12.長老の知る地竜伝承

 長老宅内にて、ロマニ達3人は応接室と題された広い部屋の中に通された。


 膝ぐらいの高さしかない長テーブルに向かい合うようにして置かれた、この島ではなかなか見る事の無いソファーに3人が並んで座った。


 長老は竜の森で今朝がた冷やしたばかりのお茶だと言って、表面にきらりと光る水滴を伴ったコップを3人分差し出した。


 それに対しありがとうと言って真っ先に飲んだのはロマニ。それからほんの少しの差でプレト。そして、二人がお茶を飲むさまをきょろきょろと交互に眺めたのちに、遅れて恐る恐ると、ベラが飲みだす。しかし、飲み終えたころにはベラはへやぁーというみょうちきりんな声と共に、安堵の息を漏らしていた。


「さて……それで、どうしてロマニ君が竜の事を聞きに来たのかいね?」


「それがですね……。どう話していいものか」


 ロマニはすこし頭を掻き悩む。ちらりと、ベラがうきうきとしてお茶を飲んでいる様子と。その様子を眺めてほほ笑む長老の顔を見比べた。


 大丈夫。誰かにばれるより、長老に話を通すのが一番安全だ。そう意を決したロマニは、覚悟を決めて言葉をつづけた。


「俺たち、会ったんですよ。地竜に」


「なんじゃと?」


 まただ。長老の顔持ちが、この家に入って来た時と同じ、険しい顔つきになったのをロマニは感じた。

 その反応は当然だと思う。リュウセ島に最初にもたらされた騒乱は、港に定着できる場もなくなるほどに押し掛けた人の手によるものだったからだ。


 暴徒と言える程の信心深い人々が押し掛けたわけは、ここが竜の降臨する土地だったからだ。普段守り神と拝める竜が、あの事件の時ばかりは、島を外部の人間達が害して良いという口実作りにまで発展してしまった。


 だから、長老が信心深くありながらも、地竜と言う言葉に特に険しく反応するのは、ロマニ自身納得がいっていた。


 ──しかし、その納得がどうも砕かれる反応が、長老から続いて語られた。


「まさか、その幼い子が、か?」


「え?」


 ロマニは、困惑の声が自然と漏れた。


「わ、分かるのですか?」


 ベラを挟んで隣に居るプレトが、受け取っていたコップを胸元に寄せて、熱心に長老の言葉に反応を返す。


「そりゃ、分かるわ。儂は長老じゃぞ? 村に知らん子供が居れば、そんなのすぐ分かるわ。わっはっはっは」


 長老は、いつもの調子で明るくにぎやかに笑って見せる。


 しかし、そんな陽気な長老に対し、どうもぬぐえない違和感が頭の中を漂っていた。

 ひとまず、それを頭の中で整理しつつ、ロマニはベラを自分に寄せる。


「──そうです。この子の事で、俺たち、長老なら何か分かるだろうと思って、聞きに来ました」


 そう言うと、ロマニは「ちょっとごめんね」と言いながら、ベラの頭に被せていたぶかぶかの帽子を、そっと外した。


 帽子がベラの頭から離れ、見えなかった頭部が姿を見せるにつれ、長老が目を見開き「おおぉ」と小さな歓声をあげた。

 そこには、深紅と言える程に鮮明に赤い、ベラの髪の毛と、双方に伸びた竜の角が生えていた。


「たまげた。この子は、まさしく……!」


 長老は席を立ちあがると、ロマニ達の座ってる側に回り込み、テーブルに手を付けてベラの前に覗き込む。


 そして、「ベラちゃん、あぁんとしておくれ」と言い、ベラは口を開ける。ロマニの目には、長老がベラの歯に鋭い牙が有ることを確かめているように見える。


 それから、長老はベラの鋭い蛇のような目の瞳孔を確かめ。そっとベラの口に手をかざす。ほぉあぁと、ベラの火傷しそうなほどに熱い吐息が、老いた老人の手に掛かり──


「おぉあっちゃぁあ!」と、長老宅前のロマニのように、跳ね退いて手をひぃひぃと払った。


「……うむ」


 長老はコホンと息をついて、反対側の席に戻った。


「まさに、奇跡の一言じゃ。その子は紛れもなく、かつてこの地竜に守られた列島に、顕現する事の無かった、竜の血を持った。正真正銘の竜の子じゃ」


「! ……やはり、そうでしたか……」


 信じ切れなかったものを、最も竜の伝承を知っているであろう長老の言葉を介して、改めて確かに真実だと認識し直した。


 それゆえの緊張が、場に静かに積もった。


「ベラ、ロマニ達の昔話の、子?」


 そんな緊張を一番最初に解いたのが、一番の当事者たるベラだった。


「ん、ああそうじゃよ。お嬢ちゃんは、我々の昔話では特にありがたい方なんじゃよ。はあ、ありがたやありがたや」


 そう言って、長老は大げさに手を合わせると、すりすりとこすりながらお辞儀をしつつ手を上にあげる。


 ベラはその意味が分かっているのかはいまいちだが、言葉は文面のままに受け取ったらしく、肩掛けの下で翼をはためかせ、左右に居るロマニとプレトの体を揺らした。


「あの、僕たちこの子をどうしていいか分からないんです。昨日の夜、空を見てたら、流れ星に混じってこの子が落ちてきて……。それで、竜の森の中心にこの子が降りてきて」


 プレトはそう言いながら、しどろもどろに手元で指を絡ませ、少し思案したのちに言葉を続ける。


「島から、各国への連絡網。あるのですよね。竜が再臨した時に、各国にそのことを伝え、後は取り決めのままに進める流れが」


「ああ、あるよ」


 長老がしっかりと頷いて見せた。


 それに続き、終始緊張して、探る探る答えを探していたように見えたプレトが、ほっと安心の息を漏らした。


 良かった。この子をどうすればいいのか、もうリュウセ島を含んだ各国の間では、手順があるんだ。それを改めて確認できただけ、プレトは朝から続いた不安が取り除かれたのを感じた。


「よかったね、ロマニ。これで後は安心だ。国の人たちに任せれば、時期に竜も再び……ロマニ?」


 しかし、安心してたプレトに対し、ロマニの表情が、水を差すことになった。


 動揺。そう言えば良いのだろうか。プレトの目には、ロマニがうろたえているように見えた。


「…………」


「……ロマニ? ロマニ!」


「えっ? あ、ああ。」


「急に魂が抜けたような顔して、どうしたの」


「い、いや。なんでもない。良かったな、ベラ。お前、どうにかなるらしいぞ。ははは」


「んー? うん!」


 ロマニは動転した心の着地点を求めるように、ベラに声を掛ける。ベラは無邪気に頷いた。


「それでだけど、長老。ベラは、最終的にどこへ向かって、どうなるって言うんだ? この子をその大量の人間の手に、預けるなら。それぐらい知りたい」


 ロマニはベラの頭を優しく撫でつつ、長老に問う。


「それは、昔話の通りじゃよ」


 長老はそれからゆっくりと、地竜伝承の一節を語りだした。


『光は雲をかき分け、大きく広がり、分かれた雲から、真っ赤で巨大な竜がやってきました。

 竜は降り立った地に大きな穴を開け、それから島々を見て回り、最果ての北地にて、火の山を作り、天に帰っていきました。

 竜が火山を作ってから、魔物達はまるでその力に屈服したかのように、陸から海へ去っていきました。』


 言い終えて、長老は浸るように閉じていた目を開き、あやすような優しい目でロマニに語り掛ける。


「地竜様は、この竜の森から始まって、島々を渡る」


「行きつく先は……」


「列島の最北端。火山島の、リュウエイ火山じゃ。」


 地竜は、百年に一度新しい竜が地上に降りてくる。竜は各島を渡り、人の姿を見て、最終的にその火山の島にたどり着く。


 そして、自ら火口に入り、大地の底から力を授かる。

 力を得た竜は新しい代の地竜として覚醒し、各島を魔物から守り、陸地を反映させる守護神として列島の新たな神として君臨する。


 長老は、そう語り終えた。


「ロマニ君。君はその子の事が気になるかえ」


「はい。なんか……懐いてくれたからかな、他人のように思えなくて……」


 長老は、寂しそうな目でベラを見つめるロマニを、静かに見据えた。


「……なら、離れの砂浜にでも行ってみると良い。あそこは人の目が無いし、水平線でも見えないその先の方角には、リュウエイ島がある。君もベラちゃんも、新しい心の整理がつくじゃろう」


「本当ですか? ……なら、行ってみます」


 ロマニはこくりと頷くと。お茶ごちそうさまでしたと言って、席を立った。


 ベラとプレトもその後を追うように、入口へと向かうロマニを追って──ふと、ロマニが応接室から出ようとしたところで立ち止まったところで、二人も止まった。


「──そういえば、長老」


「ん、なんじゃいね」


 ロマニは、振り返らないままに、長老に問う。


 最初に思っていた、何か感じていた違和感。そのよく分かりきれなかった違和感を、ロマニは自分の中で整理し終えた。


 それを聞くべきかと、一瞬迷いもした。しかし、ロマニは聞かないといけない気がして、その言葉を口に出した。


「なんで、地竜が人の姿で降りるって、知ってたんですか?」


「えっ?」


 今度困惑の声をあげたのは、プレトだった。


 ロマニはそんな声をよそに、自分の考えを確かめる。


 ベラの事を話す直前辺りから、長老のふるまいはどうもおかしかった。

 長老はロマニが帽子の下を見せる前に『まさか、その幼い子が、か?』と言った。


「長老、以前も人の姿をした竜を、見た事あったのですか?」


 地竜伝承のどこにも、竜は人の姿で地上に降りてくるなんて、語られていなかった。


 それだけじゃない。ベラの姿を見せた後もだ。竜であるかどうか確かめる為に、目や牙を見るだけならまだいい。


 長老は、確かに口に手をかざし、その温度を確かめた。

 そんな事、ロマニが自分で触れて体感しない限り、一件で見ても分からなかった。長老しか知らない文献に記されてたと言われれば、それまでだ。だが、それ以上に、もしかするとの可能性で、ロマニが気にしているのは──


「……長老、今90歳ぐらいですよね。先代以上前の竜に会った事なんて無いはず。なら、観たと考えられるのは……今代の、消えた竜」


 そこまで言って、ロマニはここで振り返った。


「なら、長老は十四年前の、俺の両親が死んだ年に降臨するはずだった竜を、見たことがあるんだ! 長老、あの時、いったいなにが──」


「んっんー!」


 問いを完全にぶつけ終える前に、長老が短い曲になっているかのような軽快なせき込みを出して、ロマニの言葉を遮った。


「落ち着きんしゃいロマニ君。わしゃ、長老じゃぞ? 代々伝わる、地竜伝承からもこぼれ落ちるような仔細の記された書物で、地竜の特徴を知ってたまでじゃ。わしゃ、降臨したての竜を生で見るのは、これが初めてじゃよ。わっはっは」


 長老はそうとだけ言って、またも軽快に笑った。


 ロマニは、はぐらかされてしまったのを確かに感じた。予想していただろうごまかし方でごまかされたのが、その実感の追い打ちとなった。


「……そう、でしたか。すみません、ちょっと気分転換してきます」


「そうするとええ。君の事情も、よく分かってるつもりじゃから、安心せえ」


 また来んしゃい。長老の暖かい言葉を背中に聞いて、ロマニ達3人は、砂浜へと向かった。


◇ ◇ ◇


 古めかしさの中から外れた、若々しい3人組が部屋からいなくなり。元の古い時代だけが残った部屋の中で、長老は改めてソファーに腰かけ、新しいお茶を飲んでいた。


「初めてじゃよ、ねぇ。これまたいかんわ。この年にまでなると、平然とぽっと出の嘘が、さも当然のように出てきてしまう」


 長老は自嘲気味に笑うと、冷たいお茶を喉に流し込んだ。


 ロマニには、本当に申し訳ない事をしたと。長老は静かに物ふけった。


 今、何気なく嘯いたこともそうだが。それ以上に申し訳ないのは、14年前の事だ。


 自分にもっとできることがあったはずだ。もっと、判然と答えの分からない何かを、果たすことができていれば、あの子は最初の不幸を味わう事なんて無かった。きっと、あの子の両親も、ショウコウも。もっと……


 いけない。そう言って、長老は首を横に振る。

 思い返し悔やむことは、束ねる位置の者として最もたる罪だ。今から進めない、今から守れないでは島の皆を守る資格も無い。


 それに、このことは自分自身の口から語るべきことではない。


「あの竜の子を導く命を担うのは、儂でも国でもない。ロマニ君と、ショウコウ。おぬし等が選ぶことだ」


 長老は、寂しい思いでひとり言をつぶやき終え、コップを片付け始めた。


 互いに負けないほどに、失った二人への繋がりを必死に求めて。それゆえに、身近な人の思いから、互いの思いも未だ見えない、悲しい親子。


 竜が来た以上、もうすぐこの島は変動の期を迎える。変わらない日々は終わり、誰かが湧き出る思いのままに、島を発つ。


 この島に居るうちに、後悔しないうちに二人でその答えを見つけだすといい。

 長老は、去った3人の姿を思い返しながら、そう思った。

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