#8 そんなところも
「あっ、おはよー、シロちゃん!」
ユイ先導のもと『食堂』を訪ねると、そこにはすでに見知った顔ぶれがあった。世話役のトモミのほか、昨日紹介された『嫁』候補であるコトニとムツキの姿もある。
いつも通りに微笑むトモミを目にして、シロは自分の体に力が入っていたことに気付いた。
「あれ、シロちゃん。自分で着替えられたの? すごいじゃん」
「ユイさんにやってもらったの」
そう報告すると、トモミは目を細めて満足そうに頷いた。
「ありがとうね、私の代わりにシロちゃんの着替えを手伝ってくれて」
「……ええ、こちらこそ。いい機会だったわ」
短く答えて、ユイは空いていた席へと座る。
人数分の椅子とその中央に置かれた丸い机。机の上には色とりどりの食事が並んでいる。だがただ一つ、誰も座していない席には見慣れたプレートが広がっていた。幼い時から変わらない、クマの形をしたランチプレートの前に座れば、コトニがぱちりと手を叩いた。
「それじゃあ、みんな
「いただきます」
トモミ以外と食べる食事。それは非常に賑やかだった。必死になって口を開かなくても自然と話題が湧き出る。シロとトモミの二人きりで囲む食卓では、こうはいかない。
プレートに盛られた野菜や肉、白飯をもくもくと口に入れる。いつも通りの味だ。シロは静かに
「みんな、ぼくと違うご飯なんだね」
コトニ、ムツキ、ユイの三人はトーストに目玉焼きを乗せただけの簡素な朝食だ。よく見れば角が焦げ付いている。
一方のシロの食事はといえば、トモミと同じく図鑑にでも載っていそうな出来栄えだ。
一汁三菜、古くから理想とされる御膳である。画像から抜き出してきた、と説明されてもシロは微塵も疑えない。
「ん、ああ。これ、自分たちで作ったんスよ。トモミさん、どうも我々の朝食は作ってくれなかったみたいで」
「当然でしょう。お嫁さんになるなら、自分でご飯くらい作れるようになりなさいな」
「はい出た~、前時代的性役割主張奴~!」
「誰がおばさんだって?」
「被害妄想が過ぎる」
ムッと眉を
シロは二人が嫌いではない。だから仲良くあってほしい。それがシロの願いだった。
「ね、ね、それ、何が乗っているの?」
できるだけ二人にも聞こえるよう、声を張る。すると反応したのはコトニだった。
「目玉焼きだよ。それから、ムツキちゃんの提案でマヨネーズ乗せてみたんだよね! そしたら、もうデブまっしぐらの破壊的な味でさ~!」
「破壊的……まずいってこと?」
「違う違う、その逆。めちゃくちゃ美味しいってこと!」
食べてみる? と、コトニがトーストを近づけてくる。
芳ばしい香が鼻腔をくすぐり、口の中に唾液が溜まる。てらてらと光る白身も、
至って普通の目玉焼きだというのに、トーストの上に乗っているだけで特別に見えてしまうのは何故だろうか。
シロは導かれるままに口を開ける。
「だーめ、シロちゃん」
ふと、
「いいじゃないですか、一口くらい」
「……シロちゃんは身体が弱いの。アレルギー反応でも起こしたら大変だしね。医者でも、まだ嫁でもないあなたに、責任が取れるとでも言うの?」
「う……」
言葉に詰まるコトニ。トモミの真剣な眼差しは心底シロを心配しているようである。そこまで言われると、シロも駄々を捏ねるわけにはいかず、「ごめんなさい」と素直に頭を下げるのだった。
「分かればいいんだよ」
顔を綻ばせるトモミに、シロはほっと胸を撫で下ろした。
「三人も、シロちゃんを困らせないこと。いいね」
「はーい」
渋々と応じるコトニに頷くユイ。ムツキに至っては視線を逸らしたまま、一心にトーストを貪っている。
トーストの誘惑、それは幼い少女にとって振り切り難いものであった。芳ばしい、胃をくすぐる香り。どうにも名残惜しく感じられて、シロは迷いながらも口を開いた。
「トモミさん、お外にはいろいろな食べ物があるんだね」
「そうだね。今度、料理の図鑑を見に行こうか? きっとびっくりするよ」
「図鑑? 図鑑になるほどいっぱいあるの?」
「食事は文化によって様々だからね」
トモミは箸を置くと、ナプキンで口元を拭いた。
「普段シロちゃんが食べているのは、我が国『日本』の伝統的な献立だよ。白米を始めとした『主食』を中心に、メインのおかず『主菜』、それから二種類の『副菜』。さらにそこに『汁物』を加えたものが、いわゆる一汁三菜」
白米に豚のショウガ焼き、コマツナと油揚げの煮びたし、レンコンとニンジンのきんぴら、最期にワカメの味噌汁。品は違えど品数は同じ。トモミが毎日用意してくれるのであろう食事は、健康と文化双方の面から理想的なものであった。
女の身体ながら男の機能を持つ、数少ない優生人種。
一石二鳥の稀有な遺伝子。
身体の健康を保ち健全な精神を育むことは、日本の将来を安定させることとほぼ同義である。それを強く、それこそシロ以上に知るトモミにしてみれば、己の健常を維持するよりも重要で宿命のように捉えているのだろう。
もっと気軽に――それこそ、目玉焼きとマヨネーズを乗せたトーストが食べられるくらいに気軽な食卓になればいいのに。
「お弁当、ついてる」
口の端についた米粒を、トモミが取り上げる。シロの肌から離れた米粒は、トモミの赤い唇へと吸い込まれていった。
「スプーンいっぱいに頬張るから。そんなところも可愛いけどね」
目を細めて悪戯げに笑うトモミ。シロの心臓がとくりと跳ねた。
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