第11話 孤独を埋めるもの・3

「ほんっとうに、申し訳ございません!!!!」


「……既視感がすごいですね」

 先ほどまでの精緻な論理展開や、惚れ惚れするような朗々とした語り口調が見る影もなかった。


「例の人型ヒトガタを見たという証言は文献上でも非常に少なく、つい興奮してしまい……」


「まあ、少しくらい手を握られたからと言って、減るものでもありませんから。ですが、いきなりあんなことをされたら驚きますからね? 冷静な方のように見えて意外と、そうでないところもあるのですね」

 私の言葉に、レイフ様は恥ずかしそうにこめかみを搔いた。


「そ、それは……。普段は同僚にもこんな姿をさらすことはないと思うのですが。それだけ、レーナ様のお話が貴重だったということです」

 なるほどと頷く。しかし、私はそのレイフ様の言葉を簡単には受け入れられなかった。


「そんなに、珍しい話なのですか? あの少女を目にするのは」


「ええ。基本的には、歴史に残るようなかなり大規模な魔法を行使する際にしか現れず、そのような魔法を行使することが可能な人物は必然的に高名な魔法使いになりますから、ごく一部の人間にしか観測は不可能かと」


「……じゃあ、あの女の子は違うのかな」

 私にとってあの少女は……、レイフ様の言う人型は、ある程度身近な存在だったからだ。気が付くと思わずぽろりとひとりごちていた。


「違う? なぜそう思われるのです?」

 それを耳ざとく聞き取ったレイフ様が、また興味深げに私に尋ねる。


「私はその少女を、魔法を行使しようとする度に見かけるからです。正確には、私が、汎用魔法以外の魔法を行使しようと心象を構築するといつも現れますが……」


「い、いつもですか!?」

 レイフ様の声のトーンが一段上がる。驚いて少しのけぞった私は慌てて付け加えた。


「あの、いつもと言っても、ひとつふたつ、言葉を交わすだけで、気が付いたらすっといなくなってしまうのですが……」


「こ、言葉を交わす!?!?」

 しかし、それが逆にまたレイフ様を驚かせたようだった。


「そ、それも珍しいですか?」

 彼は必死に記憶の中の文献をさらっているようだったが、やがて一つこくりと頷いた。


「ええ。僕の知る限り、例の人型と意思疎通が可能だったという報告はありません……」

 何かを考えるように真剣な表情を見せてから、再びレイフ様が口を開く。


「もし例の人型が、僕の考えるような色典ホールレコードの管理者だとするなら、レーナ様は魔法に対する適性がよほど高いのでしょう。もしかすると、常人には難しいような大規模な魔法も、比較的苦労なく行使できるのでは?」

 しかしそのレイフ様の質問に、私はゆっくりかぶりを振った。


「私にそのような魔法の才能はありません。それどころか、魔法に対する適性は、平凡以下だと思います」


「えっ……」

 レイフ様は驚いて目を見開いていた。そうだ。私に、魔法に対する適性はない。何を隠そう、それが理由で私は今も、継承権を持ちながら、王家のお飾りをやっているのだから。


「私は、汎用魔法以外の魔法を使えません。自身で構築した心象で魔法を行使しようとすると、どうしてかいつも失敗に終わってしまいます」

 一般的に、すでに構築された心象を保存した発動体デバイスを用いれば、人は誰でも魔法の行使が可能だ。だから、自らで一から構築した心証を用いて、何らかの魔法を発動させることができるというのが、最低レベルでの魔法適性と言われている。これが不可能な人間は決して多くはないのだけれど、血の薄まっていないアイブライト朝の貴族であれば、おおよそ七〇パーセント程度の確率で魔法への適性児が生まれるという統計結果もがあるから、一応私は少数派マイノリティに分類されるわけだ。


「そんな……何かの間違い、あるいは特殊な原因があるということは」

 その質問に対しても、私はゆっくりかぶりを振った。


「幼い頃に、有名な魔法の指導員が何人もやってきては、試行錯誤し、そして最終的にはみな、私の魔法適性を見出せずに終わりましたから、おそらく間違いではないかと」


「しかし、先ほどレーナ様は、魔法を行使しようとして、いつも例の人型に会うとおっしゃいました。オリジナルの魔法が使用できないのであれば……」


「言葉のとおりですよ。行使しようとする際に、例の少女に出会います。そしていくらか言葉を交わしたのちに、少女はすっといなくなって、気が付いた時には魔法は失敗に終わるんです。……あの娘はよほど私のことを嫌いなのでしょう」


「そ、そんなことはないと思いますが」

 戸惑ったような表情を見せるレイフ様に、私ははっと我に返った。


「あっ……最後のは忘れてください。私は今更、魔法適性がないことをコンプレックスに思うようなことはありませんから」


「しかし……」


「本当に気にしていないのです。発動体なしに魔法が使えないからといって特に生活に不都合はありませんしね」

 そのレイフ様の様子を見ていると、それが理由で、実質的に父を継ぐ可能性が失われたということは、今はまだ伏せておくのがよい気がする。


「…………」

 私が言葉を切った後も、レイフ様はなにやら真剣に考えこんでいる様子だった。


「どうか、されたのですか?」


「ああ、いえ。少し考えていました。僕の仮説が正しいという前提のもと話を進めると、例の人型と話したことがあるということは、レーナ様は現状世界で最も色典ホールレコードの記述法に精通した人物ということになります。なにせ、その管理者と意思疎通ができるのですから。ちなみに、言葉を交わすというのはどんな内容を?」

 それで私は、やっぱり彼は研究者なのだと気が付いた。おそらく彼は今、私への同情ではなく、純粋な事象への興味から私に質問をしている。そして、それはたまたまなのだろうけど、その方が私にとっては気楽で、話しやすかった。


「ええと、本当に大した内容ではありません。『久しぶりとか』、『少し大きくなった』とか、挨拶だけのことが多いですが、たまに魔法の結果を教えてくれることも。『今日も失敗ね』、といったような形で」


「なるほど。となると、レーナ様の魔法が不成立に終わるのは古典的な心象破綻フォーミングエラーが原因の可能性が高いですね」


「ええ。それは何度も言われたことがあります。私の心象は、普通の魔法使いの方から見るとどうも強い違和感があるようで……」

 ふむ、と顎に手を当てた、レイフ様は研究室のそこかしこに散乱していた紙束をいくつか移動させてから、キャビネットの扉を開いた。


「この水晶を握って、適当な魔法を発動しようとしてみてもらえますか? まあ、ひとまずは、熱で空気を少し温める程度のものでいいと思いますが」

 レイフ様は私の右手をとって、ぎゅっと水晶を押し付ける。手が触れ合うことに、どきりとしたけれど、その横顔があまりに真剣な表情だったから、なんとかすぐに我に返った。おそらく彼はまた、性懲りもなく周りが見えなくなっているに違いない。さすがに私も学習した。こういう彼の行動にいちいち反応していたら、私が損をするだけだ。


「これは心象鏡しんしょうきょうですか?」

 …………やっぱり割り切っても恥ずかしいものは恥ずかしい。


「ええ。構築した心象をそのままの形で保存しておける魔法技術師マギ・エンジニアにとっての便利アイテムです。過去に構築した自分の心象を一時的に記録しておきたいときや、他人に共有したいときに役立ちます」

 つまり、これを使ってレイフ様は私の心象を覗いてみたいということなのだろう。こくりと私は頷いて、自らの内側に意識を向けた。あくまでイメージに過ぎないけれど、私の掌に乗った握りこぶし大の空気だけが、分子運動を活発にし、激しく振動している様を思い描く。それを以って色典を書き換えようとする直前で、私はその魔法を中止した。


「こんな感じでいいでしょうか?」


「ええ。ありがとうございます。では、こちらは少し預からせてください。レーナ様の描く心象を後ほど調べてみたいと思っています」


「えっ……」

 予想外のその言葉に、私は思わず声を漏らしていた。


「あっ……いけませんでしたか? レーナ様が拒否されるのであれば、これはすぐに破棄しますが」


「いえ。そういうことではなく、てっきり今からレイフ様が確認してくださるのかと」

 その言葉に、彼は実に残念そうな表情を返した。


「ええ、そうしたいのはやまやまです。やまやまなのですが……」

 言いながら彼が窓際に寄って、ちらりとブラインドを上げると、外はすっかり日が落ちて真っ暗だった。


「少し興奮して、僕が話しすぎました。さすがに今からこの心象を考察するとなると……。僕は構わないのですが、正直明け方まで、僕はレーナ様を質問責めにしてしまうかもしれません」

 私も慌てて外の様子を確認する。そんなに時間が経過していたのか。彼と話し始めてから、今まで体感では本当にあっという間だった気がする。けれど、今彼との話を切ってしまうのはひどく名残惜しい気がした。


「あの、私は別に構わないのですよ? 先ほどレイフ様がお休みになられている時、私も少しうとうとしてしまったので、変に目が冴えて、眠たくもありませんし」 


「いえ、いくらなんでもそういうわけには……。一晩部屋を開けていたとなると、王宮の方々も心配するでしょうし……」


「王家は、末の子に対してだけは存外に放任主義なのですよ?」


「いや、ですから……。その外にも色々と問題は……」


「問題ですか? どのような?」

 すると、彼にしては珍しく、ひどく言葉を決めかねてから、レイフ様はぽりぽりとこめかみの辺りを搔いた。


「その、僕はこう見えて男性で、レーナ様は言うまでもなく女性ですので。……一晩一緒となると、あらぬ誤解が生まれないとも……」

 瞬間的に、私は自らの顔がぼっと赤くなっていくのを感じた。


「も、もちろんっ、あくまでっ、可能性がゼロではないというお話ですが!」

 先ほどは、レイフ様は周りが見えなくなっているなどと思っていたくせに、今はすっかり私がムキになっていたようだ。


「わっ、分かりました……」

 羞恥で顔をそむけた勢いで、くるりと私はレイフ様に背を向ける。


「今日はこれで、失礼することにします」

 すたすたと、研究室の出入り口へ向かう私の姿を見て、背後ではレイフ様がほっと胸を撫でおろしているような気がした。


「ええ。それから、ゆっくり休んでください。僕の研究室は基本的に常時解放されていますから、もしなにか御用があればいつでも」

 その言葉に、私は、ぴたりと足を止めて、レイフ様の方へ振り返る。


「でも、昼間の様子を見ている限り、レイフ様はいつも、とても忙しくされているのかと」

 彼は、苦笑いを浮かべていた。


「それは、まあ、否定できませんね……。ですが、王女様が御用ということでしたら、あらる仕事に優先して、そちらにご対応しますよ」

 その言葉に、私はまた一抹の寂しさを覚えて、それが彼にとって面倒だとは思いつつも、ふと浮かんだ疑問を口にする。


「私が、王族だから、ですよね?」

 するとレイフ様は一瞬考えてから、すぐに口を開いた。


「顔見知り特権、ということにしましょう。レーナ様はもう知らない仲ではありませんから」

 私は驚いで目を見開く。想像と全く異なる反応をされて固まってしまった私にレイフ様は怪訝な視線を向けていた。


「どうか、されましたか?」

 どうも、してはいない。ただ久しぶりに、ずいぶん嬉しい言葉をかけられたものだと感動しただけだった。


「…………明日も、」


「え?」


「明日もまた来てもよろしいですか? お仕事の邪魔はしませんから」


「あ、え……。はい。それはダメではありませんが、心象の解析はまだ終えていないと思いますが……」

 全く見当外れなレイフ様の返答に、私は、くすりと笑い声を漏らす。


「そういうことでは、ないんです。では、明日も必ず来ますから」


「え、ええ。では紅茶と、今日よりはもう少しましなお茶請けを準備してお待ちしています」


「ふふっ……。どうかお気になさらず」

 最後に私は自分にできる精一杯の笑顔を作って、レイフ様に一礼してから、今度こそくるりと彼に背を向けた。自分の一番きれいな表情を瞬時に作るというのは、いつの間にか公務で得意になっていた。たまにはそれが私生活にも役立つことを私は今、初めて知った。


 研究棟を抜けて、とことこと王宮への渡し廊下を進む私の足取りはいつになく軽い。今日は久しぶりに、いい夢が見られそうだと思う。

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