19.傍に居てあげたいから

 それから日も傾き、日没寸前を迎えた。


 しばし泣いていたベラであったが、ロマニになだめられる中で次第に落ち着きを取り戻し、悲しさを払ったのと同時に、元気にベッドから起き上がって見せた。


「ロマニ連れてってくれるなら、泣く必要ない。元気でいる」


「もう立ち上がれるのか。あんな大きなのに挟まれてたのに……」


 ロマニは今一度あの怪物、フナモクズの竜柱に匹敵するほどの足の長さと巨体を思い返していたが。ふと考えてみれば、実際に力を入れる部位は腕全体とハサミで別物とはいえ、あれは船をその力技で砕き、船底からかみ砕き飲み込んでしまう程の化け物だ。


 もしあの怪物に人間が挟まれていたとしたら。もはや助ける間もなく、その胴を断ち切られていただろう。

 あの怪物に目を付けられた理由も竜であるその力故とは分かっているが。それでも、竜であるからこそ、無事生き延びられたことと思い、そのことに感謝した。


「それじゃ、そろそろ夕食の準備を始めようかね。親父も久々に帰って来るし、それなりに豪勢にしないとねぇ」


 と、ロマニがベッドから離れキッチンに向かうと。ベラが慌てて立ち上がると、ロマニの横を通り過ぎ、そのまま先にキッチンへと入っていった。


 ベラがキッチンに何の用だ?──と、ロマニは少しきょとんとしながら、遅れてキッチンに入る。すると、先に入っていたベラが何かを手に持ったままロマニの前に戻ってきて、それを差し出した。


「はい、これ」


「……お皿?」


 それは、ロマニが朝方食卓に出した、お皿とガラスのコップだった。


「食事に必要な物、手伝う」


「……あはは」


 ロマニはなんだか胸の内が暖かくなり。淡い笑いをこぼしながらベラの頭をそっと撫でた。


「ありがとうなベラ。これは、料理が終わった後に必要になるやつだから、まだいいかな。代わりに、野菜切るの手伝ってくれ」


「うん!」


 ベラは元気に頷いた。


 切った野菜を多めに使う、スープがいいかなとロマニは思いながら、食材を取り出し始める。

 その時、玄関の方が荒々しく開かれる音を聞いた。


「ん、親父かな……」


 ロマニは料理の作業を止めて、玄関の方へ向かう。


 すると、灯りの灯ってないうす暗い玄関で、帰って来たのは、たしかにロマニの義父、ショウコウであった。


「おかえり、親父。すまない、帰って来るのもう少し先だと思ってて、今から料理始めた所なんだ。悪いが、少し寛いでいてくれないかな」


「……いや、料理はいい」


 ショウコウは静かに首を横に振ると、そのままロマニを通り過ぎ、部屋の中へと入ってしまった。

 仏頂面で話もろくに交わさず自分を素通りするショウコウに、ロマニは眉を潜める。


 今日はいつにもまして変だ。少なくとも、ショウコウならば帰ってくればただいまと言葉を返してくれる。それに、その顔は屈強な肉体とは反して、淡いほほえみでいつも笑ってくれる。


 それが、大体のいつもの自分の父、ショウコウの姿だった。


 まるで急に別人になったかのようだ。もし、これに近い事をするとしても、それはショウコウが自分に対し、全てをはぐらかし、ごまかそうとしている時ぐらいで……。


「──ベラ!!」


 そこまで思い至ったところで、ロマニは声をあげて部屋の中に引き返した。


 部外者が家に押し入ったぐらいの心地で部屋の中に駆け出すと。そこには、想像通りであってほしくなかった光景通りに、ショウコウが、ベラの腕を掴み引っ張っていこうとしている姿があった。


 ショウコウが腕を無理やり掴んでいるのが目に見えていてえ、ベラは足を踏ん張って抜け出そうとしながら、首を横に振り嫌がっていた。


「離して! 急に何! なんで何も言わないで掴むの!」


「どうしたんだ、親父! ベラに何をしているんだ!」


「ロマニ、お前は知る必要は無い。竜の問題は、島の責任者たちの問題だ」


 そう言いながら、ショウコウは無理やりベラを連れて行こうと、強く引っ張る。


 ベラはその反応にはっきりと恐怖を浮かべていて、足をふんばり、抵抗していた。


「いや、いやだ! はなして! ロマニ!!」


 ベラが助けを求める声を聞き、ロマニは次の瞬間体が動いていた。


 ショウコウとベラの間に入り込むと、父の太くたくましい腕をベラの細い手から振り払う。そして、まるで人さらいから助けるかのように、自分の大切な父の前に、立ち憚っていた。


「……何をしているんだ、ロマニ」


「落ち着けよ親父。自分の息子にこんな事させるぐらい、今意味わかんないことやってるって分かってくれよ」


「……」


「親父こそ、なにしてるんだよ。俺本当に意味が分からないよ、親父、こんなことする人じゃないだろ?」


 自分の心臓が激しく脈動するのを、ロマニは感じる。一体自分は、父親とどういう立ち位置で向かい合っているんだ? 敵? なんで親父と?


「なあ、ベラは長老や親父達が、別の島の人たちと連絡を取り合って、火山島に送り届けるんだろう? だったらそう言うだけで済むじゃねえか」


「……」


「なのに、なんで無理やり連れてこうとしてるんだ。今からベラを外へ連れていくみたいなこと言えば、俺が付いてくからか?」


 遠ざけないといけないから。

 ロマニは自分自身で言った言葉に、心がささくれ立つのを感じた。


 なんで、遠ざけないといけないようにって思ったんだ? 自分の父親が、ここまで豹変する理由は、いったいなんだ?


 ──なんで、乱暴はたらくまで、何も教えてくれないんだ──。


「どうして、そこまで何も言わないんだ。俺を怒るのがそんなに嫌なのか? 家の方針ってものがあるなら、子供に言い聞かせるぐらいしてくれよ。何も教えてもらえないのが、どれだけ傷つくことなのか分かってるのかよ!」


 そう聞いたとたん。ショウコウは苦虫を潰したような顔をして、ロマニの横をすり抜け、ベラの腕を掴む。


「お前が知る必要は無い。ロマニ!」


「やめてくれよ親父!!」


 乱暴に事を終わらせようとする親父に、ロマニもベラを守ろうと必死になり、見るも耐えない奪い合いが始まった。


 体を乱雑に右へ左へと傾け、その度に棚に当たっては、コップ等倒れやすい食器が落下し、床に落ちて割れる。


「嫌がってるだろ! 親父にはベラが強いように見えたかもしれないけど、まだ人間が怖いぐらいで、慣れてないんだよ! 無理やり連れていこうとするのはやめてくれ! ベラが安心できるよう、俺もついていくからさ!!」


「それが駄目だと言うんだ! ロマニ、お前は絶対に竜と関わるな!!」


「事情も知らないで答えられるか! 親父、いったい俺に何を隠してるんだよ!!」


「知る必要は無い! お前こそなんだ、なんでそこまでその竜が離れる事を拒絶する! お前、その竜を手元に置いて、得でもしようってのか!!」


「違う!!」


 その言葉に、ロマニは今度こそ怒りを覚え怒鳴った。


 喧騒の中でその声は一際大きく、場は一瞬、静寂が支配した。


「親父。流石に今、そんな事を言ったら、本気で許せないぞ」


 ロマニは、顔を俯かせながら、ベラを背中に隠し、しっかりと隠す。


 そして、ここから先は通させないとばかりに、腕を広げ、手を何時でも動かせるよう構える。


「その言葉、昼間にも同じことを言われたよ。その時の俺は……確かに、その通りかもしれないって、言い返せなくて、受け入れてしまったよ。でも、今は違う」


 ロマニはこぶしを握り、震わせる。


「ベラがさっき言ったんだよ。家族ともう会えないって、せめて、家族が最後にしていた事の先に行って、気持ちだけでも、家族と繋がりたいって」


 ロマニはやるせない気持ちでいっぱいになり、顔を上げる。ショウコウは、強張りながらも、手を出さず、ロマニをまた見返していた。


「俺と同じなんだよ。島の外に出て、両親がなにをしていたかを知りたい。だからベラの気持ちが痛い程分かる。だから助けたいんだよ。この子を助けたいから、俺は今傍にいるって決めたんだ」


 ロマニはそう言って、小さく笑った。


「なんで、俺が死んでしまって、顔も知らない両親の事を、こんなにも愛おしいって思っているか、覚えているか? 親父。……最初にその気持ちを教えてくれたのは、親父だろ?」


「っ!!」


 ショウコウは、自分の息子の一言に、息が詰まる感覚を覚えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る