第4章【美人のおねーさんが仲間になった!】①

 混乱したぼくに迫るように、ひた、ひたとプールの床から吸いつくような音が伝わってくる。

「誰、お前?」

 頭上から声が聞こえた。

「勝手に泳いでたのお前か? あのな、とりあえず見逃してやるけど、私じゃなかったらどうなってたと思う? おいって」

 素っ気ない喋りの女の声だ。ぼくは平静を装って顔を上げる。

 立っていたのは、三十代半ばくらいの背の高い白衣姿の女。眉根をひそめながらしゃがみこみ、倒れ込んだぼくの顔を覗きこむ。

「体調悪いのか? おーい」

 女はぼくの頬をぺちぺちと叩く。掌は冷たくって、ロミオの手とはまるで違う感触だった。

「あの、医務室に……」

 ぼくは女に手を伸ばし、呻くように言った。

 よし、病気のおかげで、忍びこんだことをうやむやにできそうだ。と思った瞬間、女は顔色を変えた。

「あ? お前、下着泥棒か!」

「は? え?」

 そうだ。ぼくの手には、ロミオの下着が握られていた。

「違いますよ、これは渡されて……」

「どこのアバズレ女が自分のパンツ渡すんだよ」

 彼女は、ぼくからパンツを強引に奪い取った。だが、それをしげしげと見て、固まる。

「……これ、門田ロミオのか? なるほど、そりゃアバズレだ」

「ロミオを知ってるんですか?」

「あぁ、一応、ゼミの担任だからな」

「貴方が忌野さん?」

「あ? まぁ、本名じゃねーけど……。お前、誰だよ」

「ぼくはロミオの……まぁ、昔からの知り合いというか」

「昔からの? そりゃ気の毒なやつもいるもんだな。聞いてくれよ、これもさ」と忌野はTバックを握り締めながら、力説する。

「昨日、ゼミで久々に飲み会したんだよ。そしたらあいつ、私が歌人だからって『歌集出したいから見てくれ』ってノート突き出してきてな。それがしつこいんだ。生徒の創作は、基本見ないことにしているんだよ。あくまで、研究のゼミだからさ」

「創作って、ロミオが?」

「あぁ。魂胆ミエミエなんだよ、編集者に口きいてもらおうってんだろ。甘すぎるっての」

 ロミオが短歌を詠むなんてきいたことがない。ゼミに入っていることだけでも驚いたが、さらにショックを受けた。

 兄貴の後を追って、歌人に?

 それは、ぼくには言えないことだっていうのかよ?

「あんまりしつこいから、『こんなのお気に入りのパンツにでも書いとけよ』つったんだよ。そしたら、マジで書いてやがるし。こんなレベルで塚本邦雄なんてよく言うぜ」と、忌野はパンツに書かれた短歌を読み、忌々しそうに呟く。

「橋、ね。ふん、気にいらねーな」

「……ロミオなら。あいつならきっと、歌人になれます」

 ぼくは立ちあがり、自分の意志とは無関係に反論していた。初対面の人に何をムキになっているんだろう。

 いつもロミオの自分勝手さに憤りながら、他人に揶揄されるのは許せなかったのだ。自分勝手な感情だ、とわかりながら、言葉の熱はさらに加速していった。

「ふぅん。庇うのか? あいつにそんな才能や根性があるかね」

「才能とか根性はわからないですけど……絶対、自分の願いくらいは叶えて見せるはずなんですよ」

 ロミオは今でも、ぼくらが子どものころに流行ったミサンガを着けている。ミサンガには、それが切れたとき願いが叶うというフレコミがあった。もちろん、自然に切れるから叶うんだ。

 でもロミオは、歯で噛んでボロボロにし、すぐ切れるようにしていた。クラスメイトは、それをみっともないと笑った。だが、ぼくだけは違った。

 ロミオは目的のためには手段を選ばない。

 それが、潔く眩しく見えた。それは今でも、変わってないはずだ。

「少なくとも、何もせず自分にいい訳することはしないはずです」

 肝心の、ロミオの願い自体はぼくにもわからないんだけど。

「なるほどな。お前みたいに甘やかすやつがいるから、ロミオはこんなことするやつになったのか」

 忌野は鞄の中から一枚の紙を取り出し、ぼくに見せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る