13.薬師の淀んだ患い

 3人は、普段ロマニがショウコウに内緒で魔物を狩りに行くのに使っている、外れの浜辺へと向かっていた。そこが長老の語っていた、火山のあるリュウエイ島が存在する方角に面した浜辺であった。


 港から島のてっぺんである竜の森の端まで、一直線の居住区の坂が続いているが。その坂道から一戸建物を外側へ抜ければ、そこはあっという間に森の中だった。


 その森の奥を進めば、目的の隠れ浜辺がある。ロマニはいつも行っているから慣れていて良いのだが。


「細かい生き物、すごいうるさい!」


 草もぼうぼうな中を歩いていると、ベラが茂みから飛び立つ細かい羽虫にいら立っていた。


「仕方ないよ。別段手入れもされてないし」


 ロマニはそう言いながら、地団駄を踏んで飛び跳ねているベラの姿をほほえましく見ていた。


「じゃあ、ベラがもっと便利にする!」


「なんて?」


 ふと聞こえた妙な言葉にロマニはベラの方へ振り替える。すると、口いっぱいに光をためて、息を吸い込み始めていた。羽虫もろとも、ここあたりの木々を燃やし尽くそうとしていた。


「「吹いちゃ駄目(だよ)!!」」


 それに気がついたロマニとプレトは咄嗟に二人そろって慌てて、赤く光り始めたベラの口に手を押さえた。

 結果、手が焼けるような痛みを味わうとともに、又も揃って熱に当てられたままに手の平を離し叫ぶことになった。


 一方でベラは、自分でも後から口を押えて、その隙間から燻った煙を少しだけ漏らし、事なきを得た。


「森燃やしちゃ駄目なの?」


「当たり前だ。むしろ数少ない木々を切るのは、竜に顔向け出来ない行為として、御法度なんだよ。それこそ、事前にどのぐらい切るか決めて、何年で元に戻るかとか考えて苗木を植えたり、難しくて……」


「でも、空から見てたら、木が無くなってずっと乾いた土しか残らなかったところ、結構あったよ?」


「……それは知りたくなかった」


 ロマニは痛みで動かしたくない左手を垂らし、義手の右手で自分の頭をわしゃわしゃ掻いた。


 それから、むやみに焼こうとしちゃ駄目と、ベラに釘をさして了承を得たのだった。


「言ってくれれば、僕がどうにかするから。ほら、両手を左右に広げて」


 プレトが自分の胸元から取り出した小瓶の中の液体を自分の手に塗り、余った残りをロマニに私ながら、ベラに歩み寄る。

 すると、カバンから引き金の付いた瓶を取り出し、それをベラの体や顔に向かって引く。引き金上部の恐らく口であろう部分から、霧状の物が噴き出した。


 銃の引き金のような物を引けば、内部の液体が霧として噴出される。そんな装置をロマニはいまいち知らなかったが、たぶんプレトにそれを聞けば。逆に自分の片腕に付く義手に対し同じようなことを言われるだろう。


 知らない技術を用いた物と言えば、大体ロマニ自身がが物知らずなだけか、又はジンエン島のジンエン国によるものだった。


 ジンエン島は、百年以上前の何時ごろかに、地竜の加護を受けた列島の外から使者を招いたと言われ、唯一外の世界の技術を得たとされる。先進国だった。


 かの国で作られる品は、僅かな商人に与えられた交易権により、外部に輸出される。そのわずかな物から、島々の人々は、その先を進んだ技術を時折、垣間見るのであった。


「今吹きかけたのはね、シロヤネズミの、浄化していないトゲを浸したハッカ油を薄く希釈した物だよ」


「し、しろや。ネズミ? はっか……」


「要は、魔物の素材を使った、虫よけだよ。魔物の瘴気に、虫は特に敏感に拒否するんだ」


 ちんぷんかんぷんな説明に頭に分かりやすくハテナを浮かべたベラに、プレトは優しい笑顔で用途をさっくりと説明した。


 シロヤネズミの事なら、ロマニもよく知っている。

 シロヤネズミは、紛らわしい名前をしているが、ネズミの事ではない。ウニによく似た魔物だ。


 幼体はウニとさほど変わらず、島に近すぎないぎりぎり日の届く浅瀬のサンゴ礁に、群れを成して住む。それだけならまだ良いのだが……このウニの魔物は、並みの魔物より特に瘴気が強い。


 群れで住み着いたサンゴ礁をあっという間に死滅させ、白く成り果てた屋根に住んでいるのがはっきりと見えることから、その名前をシロヤネズミと呼ばれるようになった。


 サンゴ礁がそうそう簡単に死滅してはたまらないものだから。今までは古い文献にその由来が記されたぐらいで、砂の底をもぞもぞと動くぐらいだったのだが。近年、竜の加護が徐々に喪失していくことから、魔物の生息圏も拡大し、このシロヤネズミがそれまで安全圏だったサンゴ礁に取り付き、サンゴ礁を死滅させる例も見られていた。


 近年増えてきた社会問題の一つだが。プレトはそのシロヤネズミをもういつの間にか、虫よけとして転用する案を思いついたようだ。


 確かに、蒸発しやすいハッカ油に希釈して入れ込めば、それだけで虫を寄せ付けない虫よけになりうる。


 おっとりしているようで、いつも目にしたものを別の何かに転用しようと考え続けている、友人の感性には、ロマニ自身舌を巻いた。


「すまないなプレト。ほら、ベラもお礼を」


「うん、ありがとうプレト!」


 辺りはせわしなく羽虫が飛ぶのだが、ベラが肩掛けの下で翼をはためかせると、蒸発したての虫よけがあたりへ霧散し、その匂いを避けるままに、羽虫は一斉に去っていった。


「早く行こ! 海、地上から見てみたい!」


 お礼を言い終え、厄介な虫も居なくなったのを感じたベラは、また軽快な無邪気さを見せて、先頭へと躍り出て、先へと走りだした。


「あっ、待つんだベラ! 急ぐのは良いが、足元に気を付けろ!」


 ロマニはそう言いながら足の歩幅を早め。ロマニとプレト、二人そろって軽く小走りになり、ベラの後を追い始めた。


「……なんだか、昨日の今日で、急にお兄ちゃんになっちゃったね」


 追っている中で、プレトが突然どこか寂しそうな顔持ちでひとり言のようにつぶやいた。


「そうか? 誰だって子供にはこんなもんだろ」


「そう、かなぁ」


 プレトは肯定できず、ぼんやりと流すような反応を見せる。


 実際、ロマニとベラの馴染の速さは、プレトには異様に感じられた。


 人の感性を知らない竜だ。プレトは、それこそ彼女が目を覚ませば、人の事なんてさっぱり分からず、敵対するべき分からない相手として、火を噴きロマニを傷つかせかねないと思った。だから、飲ませればすぐに鎮静化できる強い薬をロマニに渡したりもした。


 だが、実際はそんなことも無かったらしく、朝ロマニの無事を思いながら行ってみれば。そこにはロマニにすっかり懐いたあの子の姿があった。


「僕には、ロマニの人となりが出たと感じるよ。あの子が最初に見る人間が、ロマニであったことが、功を成したと思う」


 けれど──


 そうとだけ言って、プレトはすこし顔を俯かせた。


「ん、どうした。けれどなんだ?」


 プレトは悩む。言うべきだろうか、こんなの失礼なのは分かってる。

 でも……それでも、彼女とロマニの仲がどうであれ、この不安がプレトに渦巻いていた。


 だから、プレトは意を決し、酷い事を口にした。


「ロマニが、ベラちゃんのこと面倒見ているのって、あの子が可哀そうだからってだけじゃ、ないよね」


「えっ」


 ロマニの顔に、泥を急に塗られたかのようなしかめた顔が浮かんだ。嫌、実際塗られたも同然なんだろう。


「さっき、長老にベラちゃんが今後どうなるかっていう道を示されたとき。ロマニだけ、すごい困った顔してたもん。ベラちゃんの道浮かんだなら、それだけでいいだろうに……」


「……」


 ロマニは歩きながらも、黙ってその言葉の続きを待つ。


「……自分の手から、外に行ける口実が離れていくのが、嫌だったんでしょ。突然降って来た女の子。外に行きたい自分が、外へ旅に出るだけの理由を秘めてそうな、竜の女の子。あの子が可哀そうである以上に、ロマニは、自分の夢がかないそうな期待感を抱いたんだよ」


「プレト、どうしてそこまで酷い事を言うんだ」


 ロマニは、怒鳴らないまでもいぶかしんだ声で、言葉を返す。


 その顔は、はっきりと。お前がそんな事を言うなんてという幻滅が浮かんでいた。


「……ああぁ、もう。なに言ってるんだ僕は……」


 プレトは、そんな友人の顔を見ると、自分で言った言葉が嫌になり、頭を抱えてしまう。

 でも、それでもここまで言ってしまった以上。言葉を最後まで出すんだ。


「僕は心配なんだよ、ロマニ。君がよく分からないあの子に自分を重ねたまま、海に行くことが。あの子と君は他人だ、そんな他人に自分の夢を被せて旅に出るなんて、その……不純だ! きっとよくない事が起こるよ。ロマニがおじさんに認めてもらって漁師になるよりも……もっと予想の出来ない、危ない事が起きる!」


 不純だなんてことは、建前だ。ただ、ロマニにはあくまでみんなが知る中の冒険に向かってほしかった。誰も知らない竜との二人旅、あの子が何を呼び招くかもわからない危険な道。


 竜を火山の島にどのようにたどり着かせれば、確実に島々に竜が戻るのかなんて計算はそっちのけで、ただロマニが無謀で死ぬ可能性が更に増えるかもしれない旅立ちだけはやめてほしかった。


 だから、あの子を理由に、海の向こうに出るのはやめてほしい……最後の方は、自分でもなにを言っているんだろうというぐらいで、自信が持てなくなり、プレトは言葉を細めた。


 嫉妬なのだろうか。分からない。だとしたら、自分は妬みだけで友人を傷つける嫌な奴だ。そんな事までもが自分自身を見つめる思考の中に浮かび、プレトの心を更に暗く沈めた。


「……」


 ロマニは、一通りの言葉を聞き、少し黙った。


 怒りで抑え込もうともしてこない。少し俯き、考え込んだ。

 それから、口を開いた。


「……お前の言う事も、一理あるのかもな。あの子が俺のとこに落ちてきたのは、何かわけがあるんじゃないかって、気がしてならん。だから、あの子に自分を重ねてた事も、否定できない」


 でも──そう言って、ロマニは言葉を続ける。


「あいつ、昨日から、自分以外の生きてるもんみんな怖いように見える気がしてならないんだ。なんか、知らない人ばっかりで、誰を頼ればいいの、って叫んでる気がしてさ」


 ロマニのその言葉に、プレトはハッと顔を上げる。


「だから、少しでもあいつが安心できるように、料理作ったり、服作ってあげたり。できる限り何とかしてあげたいって思ってるつもりだ。その気持ちまで、自分の願いを叶える為に媚びてやったように言われるのは、俺は心外だ」


「……え、あっ……」


 その言葉で、プレトは心臓が冷えるのを感じた。


「ち、ちがっ。僕は何もそこまで──」


「落ち着け。言っただろ、俺が自分の夢の為にあの子に被せてたって事も、否定しきれねえ。ただ、あいつが可哀そうだと思って心配した俺の気持ちも偽れねえ。だから少しだけ反論したってだけの話だ。気にすんな」


 そう言って、ロマニはプレトの頭を優しくわしゃわしゃと撫でた。

 プレトはそこで言葉が止まり、それ以上言葉を返すことも、手をはねのけることもできない。


「ほら、ベラのやつ、もう浜辺についていると思うぞ。早く着かなきゃ、今の保護者失格だ」


 そう言って、ロマニは駆け出して行った。

 その背中を、プレトはすこしだけ見つめ続ける。


「……また、助けられた……」


 ロマニはもっと声を荒げるはずだった。


 なのに、彼は自分の心を貶したプレトとの仲をまだ守り、それどころか、気にすんなとまで言ってくれた。


 彼を案じているはずの自分が、一番彼を傷つけている。

 その現実に吐きそうになりながら、プレトはロマニの後を追った。

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