#17 過保護
「うわぁっ、本がいっぱい!」
思わず歓声を上げると、高い天井から声が返ってくる。もやりと、どことなく籠ったその音に、シロの心が軽くなった。
『書物庫』と呼ばれるその空間は、シロの『家』よりもずっと広かった。壁一面に天井まで本の詰まった棚が並べられ、手の届かない場所には
「高いところっ、高いところ行きたい!」
「シロちゃん梯子に登る気⁉ こっちにしておこうよ」
シロの手を引いたコトニが、段々に積み上がった通路を示す。すぐにピンときた。
「階段……これ、本によく出てくるやつだよね? 上ったり下りたりするやつ」
「シロちゃんは階段も初挑戦か~! なんだか弟を思い出すな。よーし、お姉ちゃんが手伝ってあげるっ」
「こらこら、コトニ氏まではしゃいでどうするんスか」
呆れ顔のムツキがシロとコトニを追ってくる。
慎重に一段一段を上るシロであったが、存外難しくないと知るとテンポよく、コトニに倣って階段を駆け上がる。
半分が吹き抜けとなった二回部分もまた、一階と同じように本に埋め尽くされていた。一つ違うことと言えば、下層と比べると薄い本が多いことだろうか。
「ここに並んでいるのは雑誌がメインかな。あっ見て見て、ファッション誌だってー! すごく薄着だけど、温かい素材でできているのかな」
「これ、随分昔に出版されたものじゃない? 二十一世紀のものよ」
追いついたユイはコトニの手元を覗き込む。同じ立場の少女ということもあってか、コトニとユイの二人もまた、順調に仲を育んでいるようだ。
ふとシロは思う。いつか自分も、あの輪に入ることができるだろうか。
シロは何も知らない。少女が当たり前のように交わす常識も、気持ちを飾る言葉も。ありとあらゆる点でハンディキャップがあることを知っている。
しかし同時に、そのハンデが不仲の原因になることはないということは理解しているし、それどころか少女たちを楽しませているという実感もある。
できることならば同じ土俵で、同じ常識を元に出会いたかった。今の生活に不満はないけれど、ただ一つ未練があるとすればそれだった。
「…………」
胸の中に芽生えた暗雲を払うべく、視線を本棚に戻す。
小難しい漢字やひらがな、さらには未知の言語まで並ぶ混沌とした書棚。
表紙の立ち並ぶラックから、一つの本を取り上げる。真っ白な景色が描かれた無の本。はらりとページを
「シロちゃん、そういうのが好きなんスか?」
ふとムツキが手元を覗き込んでくる。シロは頬に集まる熱を隠すように面を下げる。
「えっ、あ……綺麗だなーって思って……」
「『シロ』ちゃんだからかな、何か感ずるところがあるんスね」
「これ何の本なの?」
目を細める彼女にそう尋ねると、代わりに返ってきたのは「その本、知ってる!」というコトニの声だった。
どうやらユイとの会話は終わったらしく、手にしていたはずの本も棚に戻したようだ。
「有名なんだよ。何でも、世界各国の今を写した――」
「コトニさん」
コトニの解説を止めたのは縹ユイだ。
挨拶以来、着替えを手伝ってもらったりと、何かと世話になっている。優しい人であることは確かなのだ。しかしシロは、彼女が少しだけ苦手だった。
「おいおい、ユイ氏。ちょっと過保護じゃないッスか?」
「そうかしら。シロちゃんには必要のない知識だもの。無駄に教え込んで、今後に支障が出たら迷惑だわ」
ぴしりと言い放つユイの視線は、ひどく冷たかった。
シロの知らないことはたくさんある。それは単なる学習不足であり、同時に情報の取捨選択が行われた結果でもあった。今更ながら変えられるはずもない、過去の積み重ねが今であるにも関わらず、どうしても歯がゆく感じてしまう。
眉尻を下げたシロを見かねてか、少し焦った様子のユイが荒々しく手を引っ張った。
「シロちゃん、行きましょう。あなたが読みたがっていた本はこっちよ」
ユイに手を引かれるがままやって来たのは一階だ。書物庫の片隅に設置された、小さな小さなのコーナーである。
「こども……」
やけに目に入る「こども」の文字列。
なるほど、性行為とは子作りであり、その結果には子供がいる。何てことはない、座学の中で数多と聞いてきた結果なのに、なぜだかそれが重く肩に圧し掛かった。
子供ができたとして、果たして育てることは可能だろうか。トモミがしてくれたように、幸せにすることはできるだろうか。一人では自分の生活すら危ういシロだというのに。
視線が落ちる。腹の底が冷える。
突如として襲い掛かってきた現実は、シロにとってあまりにも重く大きかった。
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