世界でいちばん無垢なあなたへ

三浦常春

1日目、母体と顔合わせ。 

#1 プレゼント

 胸が膨らみ、局部に毛が生え、初潮や精通を迎える頃合いを第二次性徴期と呼ぶ。


 そんなことは一世紀以上も前から周知のことで、当然西暦二一〇〇年代に突入した現世においても同様であった。


「――ということで、さっきシロちゃんに起きた現象は“困ったこと”ではなく、むしろ喜ばしいことなんだ。どうだい、理解してもらえたかな?」


 くい、と眼鏡を押し上げて、その女性は短く切りそろえた髪を揺らす。その向かい、薄桃色のかわいらしいベッドに腰掛ける少女は、顔を覆って耳まで赤くしていた。


「じゃ、じゃあ、ぼく、もう赤ちゃんできるんだ……」


「赤ちゃん、欲しいかい?」


 尋ねる女性の口調は優しい。回答によっては、すぐにでも子づくりを始めようと言い出しそうだ。


 成人年齢の二十才を優に超え、生と経験を刻んできた魅力は、長い付き合いである少女にとっても、色鮮やかな毒花のように見えたのであろう。うるうると、若草色の瞳を潤ませて面を伏せた。


「わ、分かんないよ。赤ちゃん、かわいいって聞くけど、見たことないし……あっ、本でなら見たことあるよ? トモミさんが教えてくれた本。でも、実際に触るのとじゃ、その……違うでしょう……?」


 その回答に気をよくしたらしい女性――鴨ノ羽かものはトモミはフと相貌を崩す。


「うん、流石はお姉さんの教え子。思慮深い。だけど安心して。子供ができてもお姉さんたちが全力でバックアップするし、子づくりも子育ても、両方とも専念できる環境を整えてあげるからね」


 限られた人物にのみ“子の元”とその資格が宿るこの世界では、次世代を作りうる人間は丁重に管理される。言うなれば、鴨ノ羽トモミは管理者に当たる人物だ。


 対するシロは管理される側――“子の元”と、その稀有な体質から次世代を作る資格を与えられた人物であった。


「トモミさんがそう言うなら、きっと怖くないね。人類のためにも、ぼく、ちゃんと子供を作らないと……」


「うんうん、その意気だ」


「でも、一人じゃ子供って作れないんでしょう? 相手の人が必要だって……」


「そうだね。卵子には精子が必要だし、精子には卵子が必要だ。つまり、シロちゃんに必要なのは、“子の元”の器たる卵子というわけだ」


 ピンと指を立てて、トモミは今しがた講義に用いていた電子モニターをタップする。


 ちょうど今朝方、十四年という人生において初めての夢精を経験したシロは、これまた人生において初となる性教育を受けていた。


 第二次性徴期まっただ中の十四才の身体――男性と女性の、『普通』の身体を目にしたことがないシロにとって、それは刺激が強すぎるものだった。情欲を掻き立てられることこそないものの、小さな両の手で視界を遮らなければ見ていられない。


 さっと視線を逸らせば、トモミがフと笑みをこぼす。


「もう裸体は写っていないよ。ほら、見てごらん。これが卵子と精子だ」


 半透明の球体とオタマジャクシのような白が薄型の液晶に映る。トモミがそれを叩くと空中に投影され、細い指に合わせてくるくると回転した。


「こ、これが、ぼくの下着に付いてたやつ……?」


「約九百倍に拡大したものだから、実際はこれの九百分の一サイズだ。加えて精漿せいしょうも一緒に吐き出される。だから正確には、今朝のシロちゃんの下着に付いていたものの一部、ということになるね」


 小さな小さなオタマジャクシが、自分の体内にいる――そう考えるだけで、シロは身震いをした。


 オタマジャクシが球体に突き刺さり、子を作る。人類、もとい生命の神秘と言えるだろう。たったそれだけで世代が繋がれるのだ。


 なんて神秘的で、単純だろうか。


 シロは息をするのも忘れて、宙に浮かぶ球体とオタマジャクシに見入っていた。


「寝ている最中に精液が自然と吐き出されることを夢精と呼ぶ――とは、つい先程の説明通りだけど、起きている最中はこういうことはないから安心していいよ。刺激がなければ、ね」


「刺激?」


 きらりとトモミの目が光る。気になるかい、そう言わんばかりに、真っ赤な口紅が孤を描く。対するシロはぽかんとするばかりであった。


「冗談は置いておいて、今日の講義はここまでにしよう。ところでシロちゃん。晴れて精通を果たし、大人への第一歩を踏み出したシロちゃんにお姉さんからプレゼントがあるのだけど」


「えっ、プレゼント⁉」


 それが何であろうと、プレゼントという言葉は、シロにとって泥沼に見出した一本の木のようだった。追い縋り、無邪気な――年齢にそぐわない、幼い笑みを見せる。


「プレゼント、プレゼント! ねえねえ、どんなプレゼント? もしかして、お外に行けるようになるの?」


「残念ながら、それはまだだよ。だけどきっと、シロちゃんの生活に目も眩むような大輪と、潤いと温もりに満ちた豊かなオアシスを与えてくれると保障しよう。――さあ、入っておいで」


 パチリと、トモミが指を鳴らす。それとともに空気の漏れる音、扉の開閉を告げる電子音が鳴る。


 シロに与えられた個室は狭くない。


 床面積にして約三十畳。タンスやベッド、絵本ばかりの収められた本棚が並んでも、ブロックや人形などの玩具を優に広げられるだけの空間を持つ。世話役の鴨ノ羽トモミが尋ねて来ても、他の世話役が大勢押し寄せても、全く問題はない。


 それだけの空間が確保されているというのに、シロは息が詰まるような閉塞感を覚えた。


「紹介しよう。彼女たちが、キミのお嫁さん候補だ」


 一人は涼やかな目に長い黒髪の少女。


 二人目は人形のようなかんばせと金のおさげが特徴の少女。


 三人目は乱雑な身なりに薄暗い隈を帯びた目を持つ少女。


 それが、つい先程まで精子と卵子が写っていた空間に立っている。


 シロは見惚れていた。初めて見る同年代の少女たちに。彼女らが秘める、ただならぬ決意に。


「特別でかわいい、お姉さんのシロちゃん。お姉さんの教え子。キミには人生で最も大切なミッションを与えるよ」


 ミッション、と鈴のような声が反芻する。ゆっくりとゆったりと、高いヒールを打ち鳴らして近付くトモミ。彼女は、未だベッドに腰掛けたままのシロの脇へ膝をついた。ベッドのスプリングが軋む。生温かな吐息が唇を掠める。


「あぅ、トモミさん、ちか――ひっ!?」


 白魚のごとき指がシロの股座またぐらを這う。ぞわぞわと甘い痺れが恥骨から背骨にかけて駆け上がる。


 他人より与えられる快感を知らないシロは、尻をずらしてトモミから逃げようとした。しかし女性は真っ赤な唇を蠱惑的に歪めたまま、距離を詰める。シロの頬が熟れた果実のように赤くなる。


「と、トモミさ……っ」


「この慎ましやかな睾丸に秘める”子の元”で、優生遺伝子あの娘たちを孕ませるんだ」

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