#16 へにゃへにゃ

「えー、我々は犯罪者になりたくないので、休戦協定を結びました」


 絨毯の上にぴしりと正座をしたムツキが宣言する。その両側には同じ姿勢のユイとコトニがいる。神妙な面持ちの三人は、雰囲気に飲まれた様子で肩を張るシロと向かい合っていた。


 そもそもなぜこうなったのかと言えば、それは三十分ほど前まで遡る。


 昼食を終え、少しぎくしゃくとしながらも、不言コトニは決してシロを放さなかった。


 以前と比べると少しだけ進展し、同時に後退もした関係性でありながら、変わらずに接してくれる不言コトニが嬉しかった。


「シロちゃん、シロちゃん。午後は何しよっか」


 ティーポットを傾けてコトニが尋ねてくる。


 汚れ一つない口から流れ出るのは、鮮やかな薄紅色が特徴の紅茶だ。


 ふわりと漂う花の香りに目元を緩めつつ、シロは予定表を脳裏に描く。


「勉強の方は一区切りついてるから――あ、そうだ。あのね、トモミさんに聞きたいことがあって」


「トモミさんに? アタシじゃ駄目?」


「う、うーん、駄目なわけじゃないけど……」


 できれば親代わりのトモミに訊きたい、というのがシロの思いだった。


 やんわりと言葉を濁すが、対するコトニはといえば宝石のような瞳を柔和に歪めて覗き込んでくる。


 コトニの瞳は嫌いではない。むしろ好きだ。図鑑で眺めるばかりだった宝石や鉱石とそっくりだったから。しかし――しかしである。シロは胸の内に芽生えたむず痒い感覚にさいなまれていた。


「じゃあアタシに訊いてよ。何が知りたいの?」


 拒否などなかったかのように、コトニの指がシロの手の甲をさする。


 言い淀むシロを促すように、コトニが目を細める。今朝の行為を思い出して、ぶわりと熱が顔に集まる。シロの機敏を目敏く察知したらしい彼女は、くすりと肩を揺らした。


「意識してくれるのは嬉しいけど、これじゃあお話しできないね?」


 揶揄を含ませて、コトニはするりとシロの手を放す。手の甲に残った熱が名残惜しかった。右手を摩りながら、シロはそれを口にする。


「せ、精子が卵子と合体すると受精卵ができて、そこから子供ができるのは知ってるんだけどね、どうやって合体させるの……かなぁって」


「…………」


 コトニが固まる。


 少し待つようにと手を掲げると、マグカップを持ち上げた。唇をつけ、そうかと思えば「熱い」と仰け反る。彼女は少しの間唇を押さえて視線を彷徨さまよわせた。


「そ、それはつまり、セックスのやり方ってこと……?」


「あ、いやっ、えっとね、それは知ってるよ! 男性器を女性器に――」


「ああああっ、待って待って、生々しいから! えっと、うん、それは知ってるんだね!」


 なるほどね、と焦った様子で両手を振り回すコトニ。そうかと思えば腕を組み、思案する。


「シロちゃんは一体何が知りたいのかな?」


 何を、と言われても。シロには説明のしようがないのである。男性器と女性器の結合の方法、それは分かる。それは教科書で学習したのである。しかしシロにとって無視できない問題が一つあった。


「へにゃへにゃだよ?」


「……へ?」


「へにゃへにゃだし、その……くしゃってならないかなって……」


「…………」


「…………」


「……何が『へにゃへにゃ』で『くしゃっ』なのかな?」


「男性器」


 スゥ、と深く息を吸い込むコトニ。額に手を当て、天井を仰ぐその姿は、まるで絵画のようだった。


「コトニちゃん……?」


「……会議開いてくるからちょっと待ってて」


 その言葉からおよそ三十分。戻ってきたコトニと、連行されてきたムツキ、ユイの三名は、先の宣言を口にしたのであった。


「休戦……協定……」


 宣言こそ首肯一つで受け入れたシロであったが、釈然としないままビーズクッションに腰を埋めていた。


 どうやって男性器を女性器に挿入するのか。


 どのようにして、それに足る強度を得るのか。


 その回答が、依然として得られないのである。


 嫁の三人は男性器を持ち合わせていないし、知らないのも仕方ないか――少し残念に思いながらも、回答を渋るのももっともな理由である。


「つーか、なんで小生が説明してるんスか。コトニ氏が言い出したことなんだから、コトニ氏が説明するのが道理でしょうに」


「だってだってだってぇ! オブラートに包んで説明するなんて無理だもん! 語彙が足りないもん!」


「はいはい、もんじゃもんじゃ」


「あしらい方、雑すぎない?」


 神妙な顔つきで拳を固めた少女たちは、互いに小突きながら話の続きを促している。


「まあね、クソ生意気にも宣戦布告したコトニ氏ですけれども、このありさまですので。シロ氏にもご理解いただきたく」


「えっと、何が起こっているのかさっぱりなんだけど……」


「しばらくセックスはお預けッス」


「そっか」


 セックス、もとい性行為。シロの人生において必須の行為。確かに今朝のコトニの様子を見る限り、他の少女とも控えた方がよさそうである。


 不言コトニは震えていた。シロを押し倒しておきながら、宝石のような瞳に恐怖の色を宿していたのである。


 性行為に対しての恐れなのか、それとも行動に移した己に対する衝撃なのか――本意は計りかねるが、誰よりも積極的な彼女は、誰よりも臆病だった。


「この一件については、トモミさんの監督不足だと思うのだけど」


「監督ゆえにだと思うッスよ、ユイ氏。……はー、トモミさんの性癖が見えてきたわ」


 こんなところで知りたくなかったわ、と一人頭を抱えるムツキ。声には疲れが滲んでいる。


「まあ、遅かれ早かれ知るとは思うんスけどね。別に実践の中で知ればよくないッスか?」


「もー、ムツキちゃん、それは駄目って約束でしょ⁉ せっかく話し合ってきたのに!」


「はいはいはいはい、サーセンっした。まあ、という訳なんで。どうしても知りたいというのであれば、書物庫に行ってみるのはどうッスかね?」


 書物庫。反芻するシロ。初めて聞く名前であった。


「研究所――失礼、この『家』の外にある図書館ッスよ」


「あっ、図書館なら知ってるよ! たくさん本が並んでいるんでしょ?」


「そーそー。行ったこと、ある?」


「ううん。あまり『家』を出たことないから」


「んじゃ、試しに行ってみようかね。自分で調べる手段を覚えた方が、のちのち役に立つでしょ?」


 ニッと口角を引き上げるムツキ。シロは目から鱗が落ちる気分だった。


 シロが知らないことを知る時、第一に思いつく手段が「人に訊くこと」であった。機会を窺って尋ねて、解決すればそれまでだ。しかし先の不言コトニのように、易々と事が進まない場合も存在することだろう。


 その場合に頼れるのが書物、言うなれば先人の知恵である。語ってみせるムツキは少しだけ得意げで、それでいて確かな自信を持っていた。


「シロちゃんには、ちゃんと知ってもらわなきゃならない。世界の光が隠そうとしている、暗く冷たい闇を」

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