8.地上の竜の子
日々の仕事終わりの各々の労いも終わり、ただ星空だけが未だ騒がしく煌めき続ける頃となった。
ロマニはプレトと共に、竜の少女を背負い、こっそりとロマニの家へと忍び込もうとしていた。
ロマニの家は、ショウコウという元締めの家系である事もあり、村長宅と同じように坂の上の方にそれなりに大きな家が建てられていた。
つまるところ、長い間背負い誰かに見つかる危険性が少ない。竜が降臨したとなれば、村長を通じて竜の再臨の伝令が各島に届く手はずとなっている事は、ロマニもプレトも承知の通りだ。
しかし、実際目にした竜というのは、あまりにも想像する竜というイメージとはかけ離れていた。今まさに弱り果てようとしている、幼い人間の少女にしか見えないのだ。
その為、かつての竜が再臨しなかった際の島々の人々がリュウセ島で繰り広げた騒乱を思うと、弱り切った少女をその渦の中に放り込むような真似は、断じて出来なかった。
「湯を沸かして。それで、くるまれる毛布に、寝床も」
「俺のでいいなら」
家に無事入ったところで、プレトが真っ先にロマニに指示を出した。
いつもの臆病そうな様子を一掃して、患者を診る薬師としての本懐を見せつけた。治療というものに詳しくないロマニは、いざという時は一変するプレトのその振る舞いがとてもありがたく感じられた。
指示のままに、寝床は無事用意され、真紅調の少女は寝かされる。そして、プレトが額や手首に手を当て、口を軽く開けて中を覗く。
「あくまで人間に置き換えた上での診断だけど。単純な疲労困憊だと思う。根を煎じた物を軽く出すよ」
「疲労か…。良かった、重い病気ではないんだな……」
ひとまず、致命的な症状では無いらしい。
ロマニは安心して、今一度改めて少女の顔を覗き込む。
一見したところ、見た感じはロマニより1,2歳かは年下に見える。しかしそれでいて権威ある神性を帯びたような厳格そうな顔つきにも見える。
ふと、覗き込んでいると。少女がこほんこほんとせき込み始める。
いけない。真上から覗いたもんだから、埃か息でも入ってしまっただろうか。ロマニは軽く戸惑いつつ顔をどける。
ちょうど顔をどけた時、少女の小さな口から、絞ったような眩い光が漏れだした。
「えっ?」
「こほんっ!!」
少女のせき込みと共に、声とは反比例でもしたかのような、巨大な炎が吹きこんだ。
「うおぉっ!?」
突然の事で、危うくロマニは前髪を焦がしそうになるが、後ろにのけぞり難を逃れた。
一方でプレトは、沸かしてもらったお湯を器に入れて持ってきたところで、突如の火で反射的に手に持っていたお湯をぶん投げそうになったが。間一髪火元が少女の一瞬のブレスである事を脳が認識したのか。変な声と共に、振り上げた手を離さず掴み続け、結果、真上からお湯を被る事となった。
「うあっ、ちゃ、ああっつぃ!!」
「だ、大丈夫か?」
「ひ、人肌に優しい温度だよ……そんなことより、見間違いじゃないよね」
「ああ、間違いない。この女の子、確かに口から火を噴いた」
ロマニは頷きつつ言ってみた物の、自分が認識した事の出来事について、未だに半信半疑になっていた。
「た、大変だよ。つまり十数年も居なかった竜が、この子だって事じゃないか!」
「なんで人間の姿をしているのか、分からないが……そういう事になるな」
わたわたと取り乱すプレトであったが、ロマニもその事には同意した。
「……それで、ロマニはどうするの?」
ふと、プレトが聞いた。
どうやらロマニが竜を島全体にすぐ伝えるのを避けようとしている事に気が付いたらしい。
「そうだな…。まずこの子が目を覚ましてからだ。みんなに知らせるより、先に話をしたい」
そう言って、ロマニは左の生身の手で少女の額を撫でる。体温は、ほのかに高い。それが体調を崩しているからか、平熱から高いのかは、分からなかった。
「確かにこの子の特徴から能力まで、地龍伝説の竜そのものだ。だが、俺にはこの子が神性を持ったような子には見えなくてな……どっちかと言うと、人間臭さを感じる」
「要は、この子自身右も左も分からない気がするから、変な負担は掛けたくないと?」
「よくまとめられたな」
「長い付き合いだからね。よし、分かった」
プレトはそう言うと、先ほどロマニに渡したお礼の薬袋を広げ、中の小瓶を並べていく。
「これは夜間、呼吸が荒くなったときに使って。こっちは、その子が眩暈をした時」
そう言いながら、それに加えてコートの内側から、一つの瓶を取り出し、追加で添える。
「で、この薬は……最悪その子が暴れ出した時に、飲ませて。すぐに眠りにつくと思う」
「! おいおい、いくらなんでも」
プレトは矢継ぎ早に自分の荷物を纏めると、家の出口へと向かう。
「僕も、その子が心配だけど……。ロマニがその子が神様には見えないって言ったように。本当に正体も何も、分からないから。もしもがあったら、僕は嫌だよ」
プレトは振り返り、ロマニの訝しむ顔を心配そうに見ながら、言った。
プレト自身、本当は夜間つきっきりでこの場の看護に勤めたい。
しかし、ロマニの少女を匿いたいという気持ちを案じるのなら、島の掛かりつけ医の一人であるプレトが、急患と言って家を空けるのは、疑心の目に繋がる。だから、この場は一旦引くことに決めた。
プレトは、ロマニと龍の少女をそれぞれ一瞥してから、ロマニ家を去った。
◇ ◇ ◇
コトコトと、家の中に美味しいシチューの匂いが立ち込めている。
ロマニは夕食がまだだったこともあって、遅いながらに料理を始めていた。
水に家の裏の畑で取った豆を煮詰めて作った豆乳を注ぎ込む。それから、同じく収穫しておいた人参、ジャガイモ、株を刻んで入れる。
次第に食欲をそそる匂いが立ち込め始め、ロマニはパンをスライスしてさらに並べるのを一旦やめ、味見をした。
「んー……たまの贅沢。良い出来じゃないか」
漁の出航で居ない事の多い父に代わり、自炊をすることが多かったため、この手の料理は得意だった。
牛乳が無かったため代用品が欲しくなり、裏庭に大豆を栽培しだし、それから色々興味が出てきて、人参、ジャガイモと諸々小規模ながら育ててきたが。それらの努力が積み込まれたようなシチューになった。
ロマニは完成品のシチューの入った鍋を、少女が寝ている部屋に持っていき。その場のテーブルに置くと、空の器だけ並べて、ひとまず自分の分だけをよそい夕食を始めた。
「ん……うまっ」
美味しい。一人で食べるのがもったいないぐらいの出来であった。
欲を言うのなら、日中ツキニエを待ち伏せている際に、釣り竿の一つでも持って行って、魚を釣れば良かったと今さらながらに後悔をした。
「しかし……この子本当になんなんだろうな……」
ロマニはスライスしたパンをシチューに漬けて、自分の口に運びながら、ベッドで寝ている竜の少女を改めて見た。
今日の一日は、記念すべき筈だった父への密航計画が見事打ち破られ、それでも父との間が一歩進展した日で締めくくられる筈だった。
その普段と一歩違った一日を、空と言う途方も無い距離からさらに打ち破ったのが、この少女だった。
空から光に包まれ、まるで流れ星のように落ちてくるなど、まるで魔法のようであった。
魔法と言うものは、島で生きている人間程、その存在を見るものはいない。人間にそれらの力を扱う事は出来ず、魔物の中でも力の強い災厄を招くレベルの個体か、お伽噺に出てくる、地龍ぐらいしか無い。
あの光景を伴って降ってきただけで、この子は普通でないのだ。
そして、もう一つ不思議に思う事があった。
なんで自分は、あの流れ星を見て、とにかく落ちてくるその場所に向かわねばと思ったのだろうか。
あれは、自分自身の生来の好奇心から来る動きではない。もっと深い、叫びから来るようだった。
無意識に、自分自身のあらゆるものを失った日と、この竜の子が結びついて動いたのだろうか?
「……」
少し眉を潜めながら、ロマニはパンを喰い終えフリーになったばかりの自分の義手を見た。
あの年だった。ロマニの両親が海上事故で亡くなり、自分の右腕もその使い方さえも分からないままに失った日の数日後に、本来顕現する筈だった竜は、島に姿を見せなかった。
だから、この子が心配であるという事の裏に、ロマニは自分が常日頃抱いている根源の要求が渦巻いているのを感じた。
目を覚まし、話を交わせれば、何か自分に繋がっているのではないだろうか。竜と両親の死が、どこかでつながってるんじゃないだろうか。
そんな期待感が、ロマニの中には確かにあった。
「……いかんな」
ロマニはそう言って首を振った。
あくまで、この子が心配だから自分は看護しているのだ。目を覚まして早々、この子を自分の事で質問攻めすれば、竜を信奉し、時には我を失う人々と何が違うのだろう。
ロマニは落ち着きなおそうと、少し冷えてきたシチューをもう一度温めに立ち上がった。
「……ん」
その時だった。
鍋を持ち上げようと手を掛けたロマニの手が止まり、一瞬緊張が走った。
少女が体をよじらせ、ロマニ側に寝がえりを打つ。そして、ぼんやりと目を開けた。
「目を覚ましたんだな。良かった……」
ロマニはほっと息をついてベッドのそばにより、しゃがんで視線を合わせる。
目を開けた少女と見つめ合うと、その目は黄色く、トカゲのように細い瞳孔をしており、ぼんやりとした表情とは裏腹に、獲物を狩るような気迫を感じさせた。
「えっと、初めまして? 言葉、分かる?」
「……」
少女は、未だ夢見心地のようにぼんやりとした様子でロマニの顔を見続ける。
数回の瞬きをして、首を少し捻り、自分が横に寝ていることを知って、少しの間それを反芻する。
「っ、ガァッ!!」
ある程度自分の現状を理解した直後、少女は突然眉間に皺を寄せ、瞳孔に負けない程敵意を向けた顔をロマニにぶつけた。
次の瞬間、少女がくるまっていた毛布が宙を舞い、ロマニは突然の突風で顔を腕で覆う。
「!」
ロマニが再び前を見ると少女がベッドの上から姿を消している。どこだと辺りを見回すと、すぐにベッドの真上の、部屋の中に真っ赤な翼を広げて飛び上がっている少女の姿を発見した。
「飛んだ!?」
両手の先に、硬化した爪をむき出しにして、歯を剝き出しにした少女。
少女はもう一度翼をはためかせると、部屋の隅に飛んでいく。
そして、天井の隅っこに頭を乱雑にぶつけると、振り返り、両手両足で天井の隅に張り付き、口の中を眩く光らせた。
「! あっぶな──」
ロマニは危機を叫ぶの同時に、咄嗟にベッドとは反対の壁の天井目掛けて、義手を向け、アンカーを射出した。
アンカーが天井に刺さり、すぐにワイヤーが巻き取られロマニが避けるのと同時に、ベッド目掛けて、少女の口から燃え盛る炎が噴出された。
ベッドの毛布にあっという間に火が広がり、それが種火となってベッド全体に火が広がり始めた。
「まっずい! こんなに敵意剥き出しになるなんて!」
海上で戦う魔物の殺意となんら変わりの無いレベルの敵意に、ロマニは流石に青ざめた。
あと数十秒もしないうちに、ベッドからさらに家の壁や床にまで火が燃え広がり、手が負えなくなる。
それなのにも関わらず、薬で眠らせるどころか、手に届く範囲から離れ、天井隅でこちらを消し炭にしようと目を血走らせている竜の少女。状況は、たった1分前と打って変わってあまりにも最悪に陥っていた。
「グア゛ア゛ァァァア゛ア!!」
少女は獣のようなうめき声をあげながら、再び口に火を籠らせる。今度こそ確実に、ロマニを焼き殺す気だった。
「っ──」
こんな状況で、どうすればいいのだろうか。
親父ならどうする、プレトならどうすると。咄嗟の起点を信じられそうな人達の事がロマニの脳裏を素早い勢いで駆け巡る。
そして、答えが出ないまま。辺りを今一度見回すと。テーブルの上に置かれた、ロマニが作ったばかりのシチューが目に入った。
「待ってくれ!」
次の瞬間、ロマニはそう叫びアンカーを解除して床に着地し、テーブルに駆け寄ると流れるような勢いで空の器にシチューを注ぎ、目の前の殺意剥き出しの少女に器を掲げた。
「君の為に作ったんだ! 腹空いてないか!?」
遊び疲れた子供に、ご馳走を奢ってあげる近所のおじいちゃんぐらいの快活さで、ロマニは料理を勧めた。
追い込まれた中でロマニが出した結論は、近くの窓から飛び出して逃げるでも、アンカーを少女近くの壁目掛けて打って、火を躱して薬を飲ませるとかでも無かった。ただ、少女の為に作った料理を、普段の自分ならするように、当然として差し出した。
「……」
「…………っ……?」
ほんの少し、静寂が訪れた。
めらめらと火が燃え広がり、ベッドの柱の一つを焦がして崩し倒れる音だけが、ロマニの耳に聞こえた。
「…………ごはん?」
「えっ?」
ふんわりとした、幼い声がしてハッと気が付くと。先ほどまで敵意を剥き出しにしていた少女は、きょとんとした顔で、ロマニの事を見つめていた。
それから、少女はあっけにとられた顔をしたロマニの横で、燃えるベッドに目を向ける。
「……ふぅっ」
小さく、少女が息をすると。先ほどの熱を帯びた息とは違い、澄んだ空気の息が噴出した。
突風とも言えるその風は、ベッドを中心に渦を巻き、火を包み込む。
そして、渦の回転は徐々に中央に向かって縮まっていき、やがてぽしゅっという弱弱しく空爆発したような音を残し、焦げた後だけを残して完全に消え去った。
ロマニは未だに固まっている。
喋った? 幼い子の顔だ? 風そのものを操った?
そんな言葉が頭の中で反芻している中、少女は天井の片隅から離れ、床に着地し、とことことロマニの前に向かう。
そして、両手で盛られたばかりのシチューの器を受け取った。
「ありがとう。はじめまして? わたし、ベラ。なまえ、なに?」
「…………あっ、え? ロマニ。よろしく、ベラちゃん」
その直後、今度はロマニがこと切れたように、床に両ひざを着いて倒れたのだった。
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