17.薬師の自己嫌悪
人が行きかう坂の道。その途中にある自分の家、ソワレ薬店にプレトは帰って来た。
その表情は重く、眩い程輝き続ける陽の光がプレトの顔に暗い影を落としていた。
扉を開けると、カウンターの前に立った母、ソワレが帰ってきた息子に気が付き、呆けていた顔を上げる。
「あら、おかえりなさいプレト。ロマニ君とは会えたのかしら?」
ソワレは、少しからかい気味の気持ちを混ぜてか、微笑みながら尋ねる。
「……」
しかし、プレトはその言葉に返事を返さなかった。
「……? どうしたのかしら?」
プレトは何も言わずにカウンターをくぐり、まるで死人であるかのような面持ちのまま、裏口に向かおうとした。
だが、その足はソワレの真後ろに来たところで立ち止まり、それ以上進まなくなる。
ソワレは息子の妙な行動に首を傾げるが、それからすぐに、
「きゃっ、プレト?」
プレトは振り返ると、母に抱き着いた。
何事かとソワレは戸惑ったが、次第にその戸惑いも、プレトがすすり泣いている事に気が付くとともに、収まってきた。
「……どうしたのよ、もう。ロマニ君と何かあったのかしら?」
ソワレは、久々に抱き着いてきた息子の背中を、そっと優しく撫でた。
それが堤を崩すきっかけとなり、堪えるように出ていた鳴き声は、より大きくなった。
「僕、本当にどうすればいいの……心配なのに、足手纏いな事しかできない……」
プレトは泣きながら、どうすればいいのか分からないその悩みを、母に投げかけた。
ソワレはその言葉を聞きながら、久々で懐かしいとしみじみ思っていた。
◇ ◇ ◇
「はい、これでも飲みなさい」
ソワレは豆乳をコップに注ぎ、プレトに差し出しながら言った。
プレトはコップを受け取ると、テーブルに座り、ぽつぽつと言葉を出し始めた。
「うん……。何しているか全部は言えないんだけれど、いつもの外に行きたいって話の延長線上の話。島の外に行きたいって、ロマニが動いているの」
「前にどうすればいいか分からないって言った時も、そんな話だったわねぇ。たしかその時は、ロマニが漁師になって外に行くことは、仕方ない事だって受け入れたんじゃなかったかしら?」
「その通りだよ。本当は、遠くに行ってほしくないんだけど……ロマニの夢を、僕が傷つけていいわけじゃないし……」
プレトはそう言いながら俯き、豆乳をちびちびと飲み始めた。
「でも……昨日、もっと大きい問題が起きちゃった」
「問題?」
「うん……。ロマニ、もしかすると漁師にもならないかも」
「ならない? ……それなのに、島の外へ出て行って会えなくなりそうなの?」
「そう。ただでさえ危ないって思うのに。ロマニがもっと危ない目にあいそうなの。それなのに僕、ロマニにそんな危ない事をしないで、って言う事しかできなくて。それで……」
プレトはそう言葉を続けようとして言葉が詰まり、両手で頭を抱え、俯いた。
「ロマニを止めたくて。今日一日で、いっぱい、ほんといっぱい傷つけた。ひどい言葉しかロマニに投げられなかった。こんなこと言う僕じゃ、ロマニだって嫌いになるよ……」
小さく、こらえようにもこらえきれない嗚咽が漏れる。
「心配で仕方がないのに、ロマニにとって、邪魔物にしかなれない……」
か細く漏れた言葉は、プレトの悩みの全てだった。
ロマニは強い。一度島の外に出れば、その先の島を味わいたくて、どこまでも好奇心旺盛なままに戦いに挑むだろう。
それがロマニという人を作るほぼ大半を占めているというのに、その前向きな心にこそプレトは心を惹かれたはずなのに。プレトは、それが怖くて仕方がなかった。
ロマニが外に出て死んでしまったら。帰って来なかったら。そう思うと、ロマニがいなくなるかもしれない事を黙っていられなかった。
──それゆえに、ロマニに酷い事を言って止めようとしてしまった。本当に危険なとこに飛び込んだロマニを、止めることしかできなかった。
そのことが、プレトの心に染み込んだ闇となっていた。
「心配なのに、邪魔ばかりしちゃうねぇ……自分が役立たずに思えて、辛くて仕方が無いと」
「……うん……」
ソワレは何度目かの相槌の頷きを終えて、口を開く。
「いっそ大好きだから置いてかないでって言えば?」
「はいっ!?」
プレトはその言葉を聞いた途端、呼吸が裏返ったかのように噴き出し、テーブルにぶつかった拍子でコップをこぼしそうになり慌てて抑えた。
「何言ってるの母さん!? 僕真面目に話してるんだけど!?」
「私だって真面目に話しているつもりだけどねぇ。まあ、お前の気持ちは母さんよく分かるよ」
ソワレは中途半端な姿勢で立ち固まったプレトをそっと座らせながら、その頭を優しく撫でた。
「しかし、お前はほんと変わらないねぇ……お前が母さんに泣きつく時って言えば、ロマニ君と上手くいかなくてどうすればいいかって聞く時ぐらいだわ」
「そう、だったっけ? 色んな事でも聞いてるよ、薬とか……未だに調合とか、母さんみたいに上手く完璧にできなくて、何度も母さんに聞きに行くし」
「扉バーンって開けて、頭パンパンなまま肩で息をしてね? そういう時、泣きそうな顔はしてないわ」
ソワレはそう言うと、自分の分の豆乳もコップに注ぎ、プレトの反対側の席に座った。
目が怪訝そうに母を見つめるプレトをよそに、豆乳をゆっくり飲んで息をつく。
「いい? プレト。幸せになる条件は、互いがどう思っているか、伝え合う事よ」
「伝え合う事?」
「プレトもロマニも、考えは違うでしょ? そんな時、無理に相手に合わせちゃいけないのよ。自分がどう思っているか一言でも言えず、全部それがいいって同意したように見せて、自分自身が我慢してたら……いつか考えが違うことが表に出て、嘘つきって言われたり、堪えてきたのに気が付きもしないって相手に怒ったりする」
プレトはその言葉に詰まる。心当たりがある。ロマニは島の外を見ていて、自分は彼を見ている。それは、プレトにとって辛くて仕方がない事実の一つだった。
「素直に言うべきなのよ。素直に言って、ロマニ君も素直に言って。気持ちが並んだ時、どっちが正しいか、すり合わせが行く」
「……」
「……プレト。プレトが起こった時、ロマニ君の言葉が正しいって思ったんじゃないの?」
「っ……」
図星だった。
ソワレに明確に語りはしなかった。自分の気持ちと、ロマニの行動。
『──でも、ロマニが行かなかったとしたら。それで、あの子は……いったい……』
自分は、ロマニに行かないでって言った。行ったら、ロマニが死んじゃうと確信を抱いて怯えてたからだ。
でも、あの時ロマニが行かなかったら、ベラはどうなっていただろうか?
「……それでも。行動が正しくても、認められないことだってあるよ」
自分は、あまりにも未熟だ。何もできないのに、するなとごねる事しかできていない。
やはり、自分の戦う力の無さが、問題としてそこにはあった。
「飲み物ありがとう……色々、改めてありがとうね、母さん。出来るだけ、ロマニとももう一回話してみる」
プレトは、ロマニとプレトが何か内緒ごとがあると言いながらもそれについてそれ以上追及しない母に、そのことを内心感謝しつつその場を去った。
「……ふう、ロマニ君は、プレトが思っているような事は、思っていないと思うけどねぇ……」
だんだん日が傾き、寒くなってきたところで、左手をさすりながらソワレは外の海を眺めていた。
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