18.竜の渦に竜は呑まれ悲しむ

 ショウコウは、森を抜けたところで、一旦自分は長老宅に行くと息子に伝えた。


「お前もその子も疲れただろう。体を洗った後で、休んでるんだ」


「ああ。その……今夜は、親父の分も夕食、作っておくから」


 二人は、ベラを挟んだ中で口多く言い合えず、ただ些細にこの後の事を交わしあうと、それぞれ別れた。


 ショウコウはそのままの足で、長老宅へと坂を上っていく。

 着き次第、すぐにどんどんとドアをノックした。


「長老。おられますか、ショウコウです!」


 叫びにならないまでも、声が収まらず荒げ声を掛けると、それからさほど時間をおかない内に、扉が開き中から快活とした様子の長老が姿を見せた。


「わっはっはっは、親子譲りじゃねぇ。挨拶もせんで、親しき中にも礼儀ありと言うじゃろうに」


「それは謝ります。ですが、緊急事態なのです。竜が──」


「分かっとる分かっとる。実際この目で見たわ。まあ、まずはお上がんなさい」


 長老はショウコウの言葉を遮りつつ、室内へと勧める。

 ショウコウはそこで自分の呼吸が荒くなっていたことに気が付き、深く呼吸をしたのちに、落ち着きを意識しながら長老宅へと足を踏み入れた。


 ソファーに座ると、長老が冷えたお茶をコップに注ぎ、向かいの席に着く。


「飲みながら聞きなさい。さてまぁ、とうとう来たわけじゃな、竜が」


「……ええ」


 ショウコウはお茶を受け取りつつ、沈痛な面持ちで頷いた。


 ショウコウは、再びこの島々に竜が降り立つ日をずっと待っていた。

 全ては、十四年前の、ロマニをイリムから託されたあの日から、とても長かった。


「もう、おまえさんが休みも息子との一日も返上して、小舟で出ていく必要もなくなったわなぁ」


 しみじみとした様子で、長老はうんうんと頷く。


「そう、ですね。息子との一日と言っても、もう父と過ごすのが楽しいかも分からない程、ロマニも大人になりましたが」


「わっはっは、それもそうじゃなぁ」


 長老は再び笑う。


 しかし、今度はその笑いもおざなりにし終えて、やがてショウコウの静かでありながらも暗く落ち込んだ顔を見て、ぽつりと口を開いた。


「──じゃが、それ程の我慢も苦労も重ねても。結果はお前さんが願った物じゃ、無かったようじゃのぉ……」


「……14年ですよ」


 ショウコウは両肘をテーブルに付け、額に両手を付ける。その俯いた姿には、ただ願いの成就しなかったことへの空虚さと、呪いの募りが浮き出ていた。


「私は、ロマニだけは。森へ行き、海を渡り、街を探し、星を眺め、私は常に、本当に再臨するかも分からない、竜の姿かたちに怯えていた!」


 俯きながら語るショウコウの言葉は次第に熱を帯び、末尾に顔を上げた時には、その屈強な男らしさに見合わない、怖い夢を見た子供のような悲しい表情を浮かべていた。


「……お前さんの気持ちも、分からんでもない。お前は、アランにイリムを失ったあの日にずっと心を奪われて──そのままに、あの子の事を守り続けてきた」


 じゃが。と長老は言いよどみ、しばしして話を続ける。


「時にショウコウ。お前さん、あの竜の姿をどう思う?」


「竜は、以前と変わらず人間の形を取っていましたな。しかし、私が最後に見た竜は、赤子の姿だった。それが、今回現れた竜は、それ相応に成長している」


「そうじゃなぁ。きっと、空の上で居る中で、先代の竜から貰い続けるエネルギーだけで、徐々に育ってきたんじゃろうな。知識は、空の上から見える地上の、断片的な覗き見ばかりで」


 ショウコウは同意と頷き返す。


 ベラとロマニが呼んでいたあの竜の子の衣装は、半分はロマニが作ったと思わしき意匠が見て取れたが、その下の深紅のドレスは、最南端のこことは真逆の、最北端近くのジンエン島の王族が身に着ける服装に見えた。


 おそらく、覗き見る中で、あの竜は自然と自分の体表にその衣服を生成したのだろう。


 それがなおの事、竜が夢見心地に理解しないままに、ただ北の島から南の島まで、人間の営みを眺め続けていた事を意味していた。


「いつか空から落ちてくると信じとったが、よもや14年もかかるとはなぁ。……おまえさんの息子も、駆け出しとしてはそれ相応に、立派に成長したぐらいの頃に」


 まるで、なだめるようにに長老が語ると、ショウコウは体を強張らせた。


 もし、この年まで竜が降りてこなかったことが、偶然でないとしたら。自らを背負わせる命を担う相手が期を熟すのを、ベラ本人が望んでか、先代の竜の意思か関わらず、待っていたとしたら?


「……ショウコウ。おまえさんも、長年あちこちをさまよい続けてそれでも見つからず。自分ではなく、ロマニの元に降りてきたことで、もうわかっておるじゃろう?」


「……長老、それ以上は口を──」


「竜を火山に送る命は、おまえさんじゃなく、正当な跡継ぎのロマニが──」


「それ以上は言わないでくださいませんかね!!」


 長老相手に語気を強めて抑止したショウコウだったが、それに臆することもなく語った長老の言葉に、ショウコウは激しく激怒し、テーブルを叩いて立ち上がった。


「私が、どれだけの時間を駆けて、自らがその苦を背負おうと、苦心して来たか分かりますか? それを、ロマニが背負う事になるなんて、軽口でも言わないでください」


「……そう、かね。お前さん、何が何でもその責を背負おうとするが。ロマニに降りかかるであろう事を、今まで一度でも、直接ロマニと話し合ったことがあるかね?」


「っ……」


 その言葉に、ショウコウはそれは関係ないでしょうとばかりに、目線を強めた。


 実際、ショウコウがひた隠しにしてきたことで、ロマニと命の事について話す機会など一度も無かった。

 外へ行きたいと、亡きロマニの両親に自分が繋がりたく、願い続けるロマニを、ショウコウはとにかく遠くへと突き放し続けた。


 ──しかし。


「ロマニを失うぐらいなら、一生憎まれる相手だと言われても構いません」


 そう言って、ショウコウは長老に背を向け、長老宅から出ていった。


「アランとイリムのように、あの子までも失いたくない」


 外に出て、家へと歩き出したショウコウは。自分自身の本心をつぶやき、今一度自分の使命をはっきりと胸に秘め直していった。


 一方、長老は部屋の中で、ショウコウがテーブルをたたいたことでこぼれたお茶を眺めながら、ぼんやりとため息をついた。


「どちらかが外へ行き、再び会う日が来るかも分からない。なんとも、酷い話じゃ」


 長老から見てみれば、ショウコウはとても我が子に甘い、優しすぎる子だと思っていた。


 14年前にロマニを預かってからと言う物の、彼はロマニに色んな夢を読み聞かせてあげて、島の中の綺麗な物をとにかくたくさん見せてあげた。それで、ロマニが頑張ってみたことは、どれも褒めてあげて、面倒を見てあげた。


 それ故に、ロマニは誰かの頑張りにとても敏感で、プレト君みたいな理解の難しい学問を一人頑張る子等を助けてあげる、とても心優しい子に育った。


 しかし。唯一ショウコウは。ロマニには幸せの中で生きてほしいという一心のあまり、島の外の事も、竜の事も、みんなロマニと話もせず遠ざけてしまった。


 今まで自分を見てくれていたという自覚の強かったロマニは、ある日を境に急に距離を取り、自分を見なくなったショウコウに、動揺と悲しみを覚え、それは小さな嫉妬らしいものを生み出してしまった。


 例え何気ない会話を会うたびに交していようと、二人はどこかで、互いに距離を覚えている。

 今のロマニらしさは、ショウコウの愛故なのに。二人の仲は、どんどん遠く亀裂も広がってしまっていた。


「ショウコウ。お前があの二人を亡くした日から、全てを囚われている事は、よく分かっておる。じゃが、どうかその檻から自分を抜けだしてくれんかの……」


 長老は、ただ小さくそう祈りをささげた。


◇ ◇ ◇


 体を洗い、ベラが風呂に入ってるときは見えない死角から洗い方の指示を送りながら体を洗わせたりとしているうちに、段々と夕日が降りてきて、暗い夜が空を覆い始めてきていた。


 今はベラをベッドに寝かせ、ロマニは魔物にやられた傷を見ている。

 いくら竜と言えども、人の姿を成しているベラの傷跡は、痛ましい物があった。


 お腹をめくっていると、へそを中央にして、みぞおちから下半身寸前程を覆う、二本の分厚い線が尾を引き、赤みが狩った後で青く滲んでいる様子が見えた。


 こんな形でへそがあるかどうか知りたくはなかったと、ロマニは思う。


 ただそれでも、ベラ自身の命に別状はなく、少し休めば立ち上がるだろうと思うと、少し安心を覚えた。


 ロマニは冷たく冷えた水を汲んでくると、青あざのあるところに、少し冷やしていく。


「いっ……たい」


「すまんな。できるだけ、痣を早く治せるよう、堪えてくれ」


「ベラ、痣あっても元気だもん」


 ベラはすこしだけむすっとした様子で、顔をそっぽに傾けた。昨日のような暴れ様で離れたりはしないので、とりあえずは了承のサインと受け取り、ロマニはそのまま冷タオルを当てる手当を続ける。


「……ロマニ?」


「なんだ?」


「ロマニ、かっこよかった。あんなおっきい怪物の中、ベラのこと助けてくれて、嬉しかった」


 ベラは上体をロマニの方に向け、ベラの腹から滑り落ちたタオルを取ろうとしたロマニの義手を、そっと握る。


「ありがとう。怖かったから、来てくれて良かった」


「……どういたしまして」


 ロマニは、優しく微笑み返した。


 ゆらゆらと翼と尻尾が揺れているのは、信頼か安堵の証だろうか。不安でいっぱいであっただろうベラの心を癒してあげることは、無事出来たようだ。


「それに、ベラも捕まってるとき凄かったぞ。こう、ぐわーって赤い光放ったかと思ったら、親玉から子蟹まで、みんな動きを止めてしまった。まるで、地龍伝承に出てくる、魔物を退けたっていう力そのもので──」


 脳裏に思い出される、ロマニ自身の危機の時に放たれたベラの光、ただでさえ魔物か昔話の竜しか使わない魔術の中でも、伝承に乗るような魔術を実際に見たという経験が、徐々にロマニの口に熱を帯びさせていた。


 しかし、ふと気が付いてみると。その話を聞いている際のベラは、どこか寂しそうな表情を浮かべ、小さく頷き返すだけだった。そんな様子のベラを見てロマニの口の熱は弱まり、別の事を尋ねた。


「……その、あの力は、誰かから教わったのか?」


「……ううん。海の向こう見てたら、なんでか分かったの」


 ベラは首を横に振り、否定した。


 海の向こうと言えば、あの浜辺には、あの方角の先にベラ達地竜が大地とつながる、火山島、リュウエイ島がある事をロマニは思い出した。


 地竜が繋がる場所。ベラ以前の竜との繋がりがある島だ。


「断片的にだけど、竜の力の使い方とか、竜の役目とか、頭の中に浮かんだ。力を使って、魔物を祓う。そう言ってた──それに」


「それに?」


「わずかにだけど、そんな力を使っている、お母さんの姿が見えた」


「!」

「……初めて見たな、おかあさんの元気な顔。ベラ、お母さんも片割れも居ない事が、寂しくて寂しくて、仕方がなくなっちゃった」


 ロマニは、その言葉に心を奪われた。


 昨日、自らの経歴の断片を口にしたベラは、空から落ちた事自体も悲しいのか分からない程に、どこか他人事のようだったという印象を覚えた。


 なんでそこまで自分の事が他人事のようだったのか。それは、ベラ自身が母親に愛され過ごした日々も、片割れと共に過ごした思い出も無かったからだ。


 物心ついたころには、ベラは空のどこかの世界でずっと一人だった。

 雲の下には、大勢の人々がそれぞれに家族を持ち、共に過ごす生活をしていたのを見ただろう。


 しかしそれでも、その目の前の光景が、自分の傍にどんな形で現れるのか。経験が無かったから、想像が出来なかった。


 それが、ベラの中に母親の姿が流れ込んできたことで、居てほしい家族が居ない事の寂しさが、自覚できてしまった。


「生きてるうちに、会いたかったなぁ……」


 その声は、湿り気を帯び、涙ぐんでいた。


「お母さんも、片割れも、ベラとお話もしないで消えちゃった。どんな声だったかも覚えられない内に、あの火山の役目で、二人とも消えちゃった……」


 ベラはそう言い終えて、泣き出してしまった。


「寂しい……。独りぼっちは嫌だ。ベラも竜なの。お母さんたちみたいな、竜なの……」


「……ベラ……」


 ロマニは、泣きじゃくるベラをそっと抱き包んだ。

 ベラは背中を優しく撫でられながら、ただそれを受け入れて泣き続けた。


 同じだ。


 どうしてこんなにもこの子が気になるのだろうと思ったが、その理由が分かった。


 ロマニもベラも。物心さえもつかないうちに死んでしまった家族の影を、ただ求め続けていたのだ。


 ロマニは、両親が島の外を目指し、何を見ていたのかを知りたい。ベラは消えた家族が世代を継ごうと行っていた儀式を追って、地竜としての役目を得ることで、家族との繋がりを取り戻したい。


 二人とも、自分たちが死んでしまった家族と繋がっている事を取り戻したくて、仕方がなかったのだ。


「……俺も同じだ、ベラ」


「え……?」


「憧れるカッコいい父ちゃんが居るんだけどな。俺を生んでくれた両親は、顔も見ないうちに事故で死んじまった」


「……ロマニも?」


「そうだ。俺も外の海行って、死んだ両親の見てきた世界を自分で見たいんだ。俺が、お前をリュウエイ島まで連れてってやる」


「──本当?」


 ベラは顔を上げ、涙を堪えながらロマニを見上げる。


「ああ、任せろ」


 ロマニはベラに、元気に笑ってみせた。


「……うん、約束」


 その笑顔を見て、ベラも涙をぬぐって笑ってみせた。

 ロマニはベラを寝かせ直すと、その手を持ち、優しく握った。

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