第1章【ロミオは、アメリカンドッグみたいな女の子だ】④
「……兄貴のことは関係ないよ。単に、ふと思ったんだ」
ロミオは、兄貴がいなくなってからほとんど、彼の話題をあまり出さなかった。思い出すのが辛いからだろう。今日みたいなことは、珍しかった。
ロミオは、兄貴が好きだった。彼は考えなくてもいいことばかり考えて悩んだが、顔は女の子みたいに綺麗で画になった。ときには、誰よりもバカで無邪気な一面を見せた。人と接するのは苦手らしく、交友や女性関係はわからなかった。(一度だけ、「大学のゼミに、やたらからんでくる女がいるんだ」と苦笑いしていたくらいで)
ロミオは、そんな康兄に、幼いながらに憧れに近い恋心を抱いていた。二人の間には特別な空気が流れていた。兄貴に嫉妬しているのか、ロミオに嫉妬しているのか、自分でもわからなかった。
兄貴はぼくらが幼いころから、短歌について話してきかせた。塚本邦雄みたいな歌人になりたい、と度々語っていた。ロミオにとって、その塚本邦雄の作品から名前をあやかったという背景は、何より誇らしく、兄貴との強い絆を証明するかけがいのないことだった。
ぼくは疎外感を覚え、二人の関係に興味がないふりをしていた。それでも、兄貴が歌人になりたいという夢は応援していた。
しかし、大学を辞める直前から、外国に行くまでの間の兄貴は、様子が変わってしまっていた。短歌ではなく、哲学や現代思想に傾倒し、「社会の在り方」について話すようになった。ロミオは内心戸惑っていたのかもしれないが、それでも熱心に耳を傾けた。
兄貴は、「コウゾウシュギ」という言葉をよく使った。話の一割も理解していなかったが、ぼくなりの理解はこういうことだ。
世の中には目に見えない大きな「構造」があり、それは社会を人知れず支配する仕組みのようなものらしい。やっかいなのは、人はあらゆることを自由に選択しているつもりで、実際はその構造によって無意識に選ばされていることだ。
兄貴は、その構造の一つに、「人間は意味がある人生を送るため、子どもから大人に成長するべきだ」という通念があると言った。
結局、この世界の構造は、大人にとって都合のいいものなんだと兄貴は憤り、教師が生徒の答案に「○×」をつけるような環境から脱却するべきだと主張した。「○」を集めて生きることからの卒業だ。兄貴は、「俺は○ではなく、環を閉じず、完結しないぐるぐるした渦巻きでありたい」とも言った。
わかるようでわからない話だ。彼はその結論として、外国で無意味な橋を作ることにたどり着いたらしい。
手紙が届いたときも、ロミオは「康兄はやっぱりすごい!」と喜んでいた。「構造」が牛耳る世界から、脱却できたとでも思ったのだろうか? ぼくにとって、構造なんてどうでもよかった。
そんなことより、歌人になるんじゃなかったのかよ? 脱却なんかじゃない。結局しっぽをまいて逃げたんだ。
その怒りを抱いたとき、ぼくは兄貴に憧れていたことに初めて気付いた。でも、橋を作る話を聞いてからは、彼みたいになってはいけないと思った。しかし、ぼくと兄貴は似ている。ぼくらはすごく臆病で、ケーキの箱を片手に走ることさえ、ままならないのだ。
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