#12 運命以外の何物でもない
ムツキの手を借りて
何てことはない、胸ほどまである障害物を乗り越えるだけの運動だというのに、それだけでシロの息は切れてしまった。
「大丈夫ッスか、シロちゃん」
「う、うん……ちょっと待って……」
胸を締めつけるような息苦しさ。シロはこれが嫌いではなかった。身体の悲鳴を上回る高揚が、シロの中にはあったのだ。
世話役との生活の中には決して存在しなかった感覚。それはシロにとって未知のものであり、同時に期待を煽るものでもあった。
呼吸が整ってくると、ムツキは先行して再びガラス扉を開いた。
面しているのは『家』ではなく、その外――『廊下』であった。一見した限りでは『食堂』に向かう際に歩いた通路とそっくりであるが、先の道とは異なり、シロの『家』ほどの空間が設けられている。
曰く、ここは休憩所だそうで、
しかし団欒の場と呼ぶには、ムツキの表情はひどく厳しいものだった。
まるで昔話『ジャックと豆の木』のワンシーンだ。巨人に追われ、隠れ逃げるジャック。辺りに視線を配り、足運びはぎこちない。手も少しだけ汗ばんでいる。
本日二度目となる外出にシロは舞い上がるようだったが、指先から伝わる感情に疑念を抱かずにはいられなかった。なぜ彼女はここまで緊張しているのか。
「さ、着いたっと」
『廊下』を進むと、やがて一つの扉の前に立ち止まった。シロの『家』と変わらない、両開きの扉だ。
ムツキが扉の横に取り付けられた箱に手を当てると、プシュ、と聞き慣れた音と共に扉が開く。
シロの家の半分程の広さにベッドや本棚、机、椅子等の家具が並び、壁には可愛らしい絵が描かれたポスターが数枚張り出されている。
「あっ、やっと来た!」
『家』の中には不言コトニと縹ユイの姿がある。コトニはパステルカラーのもこもことした寝巻に、ユイはキャミソールとホットパンツ。どうやら二人とも休む直前だったようだ。
「もう、遅いよぉ。捕まっちゃったかと思ってた」
「ヒヒ、小生がそんなヘマするとでも? ラブロマンスしてきただけッスわ」
「ら、ラブロマンス⁉ どういうことなの、シロちゃん!」
悲鳴のような声を上げてコトニは腰を浮かせる。だが首を捻るシロの様子を目にした途端に落ち着いたようで、「ムツキちゃんの勘違いか」と口角を吊り上げた。
「そんなに騒がしくしていると、バレてしまうわよ。やるなら早くしないと」
冷静に
どうやらホットミルクを飲んでいるようで、『家』には甘い香りが漂っていた。
「あっ、ホットミルク!」
「残念ながら、これは豆乳よ」
「牛乳じゃないの?」
眉を下げるシロを後目に、ユイはホットミルク改めホット豆乳に口をつける。
大人っぽい彼女が手にしているだけで、ただのマグカップが図鑑に載るような上品な骨董品のように見えてしまう。思わず見惚れていると、くいと袖が引っ張られた。
「シロちゃん、座ったら?」
コトニは人懐っこい笑みと共に、自らの隣を叩く。ムツキの家は来客を前提に作られていないのか、クッション一つない。短毛のカーペットがローテーブルを囲うように敷かれているのみである。シロはこくりと頷くと、コトニの横に膝をついた。
「あの……ここは?」
「ムツキちゃんのお部屋だよ。『家』って言った方が分かりやすいかな? 懇親会をやっていたの。アタシたち、昨日会ったばっかりだから、交流を深めたいな~って」
へえ、と頷いて、シロは『家』もとい部屋の中を見渡した。
シロの『家』の半分程の広さにベッドや本棚、机、椅子等の家具が並び、壁には可愛らしい絵が描かれたポスターが数枚張り出されている。四人が集まると手狭だが、一人で住む分には十分だろう。
彼女たちにはそれぞれ部屋が割り当てられているらしく、ムツキ以外にもコトニやユイの部屋もどこかに存在するとのことだ。
「そこまでしなくていいって言ったんスけどねぇ」
「ムツキちゃんったらシャイなんだから。……まあ、こういう機会じゃないと、こんなにいろいろなお菓子を囲んでパーティーなんてできないからね。いい経験だと思って、前向きに参加すればいいんじゃない?」
ね、とコトニはユイに同意を求める。ユイも異論はないようで、こくりと頷いた。それを目にしたムツキはますます顔を渋くして肩を竦めた。
「距離の詰め方が化け物級……陽キャ怖いですわぁ」
「もー、またそれ? 陽キャって何のことなの。――シロちゃんがアレルギー体質って知らないのにご飯を勧めちゃったから、そのお詫びにって思って。どうかな、ちょっと参加してみない?」
シロは視線を
シロの戸惑いを感じ取ったのか、ユイが助け船を出してくれる。
「アレルゲン除去食だから、食べても大丈夫よ。万が一の時に使う薬も持ち込んでいるし、応急処置くらいはできるわ」
「ユイちゃん、詳しいんだね? その……『あれるぎー』に」
「私もアレルギー体質だから」
何でもないように言って、ユイは豆乳を口に含む。シロは感心とともに目を見張った。
「そっか、僕と同じなんだね。……えへ、そっかぁ」
シロは肩を縮めて頬を緩ませる。その表情は今にも溶けてしまいそうだ。それを目にしたコトニはぎょっとした様子でシロの腕を引く。
「え~、何その反応! アタシだってシロちゃんと同じところあるよ! えっと、えっと……ほ、ほら、ピンク好きなところとか!」
「一緒だねぇ」
「一緒だよぉ!」
頬を赤く染めて、コトニはシロの首にしがみつく。
鼻をくすぐる香りに、シロは目を細めた。鴨ノ羽トモミとは違う、まるで牛乳を熱したような甘い香り。頬を擦るふわふわとした毛に、シロはすり、と頬を寄せた。
「もうすっかり仲良しね、二人とも」
「ふっふーん、羨ましいでしょ、ユイちゃん。アタシとシロちゃんは運命の恋人だもんね~!」
ね、とシロの耳に吐息が吹きかけられる。
背筋を這い上がるくすぐったさに身を
「だって、同じおっぱいも子宮もあるのに、子供を残せるんだよ? 愛の結晶だよ? 運命以外の何物でもなくない?」
「その条件なら、小生らも同じでは?」
「でも二人とも、乗り気じゃないんでしょ?」
ムツキとユイ、二人の表情が固まった。コトニはシロの頬をひと撫ですると、ゆっくりと身体を離した。
「アタシがシロちゃんと結婚する。そうすればハッピーエンド――ね? シロちゃんも嬉しいでしょ、トモミさんの言いつけを守れるんだもの」
「ん、嬉しい」
「でしょ、でしょ! はい、これで決定。アタシがシロちゃんと結婚しま~す!」
早速トモミさんに報告しなくちゃね、とコトニはシロの手に指を絡める。シロはといえば、あまりの事態の早さに目をぱちくりとさせていた。
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