20.それはお父さんから託された願い
かつて、ロマニが物心つき始め、外で友達と遊ぶようになったころ。ショウコウに一つ尋ねた事があった。
『ねえ、お父さん。ぼくのおとうさん、おかあさんって、どんな人だったの?』
家の一室で、その言葉に、ショウコウは小さく、寂しそうに頷いた。
自分の息子に、ぼくのおとうさん、おかあさんってどんな人? って聞かれるとは。
それは、仕方のない事だとも頭では分かっていた。自分は、ロマニの実の父親じゃない。それでも、少し目の前の息子とのつながりが途切れるかのような問いで、辛くなった。
……でも、それは横に置いて。息子であるロマニに、胸を張って言えることはあった。
『そうだね……。二人とも、誇らしい、立派な人達だったよ』
ショウコウはそう言って息子を抱き上げ、椅子に座って静かに話を続けた。
『アランは、それはもう、獰猛で勇敢な男でね。悪く言えば悪ガキ、なんだが……なんでもかんでも、やってみたいと思ったら、本気で実現してしまう頑張り屋だったなぁ』
思い返してみると、そんな事が多かった。竜の森の奥深くを見て見たいって言い出したら、実際に道具をそろえて子供だけで森の奥に入り込み、その中央のご神体である大樹を真下から見る。竜の加護が無い世界を見てみたいって言えば、島の籠の限界点である、竜の柱の境目まで、小舟で近寄り、その外を泳ぐ魔物の姿を目撃する。
本当に、今思い返すと、父親と言う立場になったショウコウとしては、一発ゲンコツをかましてやりたいほどの、危ない悪ガキだった。
『だが、本当に何でも挑戦する奴で。一緒に居て、元気をもらえる奴だったなぁ』
そんな彼に振り回されて行った先の場所で見た光景は、どこも綺麗だった。
大樹の下で寝そべったときは、世界がここだけになったかのように、ただ静かな、澄んだ清廉さが、煌めく光を優しく迎え入れる様をただ眺め続けていた。
竜の柱のすぐ外は、恐ろしい魔物が、それはこちらの事を恨めしそうに見つめていた。けれど、怖くなって後ろを見て見ると、ここが全てだと思っていた自分たちのリュウセ島は、いつもより小さくちっぽけに見えた。
代わりに、海よりもさらに向こうの世界は、どこまでも丸い水平線が広がり、大きな入道雲が、ショウコウたちを優しく見下ろしていた。あの向こうには、何があるのあろうと、不思議で仕方なくなる気持ちでいっぱいになった。
『そして、イリムは。俺とアランの、花みたいな人だったな。待ち受ける事みんな楽しい宝物みたいに、快活に笑う人で、どこまでも楽しむ人だった』
イリムは、何でも面白そうと悪乗りする人だった。十歳を過ぎて、やんちゃが前にも増して自由になったころ、アランとショウコウが自分の方がうまくやれると言って、度々喧嘩に近い競い合いをするようになったときなんかも、どっちが勝つかと毎日予想しては、最後に感想と品評みたいなことをするようなところがあった。
たまに、わくわくが過ぎて、その競い合いに乱入して、勝利を横からかっさらう事もたまにあった。
『アランの奇行の数々が、隣で楽しそうに受け入れて笑っているイリムが居て、更に楽しくなって……そんな感じだったなぁ』
3人の輪は、アランが何か提案して動き、イリムがその奇行を楽しみ盛り上げる。いつも、そんな風に何気ない日常は過ぎていった。
『ロマニ。お前の両親は、そんな感じで、居ると楽しくて仕方が無くなる人達だったよ』
『へぇ……そうなんだ』
ロマニは、話の内容は全部分かってないかもしれないが、悪い人達じゃなかったんだ。ということぐらいはなんとなく分かった様子で、どこか誇らしく、うきうきとしていた。
『……そしてな。そんなお前の両親に、私も、救われたんだよ』
ロマニがきょとんとする中で、ショウコウは優しく、ロマニの頭をなでながら微笑んだ。
『父さんはね。昔、すっごい泣き虫だったんだ。漁師の元締めの息子ってことで、島の皆や父から、未来のリーダーとして成長していくことを望まれてたんだけれど。父さん、全然答えられなくてな。毎日必死に頑張っているんだけれど。全部うまくいかなかった』
しみじみ思いながら、うんうんとショウコウは頷く。
ショウコウは、そんなに健康的な男ではなかった。常にか弱く、海が怖いぐらいの気持ちを常に見せる、臆病者であった。
それでも、なんとか認められようとできるだけ漁師としての仕事に挑戦してみるが。あと一歩のところで空振り、いつも残念な奴と言う烙印を当てられていた。
それが、何時だっただろうか。自分の前に、アランが現れた。
島の子供たちの集まりで、何か小さなイベントのようなものをした時に、仲間輪から外れて静かにしている自分に、アランは近寄って声を掛けてきた。
自分の話を聞いてくれる人もなかなかいなず、漁師の元締めの息子であることを話し、自分の情けない事情を、アランに打ち明けた。
すると、アランは一通り話を聞き終えた後で、笑顔を浮かべて、ショウコウに一言いった。
『かっこいいよ、怖くてもそれでも乗り越えてやろうって、諦めないんだろ? だったらかっこいい。やめないで頑張るお前はすげえよ。……あいつはそう、言ってくれたなぁ』
アランは、臆病なショウコウにそう言って、色んな事にショウコウを連れて行くようになった。
戸惑ってばかりのショウコウであったが、次第にアランもイリムも、毎度の荒事の数々を楽しそうに遊んでいる事に気が付いてくると、自分も、その荒事を楽しむようになっていった。
人間、楽しんで知らないことを進んで学ぶようになると、どこまでも成長できるようになるもので。ショウコウは、それからどんどん漁師としての在り方を学び、成長していくようになった。
『お前の両親は、人を元気にする天才だった。二人が居たから、私はここまで漁師として、立派になれた』
ふと、そこでロマニが振り返り、ショウコウの頬をそっと撫でて心配そうな声を掛けてきた。
『お父さん、大丈夫……?』
『え……?』
ショウコウは、自分でも気が付かないうちに泣いていた。
どこまでもあの二人に追いつこうと願い、追い続けていたのに、二人に置いていかれた事。それが、悲しくて仕方が無かった。
そして、目の前のこの子。自分の息子、ロマニも。いつか、あの二人のように、二度と手の届かない遠くのところへ行ってしまうのではないだろうか。
──それが、ショウコウは何よりも怖くて、仕方が無かった。
『ありがとう、ロマニ。お前は二人に負けず、本当にいい子だ』
ショウコウは、ロマニの頭を今一度撫でてやった。
『ロマニ。お前は、二人みたいに人の頑張りを見れる子に育て。頑張ろうとしている子を応援して、傍に居てあげられる、強くて、優しい子に育て』
ロマニは、自分を撫でる父の太くたくましい腕を両手で掴むと、自分の頬に動かし、その手のひらに心地よさそうにしながら頷いた。
『うん、父さんにも、おかあさんやおとうさんにも、負けないぐらい、あたたかい子になる』
ショウコウは、そんな自分の息子の言葉に顔を緩ませた。
◇ ◇ ◇
「俺、親父が俺を何かから守ろうとしてるのは、なんとなく分かるよ」
ショウコウは、その言葉に強く言葉を張り返せない。
「だから俺、親父がその訳を俺に話してくれるぐらい、安心できるぐらい強くなろうとしたよ。無い片腕の使い方も覚えた、魔物との戦い方も覚えた、漁師の仕事も覚えた。頑張っていれば、いつか親父が俺を守ろうと頑張っている事と、釣り合うぐらいの頑張りになると思ったから」
「っ……だから、お前……」
ロマニは小さく頷き返す。
「親父、言ってくれたよね。人の頑張りを見れる子に育てって。俺、父さんが自分の事話してくれるぐらい、魔物とも戦って、強くなったんだよ」
だから──そう言って、ロマニは自分の手のひらを、自分の胸にあて問う。
「親父。今俺、ベラを助けたくて、外に出たいんだ。それと俺をこの島に居させ続ける事が関係するなら、俺に話してくれよ。親父が隠している事俺に話して、一緒に悩ませてくれよ!!」
ロマニは、もれる声を堪えて、父の目を見て、必死に願った。
しばし、静寂に包まれた。
少しして、ショウコウはその手を動かそうとするが、その拳を、自らのみぞおちよりも高く、上げることはできず、静かに下がった。
「…………お前は、俺が傍に居てあげられなかった間に、本当にいい子に育ったな」
ただ、静かに小さく、そう呟いた。
ベラが静かになったのを感じ、恐る恐ると言った様子で、不安げに目の前の様子を覗き込んだところで、ショウコウが再び口を開き、驚いて引っ込んでしまった。
「もう、無理やり離そうとしない。ベラ、だったか。……さっきは、すまなかったな」
「! ……親父……」
その一言で、ロマニは詰まっていた心の中が、急に広く広がり、暖かさを取り戻したのを覚えた。
「そうだな。お前ももう14だ。まず、どこから話せばいいのか……」
ショウコウは近くの空いている椅子に静かに座り、手で額と目を伏せ、少し思案をする。
「そうだな……まず、竜の事だ。竜が降臨したら、長老から各国に、その事が連絡されるって話が、あっただろ」
「ああ。それで、各国で話し合って、火山島までの道のりを決めるって」
「ありゃ、嘘だ」
「──え?」
その言葉で、今一度、別の空気で場は張り詰めた。
「嘘って、どういうこと?」
「竜が現れたってことを、各国に知られるわけにはいかない。あれは、一時の各国の暴走を抑えるための、詭弁だ」
「詭弁って、じゃあ、ベラは、俺たちだけで火山島にまで送るの、いったいどうして!」
ロマニは自分の裏で縮こまるベラを今一度見て、父に問う。
「まるで、他国を信頼してないみたいじゃ……」
「……ああ、そうだ」
ショウコウは、当然と言ったように答える。
「この、竜の問題だけは、原因がどこの国かも分からない。どこの国が、敵であるかも分からない以上、竜の存在を伝えられない」
「敵……?」
不穏な言葉が出た。ロマニは、一層眉を潜める。
「なんで、敵なんて……」
「そこからが、問題だ。俺と、ロマニ、俺たちにとっても。あの日──」
あの日。その言葉からの先を、ロマニはずっと待っていたような気がした。
しかし、そこから先の言葉を、ここで聞くことは出来なかった。
次の瞬間、唸る地響きと共に、家の外から爆発音が聞こえた。
「! なんだ!?」
ショウコウが急ぎ駆け出して表へ出て、それから後を追って、ロマニとベラも表へ出る。
表へ出ると、まず日が落ちたというのに、やけに明るいと感じた。それから、坂の麓の方から、人の悲鳴が聞こえる。
「……なんてこった……」
ショウコウが、小さく声を漏らし、それからロマニとベラも見て、同じく言葉を失った。
島の船着き場が、赤く燃えていた。
もはや夕日も沈み、夜のとばりがやってくる頃だというのに。色彩は似ながらも、見る人に恐怖を掻き立てる光景として、いびつな揺らめきを見せながら燃えていた。
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