#13 どうしたい

「盛り上がっているところ申し訳ないのだけど、祝福はできないわね」

 不意にユイが口を開く。

「私だって、諦められない理由があるの。あなた一人に美味しい思いはさせないわ」


「あらら、対抗心剥き出し……。ま、小生はどっちでもいいッスけどね。シロちゃんのしたいようにすればいい」


「ムツキさん⁉」


「だってそうでしょ、これは小生たちだけの問題じゃない、シロちゃんの問題でもある。我々だけで決めるのは傲慢がすぎるっつーの」


 吐き捨てるように言うムツキ。その反応は予想外だったようで、平生は表情の動かないユイが驚愕の色を見せる。


 子供を作ること、それはシロにとって義務であった。しかし――とシロは考える。ムツキは、まるでそれ以外の道を知っているかのような口振りだ。そんなもの、あるはずがないのに。


 目を瞬かせるシロ。ムツキは少し困ったように笑いながら、穏やかに問い掛けた。


「シロちゃんはどうしたいんスか。もうコトニちゃんだけでいい? それ以外はいらない?」


 僕は。僕は、どうしたい? 目の前が揺らいだ――その時だった。


「こらーッ!」


 室内に響く大きな声。開け放たれた扉には、一人の女性が立っていた。


 シロの世話役、鴨ノ羽トモミであった。普段の白衣とは異なり、ティーシャツにハーフパンツという非常にラフな格好をしている。シロは寝間着姿のトモミがいっとう好きだった。


「あっ、トモミさん!」


「騒がしいと思ったら、シロちゃんまで連れ込んで。いったいどういうつもり?」


 ぱっと目を輝かせるシロを一瞥して、トモミは三人の嫁へと向き直る。歓迎を表するシロに対して、頬を引きつらせていた。


 シロは無断外泊をしているような状態である。トモミに許可を取らず、ベランダからこっそりと連れ出した。それを子供の遊びと見逃してくれるほど、この世界はたおやかではない。


「トモミさん、トモミさん、あのね、みんなと遊んでたんだよ。パーティーやってたの!」


「パーティー?」


 怪訝そうなトモミの目が、ローテーブルの上を見遣る。そこには雑然と並ぶ菓子や食器がある。言い逃れはできない状況であった。


「シロちゃん、お姉さんとの約束、破ったね?」


「あ、あう……ご、ごめんなさい……」


 喜色一色だったシロの顔が、一瞬にしてしょぼくれたものへと変わる。ぺしゃりと垂れ下がった耳や尾を幻視する。その時だった。かたりと堅いものの動く音がする。どうやら少女たちの囲む机の上で、マグカップが揺れたらしい。


 ふと目をやれば、そこには凛然として立ち上がる二人静ムツキの姿があった。


「シロちゃんを連れて来たのは小生です。あんま責めないでやってください」


「二人静ムツキ……あなたなら分別のある行動をしてくれると思っていたけど、とんだ勘違いだったようね。失望したわ」


「……アンタに失望されたところで、こっちのキャリアには何の傷もつかねぇっつーの」


 吐き捨てるムツキ。その顔は歪み、嘲笑的だ。しかし対するトモミはといえば、それに青筋を立てることもなく、ただ無反応に、何事もなかったかのようにシロを引き上げた。


 予想もしていなかった動きに思わずつんのめるシロだったが、柔らかいもののお陰で衝撃こそ少なかったが、平生とは比べものにならないほど乱暴な仕草に、すぐに表情を硬くする。


「お、怒ってる?」


「……ええ、とってもね」


 シロにとってトモミを怒らせることは珍しくない。読書に夢中になるあまり就寝時間を過ぎてしまったり、あるいはいつまで経っても目覚めを迎えなかったり。時には嫌いな食べ物を捨てていることがバレてしまったり。幾度となくトモミの雷は受けてきた。


 しかし――と、シロはこっそりトモミの様子を窺う。


 こんなにも静かな怒りは初めて見た。語尾を荒げることなく、眉根を寄せて確かな憤怒を湛えている。まるでベッドの下の怪物のごとき様相に、シロは一人身体を震わせるのだった。


「とにかく――戻るわよ、シロちゃん。早く寝ないと大きなれないわ」


「ま、待ってよ、トモミさん……!」


 ぐいとシロの細腕を持ち上げて、トモミは部屋の扉へと引き摺っていく。まるでシロのことを考えない暴力的な仕草に、身体の芯が冷たくなる。


「まっ、また遊ぼうね……!」


 閉まる扉に呼び掛けるも、答える声はなかった。



   ◆◇◆



 いつものように絵本を読み上げ、シロを寝かしつけた鴨ノ羽トモミは、ある一室を訪れていた。


 ワインレッドの絨毯に、猫足の机と椅子、壁際では暖炉がパチパチと鳴る炎を抱いている。その傍では、一人の女性と小さな包みを乗せたロッキングチェアが音を立てている。


 トモミの訪問に気付いたのか、女性は顔を上げてフと笑みを見せた。


「あは、お疲れのようやね?」


「……うるさい」


 パチリと火が爆ぜる。


「負けそうやからってチェス放り出したと思ったんやけど」


「そんな訳ないでしょう。あれは私が勝つ流れだった」


 トモミは椅子に――ほんの数刻前まで自身が座っていた椅子に腰を下ろす。すっかり冷えた座面に思わず眉を顰めると、目の前の女性がくすりと笑った。


「しっかし、ムツキちゃん――だっけ? あの子、すごいなぁ。いったいどうして、んやろな」


 赤外線センサーでも搭載しているのかな。赤い髪を揺らして、その人は笑う。


 シロの脱走に反応が遅れたこと、この理由として監視カメラが反応しなかったということがある。


 彼女が『家』の外に出るためには、たった一つの扉――廊下に面した、指紋認証機能つきの扉を開けるしかないのである。


 加えて彼女が別の『家』、もとい二人静ムツキの部屋に辿り着くためには廊下を歩かねばならないし、そこには監視カメラが張り巡らされている。


 一度たりとも監視カメラに映ることなく目的地に辿り着くことなど、不可能だ。


「さあね、ただの偶然だと思うけれど。シロちゃんをベランダから連れ出し、隣のベランダへと移り、室内へ入った。でも室内には監視カメラがつけられているし、それに一度たりとも映らずに移動するのは不可能なはず……」


「ククク、まるでマジックやんな?」


「……何がおかしいの」


「いーや? 同じ監獄――もとい研究所で育ったよしみとして心配しているだけやで。子の種を作り、子の需要を満たすために管理された、哀れな雄牛。それが『外』の刺激を受けて、果たしてどのように化けるのか。アンタには分からないやろなぁ。何せ、ウチらとは違うから」


 ようやく首の座った赤子を縦抱きにして、ユラユラと椅子を揺らすその様は、さながら老後の理想のようだった。ここに毛糸束でもあれば完璧だろう――トモミは小さく舌を打つ。


 それはどう足掻あがこうとも、自分には手に入らないものだった。


「違うからこそ研究するのさ。研究して、理解する。それが私の役目」


「ふ~ん? ……ま、ええのんとちゃう? 知らんけど」


「さっきから随分と思わせぶりね。思うことがあるなら、はっきり言って頂戴」


「いやいや、何でもないよ? 傲慢だなぁとか微塵も思っとらんよ?」


 喉の奥を鳴らす女性。それにトモミは大きな溜息を吐くが、すぐに間違いであったことに気づく。女性の口角には、ひどく嗜虐的な笑みが浮かんでいた。


「ぜひとも会ってみたいなぁ、噂のシロちゃん。嫁三人を与えられていながら、二日経った今なお手を出していないらしいやん。さぞや立派な教育を施されたんやろなぁ」


 ウチには無理やわ、とカラカラと笑って女性は、いつの間にか盤面の変わったチェス板から駒を取り上げた。


 向かいのフットチェアに腰を下ろしたトモミは、再び深い溜息を吐いて、


「あなたは母体をあてがわれて三日で懐妊させた、異例の変態だから」


「嫌やわぁ、変態だなんて。重宝されたんやで、『絶倫の種馬』って。アンタも身に覚えあるやろ?」


「残念ながら、私は母体であった過去はない」


「ありゃ、そうやっけ? いやー、すまんすまん。気分悪いやろ、子袋と間違えられて。こっちもな、いろいろな母体とセックスしてきたから忘れてまうねん。堪忍、堪忍」


 ケラケラと椅子が揺れる。トモミは一瞬眼光を鋭くするが、すぐにフと肩の張りを緩めた。


「分かり切っていたことだけど、薄情ね、あなた」


「……正味、子供とかどーでもええねん。何人産ませたかなんてもう数えてないし、何人が無事に育っているのかも分からん。けど、有用ならそっちが責任持って懇切丁寧に育ててくれるんやろ? この子みたいに」


 女性は腕の中の小さな命に目を落とす。それはつい三ヶ月ほど前に、女性の種から作られた子供だった。彼女自身が管理する、唯一の子供だ。


「ウチは嫌いやで、そういうトコ。……鴨ノ羽トモミ、ウチはアンタを買っている。だからこそ忠告するで。ほどほどにしとかんと、辛いのはアンタやで」


 彼女の名はあかねアン。この研究所に管理される、もう一人の両性具有である。

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