21.忘れがたき復讐者が火を放つ

 今や、ロマニやショウコウにとって慣れ親しんだ、人々の仕事終わりで各々が酒場や家で賑わう穏やかな声は、どこにも聞こえなかった。


 ロマニ達の住む家近くを行きかっていた人々は、不穏気に坂の下の港に皆目を向けている。


 そして、肝心の港の方は、夕日さえも消えた夕焼けの色を引き継いだかのように、それでいて恐ろしい悲鳴を伴って、赤々とした炎が地上を這っていた。


「お前たちはここに居ろ、俺は火を止めてくる!」


 唖然としてその光景を眺めていたロマニとベラであったが、真っ先にショウコウが走り出した。

 力強いその背は、先ほどの心の追い込まれたか細い心をさらけ出していた姿はなく、リュウセ島の漁師の元締め、ショウコウとしての姿がそこにはあった。


「親父! 冗談じゃない、動けるみんなでやるもんだろ、俺も!」


 と、ロマニが続いて坂を走り出す。


「ベラはここに居ろ!」


 そう言って走り出していったが、ベラはその言葉に反応を返さない。


 ただ、親子譲りに揃って走り出したロマニとショウコウ、その二人の姿よりもさらに遠く。燃え続ける港を、目を見開いて眺め続けていた。


「……違う」


 ベラが小さくつぶやく。そして、再び翼を広げると、坂を下るように宙を飛んだ。

 滑空してロマニのすぐ真後ろに接近すると、ベラはロマニの脇に両腕を通し、そのまま空高くさらってしまった。


「うわっ、何してんだベラ、あ、危ない危ない!」


 ロマニは突然自分の足が地につかなくなったことで驚き、反射的に足をばたつかせて暴れた。しかし当のベラはそんな事気にしないとばかりに、いくら暴れても腕をほどかず、そのまま坂の角度のままに高低差が開いていき、あっという間に周りの民家よりも二人は高い位置に上がってしまった。


 ここまでくると、先刻のフナモクズのようなアンカーを差してぶら下がれる物なんて存在しない。


 義手のワイヤーがあろうと、落下すれば助からない。むしろ手を離された方が危ない為、ロマニは観念して足を宙づりにする体験に身を委ねた。


「力強いんだな、落とさないって信じてるぞ……それで、急にどうしたんだ?」


「ロマニ。あれ、火事だけじゃない」


「……じゃない?」


 落ち着きを取り戻したことでロマニは、自分を抱えているベラの顔に、張り詰めた緊張が有る事に気が付いた。


 そして、ベラが見つめ続ける、段々と近づきつつある港に自然と目が向かった。


「……嘘だろ」


 自分でも見えるようになって、ロマニはようやく思い出した。


 そうだ、ベラは坂の上から海上の漁師が釣った魚が分かるぐらい、目が良いのだった。


 ベラは高度を下げると、港の魚介類加工場手前の、坂の麓に建てられた酒場の屋根に静かに着地する。建物の下には何人かの人間が狂乱としたままに叫び、一様に坂の上を目指して逃げている様子が見える。誰も暗い空から降りてきた、真っ赤な竜の翼をもったベラの姿に気づける余裕は無かった。


「──魔物が、陸に上がってる」


 港一面に居るのは人と、魔物だった。


 陸に上がり人々を襲う魔物の姿が海ぎりぎりまで広がっているさまが続いていた。


 昨日の昼方にはロマニが働いていた加工場も燃えている。父に外へ連れて行ってもらえずに拗ねていた桟橋は、海水で水浸しになった魔物が、退化したような手足を使って、上陸している。


 ロマニが知る限りの慣れ親しんだ島が、魔物に蹂躙されていた。


 ふと、傍らで悲鳴が聞こえた。遅上がりの加工場勤めの青年だろうか、ロマニが昨日仕事中に見かけた青年が逃げきれず転んでしまい、そこに宙を浮遊する馬車の歯車程の大きさを誇る黒いとげの球体が3つ、迫っていた。


 ロマニはそれを見た途端、現場の地面に向かってワイヤーを撃ち込んでいた。

 射出されたワイヤーは乾いた地面に深く突き刺さり、それからすぐにロマニを建物の屋根から、今まさに青年に襲い掛かろうとしている魔物目掛けて飛び込んだ。


「やめやがれっ!!」


 ロマニは、勢いが付いた中でワイヤーの巻き上げを止め、義手の手を自由にすると。力いっぱい、目の前の黒いとげとげを鉄の義手でぶん殴った。


 黒いトゲの魔物は、中央からひしゃげると、そのままロマニの拳の勢いのままに地面に叩きつけられ、トゲをいくつも折って周囲に散らばらせながら弾み、そして動かなくなった。


「早く行け! 海からとにかく遠くへ!」


「頭の息子の……すまない!」


 倒れていた同年代の青年は、感謝の一言を言うと、急ぎ立ち上がり坂の上へ駆けて行った。


「同い年ぐらいなのに、名前も知らないか。はは、ちょっと傷つくな……」


 昨日話せなかった同じ仕事場の同い年ぐらいの相手が、互いに名前さえ知らなかった事に気が付き、内心傷つきを覚えた。そういえばいつも話すのは自分より年上の相手ばかりで、同年代の友人ってあまりいなかったっけ、と自嘲気味に笑いつつも、ロマニは目の前の敵に身構えた。


 残る2体の宙を浮かぶ、トゲの魔物。その見た目は、巨大化したウニそのものだった。そのトゲの何本かが、灰色がかった紫と黒の縞々模様になっていることが特徴的であるが、この魔物には覚えがある。


 たしか、プレトが話していた魔物。シロヤネズミだ。


 幼体時は並のウニとは見た目にさほど違いはなく、成長につれ巨大化する魔物だが、生育できるサンゴ礁の環境が、地竜の加護で守られていることもあり、ろくに成長できないまま、小さい姿で生育が止まる事がが見られる魔物だ。


「ここまで大きくなる個体が居るなんて……」


 しかも、このシロヤネズミたちはどれもが飛行するための器官を持ち合わせてないように見えるにもかかわらず、宙を浮いている。


 ──力のある魔物は特に、それぞれの種で特有の魔術を扱うことができる。この魔物たちは、浮遊ができる。それほどに成長した個体であると伺えた。


 目の前のシロヤネズミは、仲間を一人討ち取ったロマニに目を向けると、襲い掛かって来た。


 しかし、その攻撃をロマニが防ぐよりも前に、ふと頭上が明るくなったかと思うと、斜め上の咆哮から放たれた炎が、シロヤネズミの全身を包み、そのまま魔力を失ったかのように不時着し、ただの地面で燃える火の玉へと変貌させた。


「ロマニ! ベラも手伝う!」


 真っ赤な翼を羽ばたかせながら、ロマニの隣にベラが降り立った。


 その場に向かって、残った最後のシロヤネズミが縞々模様のトゲを向ける。そして、その根元が紫色に不気味に光を帯び始め──


 カシュッという何かが放たれた音とほぼ同時に、ロマニとベラの後方から投げ放たれた銛が、シロヤネズミの中心を貫いた。


 撃つ寸前に肉体を貫かれたシロヤネズミは、打ち込んだとげの狙いを外す。それは間一髪ベラの頬すれすれに逸れ、地面に刺さった。


 一方のシロヤネズミは、銛の飛ぶ勢いのままに燃え広がる港の方へと跳んでいき、豆粒のように見えるところで、地面に垂直に突き刺さり、さらし首のような様相で絶命した。


「なんで残ってろって言ったお前らが、俺より先に現場に居るんだ!」


「親父!」


 銛を投げ終えたショウコウが、荒い息を整えつつ、二人の前に姿を見せた。


「それで、これは酷いな……。なんで陸に上がってるんだ」


「分からない……」


 揃った3人の前で、燃え広がる港の火を背に、その姿を浮かび上がらせた魔物達が跋扈していた。


「……魔物は、地竜の加護の与えられた聖域、大地には近づけない。考えるとしたら、その力が摩耗し、加護のある領域が狭まったかだ」


「!」


 その言葉を聞き、ロマニは眉を潜め硬直した。


 そして、それよりも更に驚きを表に出し、動揺を見せたのはベラだった。

 これまでショウコウに怯えていたベラは、自分の意思でショウコウに顔を向ける。


「ロマニのおじさん、それって……」


「そう、お前さん自身に与えてるって自覚があるかは分からんが。その加護は、お前の力だ。お前……ただでさえ竜の力が弱るかして空から落ちてきたっていうのに、どこかで重い量の魔力、使わなかったか?」


「……あ……」


 ベラもロマニも。その言葉に心当たりがあった。


 あの浜辺に行った時だ。竜柱の外に出てフナモクズに襲われたとき、ロマニがベラを助けに行って、そして命の聞きに晒されたとき、ベラは確かに魔力を使った。


 魔物を支配し、屈服させる竜の屈服させる力。その魔力は、伝承さながらにあの巨大なフナモクズは愚か、その配下である幼体の群れさえも、一斉に無力化した。


 あれ程の数と力のある魔物を動けなくするのに、ベラはどれだけの魔力を使った? そして、それだけの魔力はどこから来た?


 その答えは、目の前を見れば一目で分かるほど、現実として姿を見せていた。


「各島の加護は、ベラが今も引き継いでいたのか……」


「……わ、わたし。こんな事するはずじゃ。ロマニ、死なせたくなかっただけで、こんな……」


 ベラは、初めて自分の行動で、後悔を覚えた。目の前で聞こえる火の燃え広がりパチパチと砕け、崩れる音。人々の恐怖におののき、叫ぶ絶叫の声。全てが、ベラの行いで起きた事だと、重くのしかかった。


 圧に押しつぶされ、蹲りそうになった時。ふと誰かがベラの背をそっと抱きかかえた。


 ベラが自らを優しく包んだ手に顔を向けると、そこには港をまっすぐ見据えたロマニが居た。


「お前は助けたいって思って、俺を助けてくれた。そう思ったこと自体が悪いなんてことは、絶対に無い!」


 ロマニはベラの顔を見てそう言うと、港に向かって駆け出した。


「逃げ遅れた人たちをみんな助けるぞ!! 加護の範囲が後退しただけなら、竜の森の方へ逃がせば、安全なはずだ!!」


「! ロマニ……うん!!」


 走り向かっていくロマニの姿を見て、ベラは自分が今為すべきことを見つけだした。

 ロマニの後を追い、未だ魔物が蠢く港に、ベラとショウコウも足を踏みこんだ。


◇ ◇ ◇


 火の広がる港での乱戦は、混乱を極めた。


 逃げようとする人々、漁師の一員として大事な港を何としても守ろうと踏みとどまり、消火活動に赴く者。それらの行動をする人々を何としても守ろうと、銛や銃を持ち出して、魔物に立ち向かおうとする者。


 それぞれができる限りのことを努めて戦う事で、どうにか持ちこたえるだけの様相を成していた。


「こいつを倒したら、坂の上へ逃げろ! 竜の森あたりで火が届かないように守ってくれ!」


 ロマニはそう叫び、身を縮こませ怯える婦人達の前から、目の前の垂直立ちした巨大なウミウシのような魔物にワイヤーを撃ち込み飛び込んでいく。ぬめりけのある肌に着地し、ウミウシの口からロマニ目掛けて伸びる触手を斬りはらいながら、そのウミウシの首元をナイフで掻っ切り、ウミウシに絶叫を上げさせ倒す。


 それを見た婦人たちは互いに手を伸ばして立ち上がらせると、急ぎ港の出口へ向かって駆け出す。


 そこに、先ほどのシロヤネズミや、海面から跳ね上がり空中を螺旋回転のまま滑空して飛び込んでくるツキニエ等が襲い掛かろうとするが。無数に横からとんできた銛や、空から滑空して来たベラの吹く炎によって、貫かれるわ燃えるわと言う様相で、みな防がれ落下した。


 婦人たちが無事港出口にたどり着き坂を駆け上っていったのを見ると、ロマニとベラ、ショウコウは再び集まり互いに背を預ける。


「頭! 港内で保護していた人らも、大方竜の森へ逃げていきました!」


 漁師の一人がショウコウの元に駆け寄り、報告をするが。ロマニやショウコウと共に、肩で息をし、熱い域どころか小さく炎を漏らしているベラを見て目を見開く。


「えっ、親方。その女の子いったい……」


「後にしろ! だがよくやった! 保護している相手が居なくなった奴は、とにかく消化している奴らを守れ! こっちが避難できようが、魔物は今も増え続けている。こっちが戦えるだけのスペースは火消して確保するんだ!」


「りょ、了解!!」


 漁師は指示を反芻し息をのむと、荒く敬礼をしてすぐに持ち場へと戻っていった。


「さすがに、この争いじゃ、ベラを隠すこともできないよなそりゃ……」


「ベラ、出ない方がよかった?」


「そんなことないよベラ。お前が居なかったら、今頃どのぐらい人が死んでたか……」


「だな。今はあれこれ言ってられない」


 ショウコウがうんと頷きをいれ肯定した。


「戦えない奴らは大体撤退できてきて、有利になった……と言いたいところだが、結局のところ、魔物の数が減ったとは言えないな。いくら倒しても、次から次に海から上がっている現状は変わりはしない」


「俺も同意だ親父。……それに、なんかおかしくねえか?」


「ん、何がだ」


 3人は、飛び掛かってくる魔物が居ないのを確認すると、背を預けた構えを一旦解き、それぞれが周囲次にどこへ飛び込んで助けに入るかを見渡して探し始める。


 そんな中、ロマニは義手の動作確認をしながら、息を整えつつ口を開いた。


「竜の加護が無くなったからって、経った一夜でこんなに攻めてくるもんなのか。こう、加護が無くなったところに、少しずつ統率も取れてない魔物が、まばらに出入りするようになる、って感じが俺はするんだが」


「確かにな……。海上でも、船に使っている加護土かごどが無くなったら、すぐに魔物が群がるってわけではない。それこそ、でかい魔物が一体二体、狙いを定めてくるぐらいだ」


「それって、どういうこと? ロマニ」


 ベラは翼を一払い振るうと、ロマニを見上げる。


「おかしいんだよ。一気にこんな量の魔物がなだれ込んでくるなんて。竜の降臨地である竜の森が、この島にあるからなのかなんなのか。それとも……」


 その時、辺り一帯に地響きが起こった。


「あわわっ!」


 思わず、ベラを始めとして、その場の皆が少し体制を崩し揺らぐ。


 その地響きには、その場の誰もが覚えがあった。

 この惨劇の最初、ロマニ達が家に居たときに感じた地響きが、更に震源地に近づき強大になったかのようだった。


「またこの揺れか、いったいなんなんだ!」


「! これって……」


 揺れる中、体勢を整え直したベラが、慌ててロマニとショウコウの顔を交互に見る。


「二人とも、大変! これただの地響きじゃない」


「違う?」


「魔力で起きてる揺れ! すっごい大きいのが──」


 ベラがそう言いかけた瞬間、海上で大きな爆発が起きた。

 水しぶきが月に被さるほど大きく打ちあがり、ロマニ達の上へと降り注いだ。


 思わず腕で顔を覆い隠してしまい、水しぶきが一通り終わったところで、顔を上げると。そこには、月を隠すほどに大きい、巨大な黒い塊が、海上から姿を見せていた。


「……嘘だろ」


 ロマニが小さく、そう言った。


 先ほどの話だ。ロマニは、この大量の魔物の襲撃に関し、もう一つの可能性を考えていた。


 それは、これだけ大量の魔物を指揮し、島に向かわせるほどの力を持った、大型の魔物の存在だ。


 そんな魔物が居るとして、それ一体が島を襲う事を望めば、本来はまとまりもつかない有象無象の魔物の群れは、一気に島を襲うという指示のもとに集い島を襲うだろう。


 ロマニが思い描いた、魔物の襲撃の訳。当たってほしくない予想は、現実となって目の前に質量を持って姿を見せていた。


「こいつ、シロヤネズミか……?」


 海から浮上しつつある巨大な魔物は、大量のトゲをその体表に生やしていて、複雑に縦横無尽にゆっくりと揺らし続けていた。


 人間からしてみれば、人以外の生物における、普通の生き物と、魔物の違いとは一体何だろうか?


 それは、地竜の加護の影響を受け拒絶反応を見せることもそうだが、もう一つに、大なり小なりの魔力を体内に保養し、常軌ならざる力を、魔術と言う形で引き起こす事であった。


 目の前の、余りにも巨体すぎるウニもどきの魔物、シロヤネズミは、まさに魔物である象徴を誇るように、その巨体を、海面から引き離し、宙に浮いて見せた。


 それは、宙に浮かぶ真っ黒な怪物として、島の人間達の前に立ち憚った。

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