第3章【あの子だっていつまでも子どもじゃない】④

「……あんた、したことあるの?」

 ロミオが口を開く。声は震え、張りつめた雰囲気だ。その震えがこの空間全体を支配した。魔法がかかったようだった。

 ぼくは突然の問いに、口ごもりながら答える。

「は? いや、ない、よ」

「する? ……あたしも、ないから」

「……」

 ぼくは安堵したが、態度には出せず、何も言えなかった。

 会話は途切れ、広いプールの真ん中で、ぼくらは二人で向かいあって黙っていた。コースを分ける浮きが静かに揺れる音さえはっきり聴こえた。きっとぼくらは、傍から見たらすごくまぬけだろう。

 頭はさらに熱くなっていて、全てが歪んで映る水面を見つめていると、更に激しくめまいを感じた。

 こういうとき、恋愛ドラマかなんかなら、ロミオをぎゅっと抱きしめるのかもしれない。ドラマのワンシーンみたいな表情をする、ロミオを。ぼくは彼女の腕にそっと触れた。

「……隆?」

 人間は、言葉で表現できない好意を誤魔化すために、どこかで見た色恋に当てはめるんだろう。ぼくたちもうまく生きるため、とりあえずそうするべきなのか?

 世の中が、こうあるべきだと決めた、構造に従って。

 ぼくがロミオを強く抱きしめようとしたとき――兄貴の顔が、頭に浮かんだ。笑顔だったけど、どこか悲しそうだった。

 なんだよ、気にするな。おれはもう、そこにいないんだって。兄貴は、そう言っているように思えた。

「ロミオは、今でも兄貴のこと……やっぱり」

「……! 静かに」

 ぼくが言いかけたところで、ロミオが遮った。

「ウソ! 今日は予約してるやつ、誰もいないはずなのに!」

 彼女は何の説明もなく、あわただしくプールから上がった。たん、たん、とくぐもった音が遠くから響く。階段を上る音だ。

 魔法は一瞬で解け、いつも通りのロミオに戻っていた。

 慌てて続くが、体が言うことをきかない。めまいがピークにきている。自分でもうるさく感じるほど、心臓がバクバクと鳴った。

「警備員かも! 勝手に使ってるの見つかったらやばいわ!」

 ぼくがやっとプールサイドに上がる間に、ロミオは壁のハシゴをつたい、二階の手すりをまたぎ、窓の鍵を開けていた。

「部外者のぼくがここに一人でいるのはもっとまずいだろ!」

 息も切れ切れに叫び、プールサイドにうつぶせにへたり込む。ざらざらとした床で顎がすりむける。痛みはあまり感じない。

「……!」

 ロミオは咄嗟に何かを閃いたように、鞄に手を入れた。何か布のようなものを取り出し、それを丸め、二階からこっちに向かって投げ落とした。ぼくの頭の上に、パラシュートみたいに落ちてきた。

 それを拾うなり、言葉を失った。

 ……赤いTバック。あいつ、こんなの穿いてるのか?

「それが、あんたを守ってくれるわ」

 ロミオは気取った調子で呟き、窓から出ていった。階段を上る音が近くなり、誰かの声が聞こえてくる。ぼくの手には赤いTバック。

「……これで、どうしろと?」

 フロント部分に、マジックで何か文字が書いてある。そこには、滲んだ文字でこう書いてあった。


 ――異国で橋を作るきみにイジワルを言わせて

                   おとなになって、おとなにならないで


 これ、なんだ?

 兄貴のことだろうか? これじゃまるで、兄貴が外国に行ったことを責めているみたいだ。ロミオは、応援していたはずなのに。

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