#20 いつか、必ず

「顔合わせから今日で三日目。そろそろ教えてくれてもいいんじゃないかしら」


 薄暗い部屋に、カタカタと無機質の音が響く。


 返答がないと見るや否や、縹ユイは拳を握り締めて声を張る。


「先日、トモミさんが言っていたわ。生殖の意志がないのなら解放する、と。自然交配では拒否反応も受け入れてくれるそうよ。リタイアなら今のうちじゃないかしら」


「へえ。……ひょっとして小生、仲間認識されてます?」


 ようやく返ってきたのは揶揄混じりの言葉だった。


「不言コトニと同じくらいの興味は示しているけれど、アプローチは積極的と言えない。一応トモミさんに続投の宣言はしていたようだけれどね」


「機を窺っているんスよ、機を。一気に攻めたてたって、シロちゃんはキャパオーバーしちゃうでしょ。今はコトニ氏に全部譲ってあげる。仕方なく、ね。これじゃあ答えにならないんスか?」


「本当に。あなた、本当にそう思っているの」


 ぴたりと、キーボードを叩く音が止んだ。


「だったら関わらなければいい。コトニさんと一緒にシロちゃんの部屋に遊びに行ったり、夜会に誘おうと言い出したり、そんなこと、しなければいい。なぜ中途半端に関わるの。なぜあんなに、シロちゃんを見ているの」


 ムツキの接触はあまりにも中途半端だった。


 気があるのかと思えば、一歩引いてシロとその周りを見つめる。まるで子離れできずにいる親だ。ユイはどことなく、歯が噛み合わないような違和を覚えていた。


「案外見てるんスねぇ、ユイ氏。小生のこと好き過ぎか?」


「茶化さないで。……率直に言うわ。ムツキさん、あなた、トモミさんに疑われているわよ。生殖行為をするつもりなんて全くないんじゃないかって」


「他人の心配をしてる暇なんてあるんスかねぇ、ユイ氏。この前呼び出されてたでしょ。一番クビ率が高いの、アンタだと思うんスけど」


 甲高い、悲鳴のような音とともに椅子が振り返る。そこには、いつものようにスウェット姿のムツキが腰掛けていた。


 オフの時間、ムツキはいつもコンピュータの前に座り込んでいる。それはユイが部屋を訪ねても変わらなかった。最初こそ律儀に椅子をくるりと返して顔を合わせてくれたが、最近は視線を動かすことすらしなくなっていたところだ。


 今回は運がよかったと言うべきか。


「……確かに呼ばれた。それは事実よ」


「で?」


「続行の意志を伝えた、ただそれだけ――」


 それは、つい先日のこと。縹ユイは鴨ノ羽トモミに呼び出された。


 両性具有『シロ』との生殖に非協力的であると認められたからだ。ユイ自身、その自覚はあった。いずれは咎められるだろう、下手をすれば処分の危機も迫る――と。


「言ったはずよ、縹ユイ」


 そう切り出したトモミは、ゆったりと腕を組む。


「人類持続管理計画。その一角を担う者として、あなたとその家族に支払った金額は少なくない。役目は果たしてもらわなければ困る。それとも、何か懸念でも?」


 無言のまま、目の前に置かれた紅茶を見下ろす。


 トモミの影響だろうか、あの少女も紅茶の香を漂わせていた。脳裏に浮かぶ緩い笑顔をかき消すように、ユイは目蓋を落とす。


「前に伝えたはずです。子供が嫌い。子供と接するなんて、子供を増やすなんて御免ごめんだと」


 服を手に「着替えられない」と震えた少女。


 スパゲッティをすすって、「初めて」と頬を緩める少女。


 どこにでもある階段を駆け上がって、楽しそうに息を切らせていた少女。


 育児の書架を前にして、顔を青くしていた少女。


「私からすれば、あの子だってまだ子供です」


「子供だからと嫌うのは結構。だけど、それをシロちゃんに悟られないで頂戴。あの子に醜い感情は見せたくない」


「そういうところが、あの子を『子供』に縛り付けているんです」


 大人とは何か。成長とは何か。


「鴨ノ羽トモミさん、私は言いました。このままでいいと。これ以上、『子供』を増やす必要はないと。子づくりを仕事と呼ぶような不幸は、増えてはならない。だから――」


 縹ユイは宣言する。


「私は、私のままでいる――」


 語り聞かせ終えると、ムツキは頭を抱えていた。


「馬鹿か、馬鹿なんスか、アンタ! つーか、なんでそんな『やってやったぜ……』みたいな顔をしてるんスか。自分の言ったこと、分かってます? 宣戦布告ッスよ、宣戦布告!」


「お咎めはなしよ。これを勝利と言わずに何と言うの」


「呆れられただけッスね」


 ここまで堂々としていると、むしろ清々しいわ。呟くムツキは滑稽なほど渋い顔だ。


「分かってます? 『優良を組み、生み育てる 』――これが世間の流れ。アンタはそれに逆らったんスよ」


「どこが」


「どこが!? 懇切丁寧に説明してやったのに!? その反応は流石に予想外ッスわ」


 ユイは心外と眉根を寄せる。


「私は自分の気持ちを伝えただけ。そんなつもりは――」


「そんなつもりがなくても、向こうはそう捉えるんスよ、バーカ! ……はあ、まさかここまで馬鹿とは思わなかった」


「馬鹿馬鹿と何度も言わないで。私はちゃんと漢字の読み書きができる」


「おい、どこぞのふたなりと比べるな。あれと比べたところで誇れるものは何もないッスからね!?」


 荒々しく言葉を重ねたムツキは、再び頭を抱えてしまう。肩で息をする少女を見下ろすユイは、ただぐっと、拳を握りしめた。


「もう一度確認するわ、二人静ムツキさん。あなた、本当に続投の意志はあるの。何が目的で、ここにいるの」


 悪戯に、無垢な少女を惑わせる女。もしも遊び半分でこの場所に――生殖施設にいるならば、ユイには報告の義務があった。


 他人を蹴落としてでも、自分の首を危険にさらしても、最後にはを孕む。


 いつか、必ず。


 それが遠い未来、シロが『大人』になって自分が老いた後だとしても。


「ここで脱落するわけにはいかないの。私には家族の生活がかっている」


「だったら危ない橋を渡ろうとするなよな」


 ムツキは呆れ顔だ。


「まあ、別にこっちとしては何の痛手でもないんスよ。アンタが反人工生殖派と研究所側にバレたとしても。……バレたっつーか、隠してすらないのか。けど、そろそろ頃合いかもしれないッスね」


「頃合い?」


 ムツキはくるりと椅子を返す。聞こえてくる声は、夜半に吹き込む風のように冷たかった。


「殺す。シロちゃんを、『ふたなり』を」

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