第9話 孤独を埋めるもの・1
ことりと、私の目の前に白磁のティーカップが差し出された。わずかに鼻孔をくすぐるこのベルガモットの香りは、アールグレイだろうか。
「正直言って、少し、いえ……かなり嬉しいです」
「何がでしょうか?」
客人に何も出さないまま長話をしすぎましたと一度話を中断したレイフ様が、淹れてくださったものだ。口をつけてほっと一息。私室でエマが淹れてくれるものにはかなわないながらも、なんだかほっとする味だ。
「魔法研究に精通しているというわけでもない、王族のレーナ様が、ここまで僕の話を欠伸ひとつせずに聞いてくださったことが」
彼の言っていることがよくわからずに、私は首を傾げて見せる。
「そういうものでしょうか? 私はとても面白かったですが。レイフ様のお話」
すると彼は不思議なものを見るように、私の顔を覗き込みながらしばしばと瞼を上下させた。やっぱり彼に真正面から見えられるとなんだか胸のあたりがそわそわする。
「レーナ様は今日、本当に僕の部屋に研究の話を伺いに来たのですか? 退屈なお姫様の、気まぐれなどではなく、僕の講演内容に興味を持って?」
「気まぐれとは失礼ですね? 私はこう見えて暇というわけではないのですよ?」
「し、失礼しました。決して悪意があったわけではなく」
しまったと口を閉じる。軽い冗談のつもりだったのだ。なのにまた、必要以上にレイフ様は恐縮している。いや、正確には、王族相手ならば必要な恐縮かもしれないけれど、私が彼にはそうして欲しくはないと思っているだけなのだろう。
「い、いいんですよ。……その私としては、あまり畏まった態度ではなく。先ほどのような会話であれば軽口程度に言い合える関係のほうが、望ましいと思うのですが」
仕方なく私は、それをそのまま言葉に乗せる。言わなくても伝わってほしかった。もっとも、言ったところで難しいのかもしれないが。
「しかし、やはり王女様相手となるとそれは……。先ほどはレーナ様の温厚な雰囲気に少し気が緩んでしまったようです。申し訳ありません」
想定したとおりの反応に、思わず目を伏せた。と同時に、自らの内側に意識を向ける。今日私が、この部屋を訪れた
「私は、レイフ様も知っての通り、末の子とはいえ現国王の娘ですから、幼いころから保育所にも学校にも通わずに、優しい数名の大人たちにだけ囲まれながら、ほとんど王宮の外に出ず育ちました。きょうだいはいましたが、私が物心ついたころには既に、姉、兄たちは王族としての振る舞いを強いられており、私と遊びまわったり、騒いだりも、自由にはできない環境で」
「え……?」
突然身の上話を始めた私に戸惑うレイフ様にかまわず、言葉を続ける。
「たまに外の方とお話する機会があっても、皆さん私には恐る恐る言葉を選びます。悪い印象を与えないように笑顔は向けてくれますがね。お父様とお母さま……、国王と王妃も優しくて、私にいつもニコニコと接してくれるのですが……。でも、それが逆に、私にはなんだか、偽物のように思えてしまって。まあ、理由はなんとなく分かってはいるんですんがね……」
気が付くと、レイフ様は私の座るソファの正面に、キャスター付きのチェアを持ってきて、腰を落ち着けたところだった。その表情からは若干の戸惑いが見て取れる。
「すみません、急にこんな話をしてしまって」
「いえ。かまいません……。ですが、どうして今急にそんな話を?」
私自身もよくわからないまま話始めていたせいで、彼にそう質問されてようやく、自分で自分の心の動きに気づいたのだった。
「たぶんそれが理由、です。今日、レイフ様の研究室を訪れた」
「どういう、ことでしょう?」
「今日偶然にも私は、公務の関係で、王宮のすぐ近くにレイフ・カールフェルトという研究員がいらっしゃることを知りました。資料を見ると、それは、私がほとんど関わり合ったことのない同年代の少年だというじゃないですか。半ば衝動的にどんなものなのか知りたいと思っていました……。私と同い年のその人は、何を考えて、何を生業として生活しているのだろうか、と。私と同じように、些細なことで笑ったり、くよくよと思い悩んだりするのだろうか、と。互いのことを話してみて、同じところと違うところを知って。それで、もしかすると、今までにないくらい話がはずんだりして、仲良くなったりも、するかもしれないなぁ……と」
「そういうことでしたか……」
「も、もちろん魔法研究に対する興味もなかったわけではありません。……がっかり、されたでしょうか?」
「がっかり、ですか? どうしてでしょう?」
「それは、私が純粋にあなたの研究に興味を持ってここへ来たわけではないということに」
レイフ様は、一瞬言葉に迷ってから慎重に口を開いたように、私には見えた。
「そんなことは……。それより、だとするともしや、僕の態度の方が、レーナ様をずっとがっかりさせてしまったのではないでしょうか」
ひどく申し訳なさそうに、苦いものを口にしたような表情を見せながら。それは、あのとりとめのない私の言葉から、正確に私の心情を推測したからこそ出てくる言葉で、翻って彼が、とても聡明な人物であることの証左に思える。
やっぱり、この人は理解してくれるのかもしれない。そんな、初めは半ば直感的だった自身の感覚が正しかったのだと、少しずつ確信に変わっていく。
「多くの方が王族の私に対して恐縮した態度をとるのは、仕方がないことだと理解はしています。ですが、できることなら……」
レイフ様の顔を真っすぐに見据える。私の嘆願にも似た表情に、彼は左手で両目を覆って動きを止めた。何かを考えているのだろうか。
「…………では、先ほどの話の続きをしましょう」
「え……?」
「魔法の、それも僕が大好きな、基礎研究のお話です」
「えっと……、その。それはかまいませんが」
「本当に申し訳ありませんが、王族の方に対するこの態度は意識して簡単に取り払えるようなものではありません」
「そうですか……」
小さく、落胆の声を漏らした私に、レイフ様は慌てたように言葉を加えた。
「その、今すぐには、というお話です。ですが、少しづつであれば、変えていけるかもしれません。だから初めは、僕があまりレーナ様の立場を意識しないでもいい内容がいいと思うんです。僕が思わず話しすぎてしまう研究のお話を。その、レーナ様には退屈な内容ばかりでしょうが……」
「そっ、そんなことはありません!!」
私は思わす大きな声を出していた。
「そういうことでしたら、たくさん、私にレイフ様の研究のお話を聞かせてください。たまには、もう少し砕けた……その、レイフ様ご自身のお話なども聞かせていただいた方が嬉しいですが……。少しずつでも、十分なんです」
やはり、彼は研究員だったのだ。漠然とした私の悩みに対して、上辺の共感ではなく解決策を与えようとしてくれる。前者を既にもらい飽きてしまった私には、単純にレイフ様の返答が新鮮で、ありがたいものだった。
「わかりました」
鼻から抜けるような笑い声を漏らしながら、穏やかにレイフ様が口角を上げて、私は再びどきりとする。理知的な真っ黒い瞳には、まだしばらく慣れることはなさそうだ。
「それでは、僕が話をするのもいいですが、もしよろしければ、レーナ様も僕にご自身のことを教えてください。何が好きで、どんな態度が好ましくて、どんな話なら面白いと思うのか。レーナ様の方こそ、僕に砕けた態度を求めるのであれば、ご自身の口調が少し硬すぎると思いませんか?」
「それは、確かに……」
思わず私はこくりと頷いた。
「では、とりあえず紅茶を飲みながら、先ほどの話の続きをしましょう」
「は、はい」
飲み物を出されていたことなどすっかり意識の外だった私は、思い出したようにその茶色の水面に口をつける。少し冷めてしまったけれど、やっぱりどことなく落ち着く味だ。
「ああ、それと……」
レイフ様も、私を追いかけるようにお茶で唇を湿らせてから、ゆっくり言葉を続けた。
「ひとまず私の話を聞いた後、楽しめたかどうか忌憚のないご意見をください。今後の参考にしますので」
「か、かまいませんが、同年代の子供同士が仲良くなる、という過程はそこまでシステマティックなものなんでしょうか?」
私も彼も、多分平均的な十七歳と比較するといくらか大人びてはいるかもしれないけれど。すると何故か自信満々にレイフ様は、降参のポーズをとった。
「さあ、分かりません。実は僕も、初めてなんです。同年代の誰かと、まともにお話してみるというのは」
ああ、結局彼も同じだったのかと。頼りないその発言に、どうしてか強い安心感を覚えたのは、そんな風に思えたからなのだろうか。
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