第2章【あたしの一大事は、世界の一大事よ】③
ロミオが通う大学のキャンパスは、緑が多く居心地がよかった。
近くなのに、入るのは初めてだった。ロミオが退学届を置いたというゼミ室は、キャンパスの奥のあたりの人気のない棟にあった。
ゼミ室は小さく、積まれた本や封筒、段ボールで雑多としていた。棚には、聞き覚えのない名前の作家が多かった。わかるのは、石川啄木や、正岡子規、あとは――塚本邦雄。このゼミは短歌の研究を主にしているらしい。
ロミオは、短歌のゼミに入ったことをぼくに言わなかった。これも、兄貴のことを気にして言わなかったんだろうか。
「たしかに机の上に置いたはずなのよ……!」
探せども、ロミオが言う「退学届」らしきものはない。ゼミ生には合鍵が渡されているので出入りは可能なのだそうだが、ぼくは完全に部外者だ。あまり積極的に探すのも気が引ける。
一方ロミオはお構いなしに、引き出しを開けたり、バインダーを開けたりと好き放題だ。それでも見つからず、動きが徐々に緩慢になっていく。これみよがしに、ため息をつくだけだ。
ロミオは、パソコンが乗ったテーブルを激しく叩いた。
「……あー! もうあたしの人生おしまい! もう、死にたい!」
「先生が持って帰ったとしても、まだどうにか取り消せるんじゃないか? 謝れば、許してくれるかもしれないだろ」
「あいつ、あたしのこと目の敵にしてるもん。きっとダメよ。そんな気がするわ。もう、どうでもいい」
彼女は他人事のような調子で言い、窓を開け放った。冷たくてヒリヒリとする風が、部屋中を駆け回った。
「なーんか、最後にこの大学で想い出作りしたいわ。くふ、あたしってば、ロマンチック」
ロミオは指先で、プレートのついた鍵を弄びながら、ぼくに笑いかける。それがヤケになった笑顔なのはよくわかる。それでも、彼女は笑うとかわいい。目がきゅっと細くなって、長いまつげがそっと重なり合う様子なんか、まるでドラマのワンシーンみたいなんだ。
「脳味噌ぶっ飛びそうなくらい、ハメまくりましょうよ。ヤリまくりのハメまくり。きっと、すこぶる想い出に残るに違いないわ」
「……くだらないこと言ってないで、探せ」
彼女の言うことを真に受けないように、と思いつつも、甘い甘い欲望は腹の奥につのった。ロミオは客観的に見ても、なかなか可愛い。でもこれまで、彼女をそういう対象から外そうとしていた。今更、照れくさくて仕方ないから。
彼女は、ぼくとでいいんだろうか?
今、ぼくの体は期待で満ちている。体の全てが熱を持って、蠢動していた。その感じたことがない熱が怖くって、風邪のせいで熱いんだと、自らに弁明をした。
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