3日目、揺らぎ
#14 アルファ
嫁候補との出会いから三日目の朝、シロは身体に圧し掛かる重みとともに目を覚ました。
ふわりと漂う甘い香りはひどく既視感を覚えるものだった。
「ことに、ちゃん?」
シロの胸に腕を回し、足を絡める。平生とは異なり、髪を無造作に流すその様は、さながら一つの絵画のようだった。
枕元の時計を一瞥して、コトニの肩を揺する。呻きを上げた少女は寝転んだままグググと身体を伸ばすと、「あれ、寝ちゃってた……?」と眠気眼を
「えへへ、目覚まし役が一緒に寝てたんじゃあ仕方ないよね。おはよ、シロちゃん。いい朝だね」
つい、と指の背がシロの口端を撫でる。「よだれ、垂れてた」と微笑むその姿に、思わずシロは頬を赤らめる。
昨晩のコトニはシロの嫁となることを承諾したのだった。それはシロにとって喜ばしいことであり、同時にむず痒くもあるのだった。
「……やっと意識してくれた?」
「え……?」
「アタシがお嫁さんってこと」
半身を起こしたコトニがシロへと近づく。這うように、ゆっくり、ゆっくりと。たわわに実る胸がシロの身体の上を通る。
思わず
「あ、あの、あ、コトニちゃん?」
「ん?」
「ち……乳房、当たってる……」
「ぶはっ、乳房って」
色気がないなぁ、とシーツに頬杖をつき、シロの顔を覗き込んでくる。ふさりと綺麗な弧を描く
固まったままのシロを見下ろして、コトニは無邪気に、しかしどことなく妖艶とした雰囲気を纏って目を細めた。
「ほんと、かわいいね。おっぱいくっつけただけで赤くなっちゃって。アタシ、もう待てなくなっちゃうよ?」
シロの頬にコトニの手が触れる。トモミのそれとは違う、かすれ一つない瑞々しい肌。しっとりと吸いつくその感触に、先日の講義を思い出す。
精子と卵子――結合して、初めて意味を成す細胞。それが運命であるように、宿命であるように、ひしりと同化する。触れた皮膚と皮膚が溶け混ざり合う。そんな錯覚を覚えた。
「盛るのは勝手だけど、せめて朝食を食べてからにしてくれないかしら」
コトニの襟首を掴み上げた人物は、呆れ声を降らせる。ユイだ。昨日に続いて今日も顔を見せてくれたらしい。
「お、おはようございま~す」
「おはよう、コトニさん。二回目ね。よく眠れたかしら」
「おかげさまで……」
肩をすぼめ、じりじりとシロの上から退くコトニ。拗ねたように突き出された唇が、彼女の幼さを物語る。
「起こしに行ったきり音沙汰がないと思ったら、一緒に寝ているだなんて。それでも母体として選ばれた人間なのかしら」
「そ、それは関係ないでしょ⁉」
ばっと顔を上げるコトニ。しかしユイはといえば知らぬ顔だ。
「早く用意をしなさい。ムツキさんの手料理、すごいんだから」
「えっ、そんなに⁉」
「レストランレベル」
「んっ、んん? そ、それはすごいの?」
聞き覚えのない言葉に首を傾げつつ『食堂』へと向かうと、そこにはムツキの他に鴨ノ羽トモミの姿があった。
いつもと変わらぬ白衣姿。シロと目が合うと、ふと口角を緩める仕草も昨日と同じだ。思わずほっと胸を撫で下ろす。
「おはよう、シロちゃん」
「おはよう、トモミさん!」
通算四度目となる、嫁たちと囲む食卓の席。ようやく慣れてきたシロだったが、不意にあることに気づく。
机の上が閑散としているのである。
確認できるのは二人分の食事――トモミとシロの分であろう。他三人の食事は、未だ並んでいなかった。
「ご飯……?」
「ん、今よそるから待ってね~」
台所に立つムツキがそう呼び掛ける。五分と経たないうちに彼女は三つの大皿を運んできた。
「ほい。とりま、今日は簡単にボンゴレビアンコ、ペスカトーレ、それからカルボナーラね。カルボナーラは乳製品の代わりに豆乳を使ったヤツだし、ユイちゃんでも食べられると思うッスよ」
色とりどりのソースを纏う麺たちは、湯気とともに食欲を刺激する芳ばしい香りを立てる。料理を机の上に並べておかなかったのは、どうやらできたてを提供するためであるようだ。
「え~っ、選べない! シェアしよ、シェア!」
小皿とフォークを手に机へと齧りつくコトニ。その様子を見てかトモミは重々しい溜息を吐いた。
「朝から若いねぇ」
胃もたれするわ、と洗練された動作で箸を運ぶトモミ。
彼女の前には、いつもと変わらないプレートが並んでいる。今日は魚肉がメインであるようだ。シロはもはや定番となったトモミの相向かいに座ると、矯正用の輪がついたままの箸を取り上げた。
「ね、ぼくも食べていい?」
根負けしたようにトモミが肩を落とした。
「少しだけね」
許しが出た瞬間、待っていましたとばかりに、件の麺が取り分けられる。シロはそうっと橋を操って、一本の麺を口の中に入れた。
「っ、これ初めて食べた! なんか……変な食感。美味しいね、甘くてトロトロしてる」
「はは。保存食をチンしただけなのに、こんなに喜んでもらえるとは。こりゃ食べさせがいがあるッスねぇ」
もっとお食べ、と次から次へと盛られていくスパゲッティ。ちゅるちゅると、一本一本丁寧に口に運ぶシロが到底間に合うはずもなく、和食一色だったプレートはすっかり和洋混合の鮮やかな膳へと変貌を遂げた。
「こ、こんなに食べられないよ……」
「あはっ、もっと食べないと大きくなれないぞ~? アタシが『あーん』ってしてあげるっ!」
花を飛ばしながら、コトニがフォークを取り上げる。自分で食べるよりも食べさせてもらった方が早く汚れないことを知るシロは、素直にそれを受け入れた。
「ところで昨日話していた件、決着はついたのかい」
ぴしりと、空気が凍りついた。
「あちゃ……もうお耳に届いてまして?」
「届いてましてよ、二人静ムツキさん。……不言コトニさんの覚悟は聞き届けたよ。あとの二人はどうする?」
二人――ムツキとユイ。ユイはムツキの様子を窺っているようだったが、対するムツキはといえば軽く肩を竦めて、
「一応、続投の意志はあるとだけ。ま、別の候補がいるんだったら取り替えてもらって構わないッスよ。条件に合う女の子が存在すれば――の話ッスけどね?」
と口にした。挑発的なその口調にトモミの顔が険しくなるが、これ以上の追求は無意味と悟ったのか、深い溜息を吐いた。
長い沈黙の末、四つの視線はやがて一点に集まる。
「え、ボク?」
「この空間においてはシロちゃんが群れの
淡々と、トモミは語る。
五人の中で唯一の精子を持つ少女、シロ。シロがいなければ受精卵はできず、つまるところ子供も生まれない。
誰を選び、誰と子を作るか――その全権は、無菌室に育てられたまっさらな少女に託された。
「……子供は残すよ。それがぼくのお仕事だから。そうでしょ、トモミさん?」
そう尋ねると、トモミは頷く。その眉が微かに
「決まりだね。……タイミングは三人に任せるよ。縹ユイはこの後、私の部屋に来なさい。改めて意志を確認する」
それだけ口にすると、トモミは席を立つ。残った食事をゴミ箱に投げ捨てて、つかつかと食堂を出て行ってしまった。
また怒らせてしまっただろうか。シロは眉尻を下げて扉の方を見やる。
プシュ、と空気の抜ける音とともに閉まった扉が再び口を開けることはなく、ただ無機質な面を
「お勤めがんばろーね、シロちゃん」
にっこりと微笑むコトニを認めて、シロは少しだけ恐ろしくなる。
「ぼ、ぼく、九時から勉強の時間なんだけど……」
「じゃあアタシとお勉強、しよ? シロちゃんが知らないこと、いーっぱい教えてあげる」
シロはぱちくりと目を瞬かせた。
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