要があると言われています」


「数百ですか……。そんなにたくさん……」


「まあ、そんなわけで、僕たちの仕事は根気強さが不可欠なわけですが。もし、レーナ様が研究員だったとして、魔法が上手く発動しないとき、どんな原因を想定しますか?」


「ええと……。一つは単純に魔力量の不足ですよね。大規模な魔法を行使する際、それだけ多くの色典の内容を書き換えるわけですから、たくさんのエネルギーが必要になります」


「いいですね。他には?」

 そしてレイフ様が頷くたびに、私はほっと胸を撫でおろした。どうやらまだ失望されるような失言はしていないようだと。


「他……。これもよく聞く話ですが、不完全な心象を用いて魔法を行使しようした時にも発動はしない、のですよね?」


「はい。私たち技術師エンジニアの間では、それを心象破綻フォーミングエラーと呼びます。一般に、魔法の失敗は大きく分けて二パターン。『魔力の不足』と『心象破綻』に分けられると言われています。その二つともがすんなり出てくるあたり、レーナ様は勉学がお得意なのですね」


「そ、そんな。このくらい、少し勉強していれば誰だって」

 やんわりと口角を上げたレイフ様に見据えられた私は、どうしてか少し恥ずかしくて、慌てて視線を反らした。


 公務では何千という人々からの視線を向けられることもあるのに……。


「さて、話を戻しますが。魔法の失敗において、前者の問題の解決策はシンプルです。単純に行使する魔力量を増やすか、あるいは実行者を増やして負担を分散するか。よって僕たちの研究は主に、後者の問題との闘いです。生み出した心象のいったいどんな部分に曖昧さが残っているのか、あるいは間違いがあるのか。なぜ、その定義では不十分なのか。間違っているのならどう書き換えるべきなのか……。魔法の発動から成立まで、多くの場合は一秒未満。失敗の工程が見えないため、しばしばその原因究明に僕たちは四苦八苦するわけです」


「それで数百もの実験を繰り返すのですね?」

 私は少しだけ興奮していた。王族の国事行為以外の『仕事』について詳しく聞いたのはこれが初めてで、少し大人になった気がする。そして、魔法研究とは、大変かもしれないけれど、国事行為の何倍も中身のある仕事のように私には思えてしまった。


「ええ……。そして、生み出した心象のいったいどこに破綻エラーが生じているのかついぞ、わからないまま、研究がストップされてしまう魔法も少なくありません」


「それは、なんと言うか。無念ですね」


「多くの魔法技術師マギ・エンジニアもそう思っています。心象にはその技術師の着想アイディアがそのまま反映される。いわば写し鏡のようなものです。原因もわからないまま、その着想を捨てることになるのは、僕たちにとってもとても不本意な結果なんです」


 おそらくレイフ様も過去に何度かそういう経験をしたのだろうか。その表情には悔しさと寂しさが入り混じっているように私には見える。


「一見、自分が構築した心象のどこにも、破綻エラーは見つからない。なのに、魔法は失敗する。供給している魔力量は十分。いったい何が悪いんだ、と公務中にデスクを蹴り飛ばしている研究員もしばしば見かけますね」

 少し話が真面目になりすぎたと感じたのか、レイフ様はおどけた調子でそんなことを口にした。


「ま、まさか、今は穏やかそうに見えるレイフ様も?」

 恐る恐る尋ねた私に、はははとレイフ様は笑いを零す。ようやく、私に対して少し緊張を解してくれた証左だろうか。


「僕は、今のところデスクを蹴飛ばしたことはありませんね。ですが、……」


「ですが?」


「完璧な心象を構築したはずなのになぜ? という理不尽さや、もやもやを感じたことがないわけではありません。そんなことを何度か経験しているうちに、僕はこう考えるようになりました」

 レイフ様は一度言葉を切ってから、続けた。


「魔法の失敗には、定義されていない、第三の原因があるのではないか、と」


「だ、第三? というと、魔力不足と、心象破綻と、そのどちらでもない何か……ですか?」

 急に飛躍した話の内容に私が追い付けないままでいる私に、ほんの少しだけ得意げに、レイフ様は人差し指を立ててから口を開いた。


「そうです。そしてそれこそが、僕の提唱する魔法の複記述マルチグラマー仮説の根幹となった考え方なんです」

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