14.水平線に惹きこまれる竜の瞳

 木々の間を進んでいくと、段々足元の草の数が減り。その代わり砂が姿を見せ始めた。


 やがて二人の目を覆ったのは眩い程の日の光。


「おそーい。二人とも、海だよー!」


 目が慣れてきて、景色が見え始めてくると。水平線まで透き通った青くきらめく海、その海面上に二、三か所ほどそびえたつ、人よりも数十倍ほど高く、恐らくは地竜降臨時からあるだろう異様な荒々しい岩の柱。そして、比較的こちら側に近い砂浜の上で、元気に腕を振るベラの姿があった。


 ベラは、海ではしゃぐよりも、ロマニとプレトの二人が浜辺にたどり着くのを待ってくれていたようだった。


「すまん、待たせたな」


 ロマニが手を振り返すと、ベラは駆け寄ってきてロマニの手を取った。それだけでなく、ベラはそのままプレトの手も掴み、両手で二人を引っ張りながら波打つ際へと歩き出す。


 今度は触れてくれたその行動に、プレトは戸惑った。しかし、振り払う事もできず、目を少しだけ外に俯かせながら、引かれるままに進むのだった。


 浜辺は、島の賑わいから離れた、静かな世界を作っていた。

 波の音だけがあたりに響き、遠くでそびえたつ荒い石の柱が、波の音を反響させて木霊しているような錯覚を覚えさせる。


 そんな中で、命はあると主張するように、透き通った海には時折魚が跳ねていた。


「綺麗……」


 プレトが、そんなことをつぶやく。


「ほんと、空から見るより、もっと綺麗!」


「そうか? 俺は逆に空からの海、見てみたいけどな」


 3人は、それぞれが口を開き、目の前の海に言葉を添える。

 ロマニは、まるで親子でピクニックにでも来たかのような気分になった。


 ふと、ロマニはショウコウがかつて、この浜辺に自分を連れてきてくれたのが、ここを知った最初のきっかけだったことを思い出した。


 肩車をして、片腕が無くて、上手く父の頭に掴まれないところを、父は優しくその大きな手で自分の足を抑えてくれた。

 父の肩車越しにみた岩の高さは、大きくなった今も、まだ父の背中で見たときの岩よりも、大きく見えていた。


「……はぁ」


 ロマニは軽くため息をつく。父親の背中はあまりにも大きく。いつかは自分もそんな父を追って、父の口から語られる、死んだ両親が見ようとした世界へ、自分も踏み出すものだとなんとなく思っていた。


 しかし、どれだけ願い、頑張ってみようと。その父そのものが、ロマニが外に行けない一番大きな壁となって、この世界の最南端、リュウセ島に閉じ込められていた。


「……外に出したくないのなら、なんで夢を見させたんだ」


 誰に投げかけるもなしに、ロマニの口からそんな言葉が漏れていた。


「ロマニ、ロマニー!」


 と、そんな陰鬱とした思考も、自分の腰付近から聞こえる無邪気に跳ね回る声で、現実へと引き戻された。


「あの、でっかい柱。空から見えてたけど、あんなおっきいと思わなかった。あれなに?」


 たどたどしい区切られた言葉を使いながら、ベラは海上を指さす。

 ロマニは意識を鮮明にする為なのか、首をぶるぶると横に振り、前を見直す。


「ああ、あの海上から飛び出してる岩か? ベラの方が分かるかなって、思ってたぐらいだけど……」


 と言って、ロマニはなんとなしにベラを抱き抱え持ち上げ。鍛えた自身のある筋力のまま、そのままベラを自分の頭を通して肩に乗せる。そして、肩車をしながら改めて話を続けた。


「あれは、竜柱りゅうばしらって言われててね。最初の地竜がこの世界、島々に降りたときにその力の余波で生まれたって言われているんだ」


 地竜には、伝承では魔物と同じような魔術の中でも、特に秀でた力が二つあるとされている。

 一つは、魔物を遠ざけたり、従属させ支配したりする、魔物を屈服させる力。

 もう一つが、新たに大地を作り上げる、陸を生む力だ。


 竜は、島々を渡ったのちに最北端に火山の島を作り、そこで大地と繋がることで真の力を得たと伝承では記されているが、目の前の竜柱があるのは、伝承の中でも一番最初の降臨地であるこのリュウセ島だ。


 だから、力を満たしていない最初でさえもこれ程の大地を作り上げる力を持つという、神様の神威として、この竜柱もまた拝められていた(最も、竜柱は島の全方に満遍なく点在しており、その中でもこの外れの浜辺にある竜柱は、最も知名度が低い)。


「竜の力……すごい! 地上ってすごいね!」


「いや、それをベラが持っているはず、なんだけどね?」


 他人の偉業事のように目を煌めかせるベラを見て、ロマニは軽く笑いそうになってしまった。


「ベラもな、これから遠い北の火山に行って、目の前の事ができるような力を手に入れるんだぞ」


「ほんと? すごいすごい! どっち行けばいいの?」


「ああ、あっちの方角に行けばいいんだよ、そこに、リュウエイ火山の島があってね……」


 肩の上で大きく揺れてはしゃぐベラを片腕で抑えつつ、残った義手の右手で水平線を指さす。ベラの意識は、竜柱の隙間を超えて、遠いまだ何も見えない水平線へと向けられた。


 そして、急に暴れる動きが止まり、静かになってしまった。


「……? ベラ?」


 ベラ本人を肩に乗せていたロマニは、特に不安になる。

 まるで、視線を向けた水平線に、魂そのものまで引き寄せられてしまったかのようで、不安になった。


「! ロマニ、ベラを早く降ろして!!」


 急に、隣に居たプレトがロマニの方を見て、大声をあげた。


「えっ?」


 そう言いかけたのもつかの間、突然ベラはロマニが抑えていた足を引き上げ、ロマニの肩に両足を乗せて、ロマニの真上に立った。


「いたっ、急にどうしたんだベラ!」


 戸惑い、ベラの顔を見ようと体のバランスを少し崩すロマニの上で、ベラは器用にバランスを取り、垂直に立った姿勢のまま崩れない。


 プレトから見てみると、その光景の全容は異様に見えた。

 ベラの目だ。普段から縦に細長い瞳孔が、さらに細く狭まり、その目から理性が失われていた。


「片割れの、叶わなかった山」


 ベラの口から、彼女が言うとも思えない静かな声色が漏れ、ロマニは動きを止める。


 感情があるかも分からない、無機質な声でそう口にしたベラの顔は、今度こそ人間臭さなどなく、全く違う異質な者が喋っているように見えた。


「ベラ? ベラ!」


 何としても引き上げねば。ロマニの脳裏にそんな危惧が浮かび上がり、ベラに呼びかける。

 すると、ベラは急にはっとしたように目に光を取り戻し、瞳孔も緩まって元の顔を見せた。


「私、分からない。でも、あの島……行かなくちゃ!」


 しかし、意識を取り戻したベラは、今度は体を震わす。

 年相応の戸惑いのようなしぐさで取り乱し、そして、慌てて声を荒げた。


 姿勢を低くとる。


 そして、肩掛けの下から大きく翼を広げ、肩掛けは翼の間の付け根の部分にまとまる。それから、ぶちっと腰巻のベルトがちぎれた音と共に、真っ赤な竜の尻尾が垂れた。


 次に起こったのは、突風だった。


 足場になったロマニは風圧で地面に押し付けられ、プレトは風にあおられしりもちをついた。


 焦りで焦燥とした様子のベラは、そんな二人の様子に気づいている様子もなく、頬に冷や汗を垂らし飛び上がった。


 真っ赤な一つの火の玉が、正反対に真っ青な空の中をただ一つ飛んでいく。海上を滑るように飛び、ロマニが先ほど指さした、火山のある水平線へと向かって飛び出した。


「ま、待てベラ! 戻ってこい!!」


 ロマニは全身に付いた砂を払う事も忘れ立ち上がると、遠ざかっていくベラの後ろ姿に声をかける。しかし、その声も届かずベラはどんどん飛んで行ってしまう。


「まずいぞ、余りにも無謀だ!」


 ロマニは急ぎ、浜辺に昨日停めた小舟の方へ駆けていく。


「えっ、あっ、ま、待ってよ、僕も行く!」


 プレトはどうしていいか分からないまま、慌ててロマニの後を追った。


◇ ◇ ◇


 ベラは、こみ上げる焦燥感のままに、水平線の先をただ見つめて飛び続けた。自分の真下では、日の光を浴びた輝かしい海面が、線を引くような速度のまま、後方に過ぎ去っていく。


 この地上に来てからのベラなら、それを見て立ち止まり、目を輝かせるはずだった。

 でも、今自分の内面から沸き立つこの感情には、他の何ものも挟めず、自分自身を止められなった。


 なんだろう、この気持ち。早く行かなくちゃ。


 この怖い気持ちはなに? 寂しい? かまってほしい?


 なんて言えばいいのか分からない。ただ、怖い。


 早く行かないと、いなくなっちゃう。私に繋がってるはずの何かが消えちゃう。もう二度と手の届かない遠くに行っちゃう。


 嫌だ、私を置いていかないで!


 ベラは、目じりに涙を浮かべ、気が付くと絶叫にも似た咆哮をあげていた。


 竜柱の隙間を抜け、外の海に飛び出す。

 その時だった。急に、ベラの全身がびりっと痺れたような感覚を覚えた。


「うっ──」


 思わず体がふら付き、放たれた矢のように飛んでいた速度が減速する。


 体が動かなくなったわけじゃない。ただ、自分の体に急にそそがれ続けていた力が、断たれたような感覚を覚えた。


 まだ飛べるが、それでももう、この速度じゃ水平線を目指せない。


「なんで急に、そんな……」


 一時その場に止まり、自分のバランスを整えながらベラはショックを受け水平線を見る。


 何も無いように見える、線が丸みを帯びているようにさえ思える水平線。ただその線の先に、ベラは恋焦がれるような切ない思いを感じていた。


 あと十数秒もあれば、自分が今どこにいるかに気が付き、それから振り返って自分の事を必死に追ってきているロマニ達の事に気が付いただろう。


 だが、そうはならなかった。

 それよりも先に、ベラが飛んでいるすぐ真下の海面に、大型船に匹敵するような巨大な影が浮上してきていたのだった。


◇ ◇ ◇


 ベラを追って必死にオールを漕いでいたロマニとプレトは、竜柱の向こう側で巨大な水柱が噴き上げたのを目にした。


「なんだいったい!」


「! 噓でしょ、なんでこんな近海に……あれ見て!」


 揺れる船の上で、震えた声をあげながらプレトが指をさした。


 言われてロマニが見た水柱の中心には、考えられる危惧の中で、とくに最悪の部類のものが居た。


「フナモクズだ……」


 竜柱同士の間の隙間を埋める程の巨大さで、海上から巨大な甲羅が浮かび上がっていた。


 その巨体は、灰色のカニの甲羅を仰向けにしたような形をしていた。しかし、全体的な表面はカニを思わせる甲殻をしているのだが、竜柱の高さにあともう少しで届きそうな手足群は、甲羅を円状に均等に並べられていて12本。そのうち鋏を先端に取り付けたのは8本。さながら、カニと言うよりかは巨大なイソギンチャクの形状をしていた。


 そんなフナモクズの巨体の周りは、絶えず人の2倍はあるであろう水しぶきが吹き続けている。海面に沈んでいる底面に水を吸い上げる吸引口があるらしく、そこで吸い上げられた水が甲羅の全方位に面した穴より噴出され続ける。そうすることで、フナモクズは機動性の悪いその巨体を、移動させたり、海底からの急上昇を果たすのだ。


 元々、こんな近海に居るはずの無い極めて危険な魔物だった。名前の由来である舟藻屑から分かるように、この怪物は、遠洋を竜の加護による守護策を講じず航行する船に強襲を仕掛け、船事その巨大上に打ち上げ、そのまま手足で握りつぶし、船丸ごとを捕食するという性質を持っていた。


 図体の大きい魔物程、普段の限りでは、本能的に竜の加護のある島より遠くの海域に生息している。それが、こんな近くの海に現れるわけがなかった。


「──っ、ベラ!」


 何故フナモクズが姿を現したのか。その理由に気が付いたロマニは叫んだ。


 複雑にムカデの手足を思わせるように揺らめく12本の手足。その内の一つの鋏に、ベラが捕まっているのが見えたのだ。


「い、ぐ……ああぁっ!」


 固い物を無理やり切り落とそうとしているかのように、ぎぎぎと唸るフナモクズの鋏。そのきしめきに合わせ、片腕を挟む形で上半身を挟まれたベラは、痛みに絶叫をあげていた。


「待ってろ、今行く!」


 ロマニはすぐに叫び船と目の前を交互に見た。


 手漕ぎの船じゃ、まだ竜柱さえも遠い。それどころか、この小舟で近くに行ったところで、あの水圧ではむしろプレトが危ない。


 なら、選ぶ手段はただ一つだ。相手は、船そのものを沈める、超重量型の魔物。大丈夫、むしろ大型船を対象とするぐらい大きくてのろいやつなら、自分が行けば、むしろチャンスはある。


 意を決したロマニは、目の前の竜柱に向けて義手を構えた。


「ロマニ!!」


 しかし、飛ぼうとした寸前に背後からプレトが抑え込んでくる。


「何考えてるの、無理だよ、見えるでしょあの巨体。君が行ってもどうにかなるわけが!」


「じゃあ何もしないであの子を見殺しにしろってのか!」


 ロマニは、ここで乱暴に体を振るいプレトを払った。


「俺にはそんな事できない! お前はここで待ってろ、必ず助けてくる!」


 揺るがせないものを断固として主張し、ロマニは竜柱にアンカーを射出した。


「駄目だ!」


 プレトが掴みかかろうとするも、その手は間に合わず、ロマニが居たはずの空をからぶった。

 竜柱にアンカーが刺さったのを確認したロマニは、ワイヤーを引き上げ、柱へとあっという間に飛び去ってしまった。


「──待って、行かないでくれ……」


 プレトは、膝をつき、うなだれる。


 プレトが曖昧ながらに恐れ、危惧していた事。それが目の前の光景に、はっきりとした結果として広がっていた。


 静寂を失い、激しく波打ち揺れる海上。その上を、一本の鋼鉄の線を巻き上げて、ロマニは飛んでいく。


 やがて、竜柱が目の前にやってきてロマニはその表面に着地する。


「アンカー打ってすまねえ。でも、末代の娘守ると思って、許してくれ」


 竜柱を建てただろう、島々における始祖の神に小さく謝罪の一言を入れ、ロマニはその岩肌を反対側に回り込む。


 そして、島の外側に面する部分にたどり着くと、眼下には、ロマニが触れた中で一番巨大な怪物が居た。


 竜柱のてっぺん近くだというのに、あともう少しで触れそうな程を揺らめく蟹の手足。その手足の行きつく根元の中央で、ぐじぐじとうごめき続ける、船を底から削り食うであろう、やすりのような口。

 蟹で作り上げた巨大なイソギンチャクが、そこに居た。


「待ってろ、ベラ。今助けるからな」


 鋏の先で今も苦しんでいるベラをはっきりと確認すると、ロマニは竜柱から跳び、フナモクズの中央へと落下した。

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