第3章【あの子だっていつまでも子どもじゃない】①

〈2/8(Sun.) 10:39〉


 ガラス張りの天井から陽の光がたっぷり注ぐ、広々とした室内プールだ。水面は光を反射し、ぬるい水が誘うようにたゆたう。電気をつけていないせいで日差しが暖かく、柔らかく感じられた。小学生の頃感じていたような、強いカルキのにおいはしない。

 このプールの特有のものなんだろうか。それとも、ぼくの鼻が鈍くなっているんだろうか?

 水を蹴る音が、広い天井に吸い込まれた。ぼくは膝を抱えて座り、きれいなクロールで泳ぐロミオを目で追っていた。息継ぎのたび、リズミカルに彼女の柔らかそうな耳がわずかに覗いた。

「やりまくり」はどこへやら、プールにたどり着いてから一五分ほど、ロミオは黙々と泳ぎ続けている。最初は照れ隠しかと思ったが、やめる気配がないので声をかけてみた。

「ロミオ?」

 反応はない。プールサイドを走り、泳ぐ彼女を追いかけた。彼女は泳ぐのをやめて立ちあがり、ゴーグルをつけたままこちらを見る。

「なに? 走ると危ないわよ。プールサイドは走っちゃダメ。マットの耳はしまわないとダメ。よくわかんないけど、世の中ってだいたいなんだかおおむねしばしばそういうもんらしいわよ」

 ぼくは、恐る恐る尋ねてみる。

「……『ヤリまくりのハメまくり』は?」

「なーんか、嫌になっちゃった」

 彼女はゴーグルを外してプールにつけ、それから水を切る。こちらを見ようとせず、水面に映る自分に話しかけているみたいだった。

「せーりかな、お腹痛いし。プールも血で染めてやりたいわ」

 想像した。彼女から滴る血が水に広がって、滲んでいくところを。薄いカルキのにおいと、彼女の鉄のにおいが混ざっていくところを。ロマンチックからは程遠い、血なまぐさい現実を。

 ロミオは再び泳ぎ始め、今度はターンせず、その場で立ちあがった。しばらく俯いているが、だんだんと肩をふるわせ始める。

「……泣いてるのか?」

 彼女は、水面に向かい拳を突き立てた。小さなしぶきがあがった。

「泣きたくもなるわよ! だって完全にあたしが100パー悪いじゃん! 退学になっても誰も同情してくれないわよ!」

「さすがにそれはわかってんだな……」

 ロミオの言動は、一般的に考えれば、なにをどうしたいのかわからないものでしかない。自分勝手なくせにナイーブで弱い。そんな彼女にいつも振りまわされ、腹が立っているのも事実だ。でも。

「ふ、」

 ぼくはそっと息を漏らす。思わず、笑いがこぼれたんだ。自分でもびっくりする。ロミオの自分勝手さを――本当にときどきだけど――彼女の言葉でいえば『だいたいなんだかおおむねしばしば』可愛く思ってしまっている。

 アメリカンドッグを、好きになり始めているんだろうか。

 そんな気持ちを、今更どうやって伝えればいいんだろう。

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