#9 もっと教えて

「今日は『人生ゲーム』を持ってきたよ! えへ、これ、やってみたかったんだよね~」


 てきぱきと絵の描かれた板を並べていくコトニ。足の短いカーペットに座り込み、その様子を眺めていたシロは節々に書かれた文字を読み上げる。


「『人生ゲーム』ってなぁに?」


「えっと、スゴロクって知ってるかな」


 シロは首を振る。それにコトニは信じられないものを見るかのような視線を送ると、こほんと一つ咳払いをした。


 『人生ゲーム』を始めとしたスゴロクは、サイコロ――数字の書かれた物――を振りながらゴールを目指すゲームだ。


 ムツキやユイも合流して始まった『人生ゲーム』大会は、トランプとは違って何の波瀾もなく進んだ。極めて順調に人生を積み重ねる最中、ムツキがあるマスにコマを進めた。


「やっと結婚できたわ……」


「ケッコン?」


 反芻するシロ。その瞬間に辺りはしんと静まり返った。サイコロ代わりのルーレットが外壁を擦る音が響く。


「待って、子作りは知ってるのに結婚を知らないって、普通逆じゃない?」


「なるほどなぁ、いやはや何というか」


 コトニとムツキはお互いに顔を見合わせてた。その表情はといえば、どことなく気まずい様子で、シロの背に嫌な汗が伝う。


「いい、シロちゃん。結婚っていうのは、愛し合っている人たちが同じ家に住むことで……」


「法律的に親族になるんスよ」


 その説明はますますシロを混乱させた。


「家族のこと? みんなは家族、いるの?」


「いるよー。アタシは三人兄弟なの。血は繋がってないんだけどね」


「むしろ血が繋がっている方が珍しいっすッスよ、昨今は」


「えっと……家族は同じ家に住んでいて、結婚すると家族になって……。じゃあ、もうみんな結婚してるんだね!」


「うーん、それはちょっといきすぎかなぁ」

 苦笑をこぼすコトニ。

「みんながみんな、結婚しないと家族になれないわけじゃないんだよ。もともと家族の人もいる。そうだなぁ……シロちゃんとトモミさんみたいな?」


「トモミさん?」


 きょとりと目を丸めたシロは、脳裏に穏やかな笑みを思い浮かべる。


 トモミはシロにとって唯一無二の存在だ。生まれてこの方、シロはトモミ以外の人間とほとんど接することがなかった。オムツの交換から性教育まで、全てに件の女性が関係している。しかし――。


「……トモミさんは、家族じゃないよ」


「いやいや、どう見たって家族でしょ。今朝のやり取り、見てた? 完全に親子だったよ」


 ね、とムツキに同意を求めるコトニ。対するムツキはしばし思案したのち、歯切れの悪い返答を口にする。


「まあ、そうッスね。向こうがどう思っているかはさておき。……時にシロ氏、どうしてシロ氏がそう思うのか、訊いてもよき?」


「ど、どうしてって……」

 シロは戸惑う。

「ぼくの『家』は、ここだから」


 トモミはシロの『家』では寝ない。幼い頃こそ、一人で寝るのを怖がったシロを思って共にベッドに入ってくれたが、今となっては軽く頭を撫でて寝かしつけるくらいだ。


 夜中に目が覚めてもトモミがいた場所に温もりはなく、きっとシロが寝入ってからすぐに退出しているのだろう。


 家とは住処である。寝床と食事の場を設けた空間。シロの感覚においても辞義としても、トモミの家はシロの『家』であるとは言えなかった。


「同じ家に住んでいるのが家族なんでしょ? それならぼくとトモミさんは家族じゃないし、ぼくに家族はいない……ってなると思う」


「ん~、分かんなくなってきた……」


 頭を抱えるコトニを尻目に、ムツキは思案顔だ。


「言葉で説明してもどうにもできないんじゃないッスかね。我々もほぼ感覚で理解しているでしょ、家族も結婚も」


「うう、だって辞書なんてものを開く前から知ってたもん。『』なんだって」


「『そういうもの』を言語化するのは難しい、とはよく言うけど、まさか言語化したものから入っても同じ現象が起きるとは。言葉は数字ではないんスねぇ」


「こっちも意味不明なこと言ってる~」

 コトニはシロへと抱き着いて、びえびえと泣き真似をする。


 シロも一緒に泣きたい気分だった。周りが当たり前のように理解していることを、自分は微塵も解することができない。道を外れた感覚、はぐれ者の孤独。自分は、ヒトと違う。


「ね、もっと教えて。家族とか、結婚とか」


 シロの知らないことはたくさんある。本から得た情報は決して正解ではなく、生きた言葉と対話しなければ本質は捉えられない。


「シロ氏は知りたがりですな」

 ムツキはにんまりと、白い歯を見せる。

「そういう子は嫌いじゃあない。いいぞ~、膝と膝を、胸と胸を突き合わせてじっくり話し合おうじゃないッスか。確かここには『図書室』があるんスよね、そこに行くのもあり」


「としょしつ?」


「シロちゃん、知らないんだ。意外~」


 首を傾げるシロの頭を、コトニはこねこねと掻き回す。つむじの毛が束なってどちらかと言えば不快感が勝るが、不思議と嫌な気はしなかった。


「図書室にはね、本がたっくさんあるんだよ。アタシは行ったことないんだけどさ、それはもう、ものすんごい光景なんだって! 今度行ってみようか」


「で、でも……」


「トモミさんのことなら安心して。アタシたちが何とかするから!」


 ね、とコトニとムツキは顔を見合わせる。どうやら両者ともどもシロを『家』から連れ出すことに賛成のようで、シロの意見が反映されることはないだろう。


 とはいえ、『図書室』とやらが気になっていることも確かで、シロの脳裏には壁一面に絵本の背表紙がびっしりと並ぶ景色が浮かんでいた。


「おっと、『人生ゲーム』が途中だった。……ほい、次はシロ氏の番」


 導かれるまま、カラカラとルーレットを回す。


 針が示したのは『四』の数字だ。未だ一人きりのコマを進めて、たった一本の道を進む。止まったのは赤いマスだった。


「うっは、シロ氏借金かよ」


「うえぇ……」

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