16.沈む舟に沈む心

「いけない。今がチャンスだ!」


 ロマニは竜に魔物が圧される壮大な光景に眼を奪われていたが。自分がすべきことを思い出すと、急ぎワイヤーを巻き上げて、元の魔物の関節部に戻った。


「これで!!」


 刃物を構え、今まで掘りこんだ隙間の奥の残った筋繊維を、横払いに斬りはらう。

 すると、遥か頭上の方で重々しくがこんと何かが外れる音がした。


 見上げてみれば、フナモクズの鋏が自らを支えることも出来ず、下鋏がだらしなく口を開けていた。

 隙間からするりと、先ほどの竜の威光も消え失せたベラが力なく抜け落ち、そのまま空中へ身を投げ捨て落下して来た。


「ベラ!」


 ロマニはベラが自分のすぐ前に落ちてくるタイミングで、ワイヤーを緩めると同時に自分の体を仰向けにしたまま跳ぶ。


 そして、ロマニの狙い通りベラが胸元に落ちてきて、ロマニはベラを抱きしめつつ、下へ共に落下した。


 フナモクズ本体の体表ににぶつかる寸前。ロマニはワイヤーに徐々にブレーキを掛けて衝撃を和らげる。


 やがて、ロマニは足からそっと、未だに全身を痙攣させながら硬直する母体のフナモクズの上に着地した。


 ロマニは着地した甲羅上で幼体のフナモクズがいくらか仰向けに痙攣をしている様を眺めつつ、ふと自分の横で母体フナモクズの口がぶくぶくと泡を発し、そこから強烈な異臭がしている事に気が付くと鼻を覆った。


「どうにかなったみたいだな……。急に魔物が止まるなんて、これもベラの力か?」


「……こんなにでかい怪物居るのに、来てくれるなんてびっくり」


 ロマニに抱かれたままベラが痛みにこらえながら目を開ける。ロマニを見つめるその表情は、ロマニ自身の認識が変化したのか、急に一段精神的に成長したかのような端麗さを秘めていた。


 良かった、生きている。ベラの安心したような返答に、ロマニは自分が助けられたのと同じように、彼女を助けられたことを実感し、安堵の息をもらした。


 ふとその時、周囲から再び軋む音が響き渡った。

 ロマニが周囲を見渡していると。空高くまで柱のように伸びる巨大な複数の脚が、荒く痙攣しながらも動き始めていた。


 また、足元の周りを見てみれば、仰向けになって動かなくなっていたフナモクズの幼体達のいくらかが、態勢を元に戻し、復帰し始めてさえいた。


「わたし、なにしたのかよく分からないけど。もう一回はもう、無理」


「ベラの力の効き目が切れてきたのか。逃げるぞ!」


 ロマニはベラを改めて抱き抱え直すと、復帰していくフナモクズの幼体の合間を駆け抜け、母体の甲羅の淵で海に向かって跳んで元の竜柱の上部にワイヤーを射出した。


 ロマニが海上で吹き荒れるフナモクズの排水のしぶきに飲み込まれるより前に、竜柱の下部にワイヤーが刺さり、ロマニとベラは竜柱へと引っ張られていった。


 無事着地し、ロマニは振り返る。


「よし、目的達成……は、いいんだが。こっからどうするか。逃げるにも、船に戻ればプレトも巻き込んじまうな……」


 眼前では、ベラの咆哮から解放されたフナモクズが、自分の手足の感覚を確かめるように、損傷していない手足をまるでムカデのようでありながらゆっくりと波打って確かめていた。


 そんな動作の最中でも、復活したフナモクズの幼体達が、母体の腕を上り、迫ってくる。おそらく、母体が竜柱を攻撃した際に、そのまま飛び移って、自分らを追撃する気なのだろうとロマニは思った。


「……んっ?」


 脱出方法を考えあぐねていた中、ロマニはふと、海面上で、何か細長いものが一直線にフナモクズに飛んでいくのが目に見えた。


 ロマニが見たその棒としか言いようがない物は、まっすぐと跳んだ末に、並みならぬ水圧を今も噴き出しているフナモクズの側面に付いた排水口の内の一つ、その上面に突き刺さった。


 だ。一本の細い銛が排水口上部の狭い隙間を貫いていた。


 あんなところに刺さる部分があったのかとロマニが思ったのもつかの間、今度はそれに引き続き、銛を突き立てられた排水口が急にがしゃ、がしゃ、ざざざと水の噴出する勢いが乱れ、停止してしまった。


「止まった!? いったいなにが──」


 ロマニが戸惑ってるのもつかの間、排水口の一つが止まったことを機に、フナモクズ全体のバランスが崩れ、全体の排水口がまばらになっていく。

 水の排水する勢いが、なんとか残った部位でバランスを取ろうとして、更に崩れてしまい収集が付かなくなるように、フナモクズの全身が横にゆっくりと回転を始めてしまう。


 回り続けるフナモクズの母体に、今度は止めどなく銛が一定間隔で撃ち込まれ。どれもが正面に来た排水口上部の柔らかい箇所に正確に刺さる。次々に排水が止まり、それに伴い残りの排水口の水の勢いが異常な音を立てて暴走をする。


 排水口が半分も止まったところで、フナモクズ本体に限界が来た。

 先ほどまでロマニ達が居たフナモクズの甲羅の表面に、亀裂が入った。


 次の瞬間、ロマニがフナモクズから背を向けてベラを覆い隠したのと同時に、フナモクズの表面から大量の海水と体液が噴き出し、フナモクズは弾け飛んだ。


 ロマニは、背中全体に細かい霧状になった体液を浴びた後に、飛んでくるものが無くなったところで振り返る。


 そこには、中央に内側から開いた大きな穴をさらけたまま、ゆっくりと沈没していくフナモクズの母体。そして、司令塔を無くし蜘蛛の子を散らすように逃げていく、フナモクズの幼体達の姿だった。


「すげぇ……。あんなでかい奴が一瞬で」


「お前に教えたことは無かったな、ロマニ。奴は船を壊す巨大なバケモンだが、その実、個体相手との戦いはてんで弱い」


「!」


 ふと、竜柱横の海上から聞こえた声を、ロマニは良く知っていた。


「排水口上部の隙間の肉をこねくり回してやれば、勝手にえずいて水が止まり、やがて体内に入ってくる海水も止めれず、はじけて死ぬ」


 銛を投げ、あれ程にも正確に急所を貫き、その肉の奥深くに押し通すほどの怪力も、ロマニは昔から良く知っていた。


「だから、特大の魔物の部類じゃ、その立ち回りの低さと対処の簡易さから、危険度は思ったよりは低く扱われている」


「……親父」


 ロマニがベラを抱えたまま竜柱の横手へ回ると、死角で見えなかった海上に浮かんだ小舟に、銛を担いだ自分の父親、ショウコウの姿があった。


「助けるのが遅くなってすまんかったな。あれ程魔物に手を出すなと言っとるのに、それでもお前は、いつの間にかs立派に成長するもんだな……」


 ショウコウは、誇らしさと寂しさを交えたような顔を浮かべ、ロマニに小さく微笑みを返した。


◇ ◇ ◇


 沈んだフナモクズが浮かび上がらせ続ける海面の気泡を後ろに眺めつつ、ロマニはベラを連れて、ショウコウの船に乗って元の浜辺に戻って来た。


 浜に降り立つと、並航して浜辺にたどり着いたプレトもまた、浜に降り立ちロマニの元へ向かってくる。その顔の表情は分からず、酷く俯きつつ、まるで死人のような様相であった。


「どうだプレト。助けられたぞ」


「何言ってるロマニ。お前俺が来なかったら、どうやってフナモクズから逃げる気だった?」


「えっと、そりゃあプレトに来てもらって乗り込んで──」


 と、ロマニがショウコウの問いに答えたところで、プレトの拳がぴくりと揺れた。

 その揺れにロマニも気づき、声を掛ける。


「ん……どうした、プレト? ……プレト?」


「……そんな事、僕にはできないよ!」


 プレトは顔を上げ、そう叫んだ。その顔に浮かぶのは、情けないと悔やむ辛い姿。


「えっ──」


「僕は! ……僕は、ロマニ程勇敢な男じゃない。あんな魔物に飛び込んで、助けるなんて。そんな芸当、僕にできるわけ、ないじゃないか…………」


「……すまない」


 堤を崩すように出た叫びに対し、耳が痛くなりそうなほどの静寂が広がった。

 ロマニは、ただその一言に謝りを言った。


 しかし、それと同時に。


「……プレト。なんでそんなにも、辛そうな顔をしてるんだよ」


 ロマニには、プレトがそんな顔を浮かべる意味が分からなかった。


 プレトは、ロマニに対して怒っているというよりも。自分自身が嫌いで、今にも自らを卑下して泣きそうな程、悲しそうな顔をしていた。


 ロマニは危ないと止める彼の手を振り切り、ベラの元へと向かったのだ。だから、話を聞かなかったロマニを怒ることはあれ、プレトが自分自身を卑下するような叫びをあげることがなぜか、分からなかった。


「……な、なんでもない。本当に申し訳ないと思うなら、あまり無茶をしないで」


 プレトはそう言うと、町の方向へ向かって歩き出した。


「僕。ベラちゃんの手当に向いた薬、取ってくるから、また後でね」


 ロマニは、ただ茫然と。プレトの今にも泣きそうな顔が離れまいままに、プレトを眺めていた。


「──でも、ロマニが行かなかったとしたら。それで、あの子は……いったい……」


 去っていくプレトは、小さな声で、何かをつぶやいていた。


 ロマニは、プレトが心配になり後を追おうとするが、その背後でショウコウの聞いたことの無い動揺の声を聞き、立ち止まることになった。


「なっ、こいつは!」


 振りかえると、船から立ち上がり自分で浜辺に降り立ったベラを、ショウコウが転ばないかと心配し近寄ってるところであった。


 そこまでは良かった。当のベラが、自分自身の体が無事か確かめようとしたらしく、ロマニが隠し直した翼と尻尾を大きくはためかせ、ショウコウの目の前で堂々と竜の姿をさらけ出してしまっていた。


「あっ、しまった……」


 ロマニは急ぎ駆け寄ると、ベラとショウコウの間に入る。


「うぅ、ロマニ……ありがとう」


 ふら付いた様子のベラが、ロマニの腰もとに抱き着く。ロマニは咄嗟に無事で良かったと言葉を漏らしベラの頭を撫でるが、ショウコウはそれを言葉を失ったように、ただ茫然と立ち尽くし眺めていた。


「ごめん親父。親父が帰ってきたら、見せようと思ったが、衝撃の強い気づき方になっちまった……。この子はベラ。親父が島を出ていってる間に、竜の森の中心に落ちてきてさ。長老にも確認したんだけど、居なくなった竜の血筋であること、間違いなしだってんだ」


 ベラは、ショウコウを見上げると、怖いのか縮こまりつつも、小さくこくこくと頷く。


「だから……親父、とうとう来たんだよ。竜が居なくなってからの魔物騒ぎが、また収まるかもしれない日が。それって親父もきっと喜んで……? 親父?」


 ロマニは、戸惑う父をなだめるぐらいの気持ちで矢継ぎ早に言葉を続けた。


 いつもなら、親父の方からじゃあ何をするかという具体的な話がこのぐらいで出てくる筈だ。出てこないとしたら、それはショウコウがロマニがいくら聞いてもはぐらかしてしまう。外の世界の事ぐらい……。


「……親父?」


 ロマニは、ショウコウの顔を今一度見上げる。


 そこには、絶望と焦燥が浮かんでいた。


 ロマニは、その顔を見て、自分の中でも何かが砕けたようなショックを覚え、立ちすくんだ。

 こんな父の顔を見たことが無い。こんな、叶えたかった事が、叶わなかったが故のどうにもならないという、手が無くなった人間の顔を、父が浮かべるなんて。


 その顔の理由を、ロマニは咄嗟に尋ねることができなかった。


 ただ、尋ねようとしても言葉を返せない父親の目には、ロマニとベラが、同じ視界の中で並んで立っているのが異質としか見えない。そう訴えかけているようなうろたえが、浮かんでいた。


 静かに満ち引きする並みの音さえも、ショウコウの動揺した目に吸い込まれていくように思えた。

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