#18 知る

「思ったより置いてないんだね、子育て関連の本。もっとどっさり置いていると思ってた」


「既にノウハウがあるから、わざわざ蔵書する必要もないんじゃないッスかね? ――あ、この辺とか読みやすいんじゃないッスか。ほら、図解してるし」


 そう言ってムツキが差し出してきたのは、絵本ほどの薄い本だ。


「はじめての……?」


「『はじめての性教育』ッスね」


「性教育……」


「性教育は分かる?」


「うん、トモミさんに教えてもらったやつ」


「パラッと見た感じ基礎の基礎しか載っていないけど、復習がてら読んでみたらいいんじゃないッスか? ひょっとしたら何か発見もあるかもだし」


 ほい、と手の上に本が乗せられる。


 性教育。男女の性の違いから役割、果ては子供ができるまでの過程を赤裸々と記した書物。それはひどく軽かった。もっと重くてもいいのにな――シロは手元に視線を落とす。


 表紙に記された、男と女が仲良く手を繋ぐイラスト。この行為は、こんなに綺麗ではない。何となくシロにも分かっていた。


 生殖とその先にある繁栄、は確かに生き物の神秘だ。既存の生命の間に、どちらとも異なる新たな生命が誕生すること、これは当たり前だが異常である。


 無から有が生まれることなど通常ではあり得ないし、かつて――それこそ、科学が発達していない頃には、文字通り『奇跡』と呼んだかもしれない。


 シロもまた、紛うことなく『奇跡』の継承者であった。


 人々は性行為を解析し、知ったかぶりを続けてきた。時には娯楽として消費してきた。グロテスクをものともせず、見て見ないふりをする様は人間らしいのだろう。生きる知恵と呼ぶべきか、それとも麻痺とするべきか。


 いずれにせよシロには関係のない事柄であるが、胸に沈むのは失望感であった。


「シロちゃん、何だか浮かない顔だね。そんなに難しい内容だったのかな?」


「コトニちゃん」


 覗き込むコトニもつられたのか、心配そうに眉尻を下げている。シロはふるりと首を振って口角を持ち上げた。


「ううん、内容は大丈夫。もうお勉強したやつだし」


 ぱらりとページを捲ってみた限り、ふりがなも振ってある。読む分には支障がない。


 そうしっかりと説明をすれば、コトニの不安も解消されたようで、いつもの笑顔を見せてくれる。


「それならよかった! それじゃあ、もう二冊くらい選んで部屋に戻ろうか」


「うん。……あ、コトニちゃん」


「うん?」


 訊き返すその顔は穏やかだ。ただでさえコトニは、性交渉という最も重要なイベントに障害を抱えているのだ。これ以上、悲しい顔をさせたくない。


「な、なんでもない……」


 首を振った。


「そお? あっ、もしかして食べカスがついたままだった⁉ 早く言ってよ、も~」


 ごしごしと、指先まで覆う袖で口元を擦るコトニ。資料映像で見た小動物のようだ。思わず噴き出すシロに彼女は心外だと憤って見せるが、すぐに表情を綻ばせた。


 何てことはない、もはや日常となりつつある光景だ。


 コトニがいてムツキがいて。ユイは未だ慣れていないのか少し遠巻きだが、同僚としっかり友好を築いていることを知っている。


 この光景も、子供ができたらなくなってしまうのだろうか。そう思うと、なぜか胸に雲が掛かる。


 その感覚を知った瞬間、シロは愕然とする。自分はとんでもないことを知ってしまったのではないか、と。


 異常だ。異常、異常、異常、異常、異常。


「…………」


 誰かの、視線。

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