7.波の音と流れ星
すっかり日が傾き、リュウセ島は夜の明るさに染まっていた。
空には、星空がどこまでも広がり、強弱を繰り返しながら輝き続けている。一方で島の人々は、それぞれが何時ものように仕事を終えた疲れを労いに、自分の家や酒場に籠り、淡い灯りを窓からこぼしながら夕食を食べていた。
何もかもが何時もと変わらない光景だった。
その中で、何時もと違う事をしているのが居るとすれば、未だに無人となった港で、桟橋に腰かけているロマニぐらいかもしれない。
ロマニは、今日中に帰って来る事は無いであろう父が消えていった海の先を、ただぼんやりと眺め続けていた。
「こっちに居たんだ、ロマニ」
ふと、背後から柔らかい少年の声が聞こえた。
「ん……プレトか」
「こんばんは。昼間のお礼を持っていこうとしたんだけれど、家に居なくてね」
桟橋にプレトが歩いてきた。
その手には、両手でしっかりと携えた袋が持たれている。おそらく、中身はロマニに合う薬の類なのか、カチャカチャとガラス瓶がぶつかる音が聞こえる。
「まったく、ぼーっとしちゃって……昼間言ってた計画、試したの?」
プレトはそう言うと、ロマニの横に並んで桟橋に腰かけた。
「……ああ、一応な」
「結果は?」
「……少しは、進んだ」
ロマニはうつむいたまま、言った。
「拒否されたのには代わりないんだけど、よくわかんない事言うんだよ。お前が素人未満だからなんて訳じゃない。でも、両親との繋がり故に、死ぬとか…」
「……それは、物騒な言葉だねぇ」
「だろ? で、だったらなにが危ないのか、って、教えてくれってとこだけど……。結局、聞けなかったさ。はぁー」
ロマニはそう言うとため息をついて、後ろに倒れこんだ。
「結局、親父は俺を信じてないんだ。触れれば勝手に行って、勝手に死ぬ。だから話せない。それって、認められてないのもおんなじだろ」
「……そう、かもね……」
ロマニの言葉に、プレトは小さく頷いた。
「……でも、やっぱ良い人だと思うよ」
「え?」
「ロマニのお父さん、ロマニの事ずっと心配してくれてるってことじゃない。毎年ずっと、長続きの漁の次の日に、息子の為の何かの為に、船出」
ロマニは体を起こし、プレトを見つめなおした。
横顔から見るプレトは、どこか憧れの人を思うように目を輝かせていて、それなのに、叶わないものを見るような、どこか寂しい横顔をしていた。
「見せ方が不器用で、それでも誰かを案じ動き続ける。こんなこと、出来る人早々居ないよ」
「プレト……」
ロマニは、確かにそうかもしれないと思った。
親父は、自分の願い続ける努力を、誰かに伝えることはとにかく不器用だ。全部内緒に抱え込んで、結果だけを人に贈ろうとする。それゆえに一見堅物そうで、なのに中身は見た目とも反して繊細だ。
気持ちを共有させてくれない父にいら立ちはしても、父の事を嫌いでは決してなかった。だからずっと理由を知って、隣に立たせてもらいたいと願っているのだった。
「……確かにな」
「ふふ、でしょう? ロマニもお父さんも、似た者同士で羨ましいよ」
「えっ?」
似た者同士? それってどういう事。と、ロマニは言おうとしたが、口を開くよりも前に、薬の詰まった袋がプレトより投げ渡された。
「僕の為に、内緒でツキニエを獲ってくれてさ。ほら、似た者同士でしょう?」
「うっ、そ、そう……かもな」
お礼の品を言葉を遮るように渡し、いたずらっ子っぽく笑うプレト。月明かりが照らした淡い灯りに、ロマニは少し顔を赤らめて、視線を逸らした。
「──あーっ、うんうん悩んでも仕方がねぇ!」
少しの間、父の消えた水平線を見ていたロマニであったが、突然立ち上がり、義手の右腕を夜空に掲げた。
「結局、今できる事を頑張るしかねぇ。今度は親父に何があったかを聞き続けるし、自分の足りねぇって思ったことを、ずっと学んで試し続ける。どんだけ悩もうと、結局それしかやることがねぇ!」
ロマニはそう言って、強く頷いた。
「あはは。やっぱり、それでこそロマニだよ」
空を見上げるロマニに対し、プレトがうんうんと頷き笑った。
結局、自分の足りないことを見つけては補う方法を考え、分からないことは追っては興味を感じれたことは突き詰める。
どれだけ悩んでも、ロマニにとってするべきことは変わらずこのたった一言で落ち着くのだった。
「絶対外の島見に行くんだからな。熱い芸術の島も、不思議な道具で溢れた文明の島も!」
ロマニは、両親の最後の土地となったユレリカ島を思い、そして、自分の新しい腕となった義手を空高く掲げて、その産地たるジンエン島にも思いを馳せる。改めて、絶対世界を回るんだと、心に誓った。
「応援するよ、ロマニの夢。僕と違って、ロマニはどこまでも行けるんだから」
さ、村に戻ろう。プレトがそう言って話を終わらせ、桟橋を去ろうとした。
ロマニも続いて返ろうとし、空を少しだけ見直すのだが。
「……ん?」
その時だった。
空にかざした義手が、その先からの光により、微かに影を作った。
「? どうしたの?」
「空でなんか光った?」
ロマニがそう呟いたその時、義手の端から、光が漏れた。
義手を下ろし、改めて空をあげると、そこには一筋の流れ星が見えた。
「わぁ…」
プレトも同じように空を見上げながら、感嘆の声をあげた。
綺麗だ。この星空の光景だけは、ロマニが海に出て、遠くに行ったとしてもずっと変わらず見え続けるのだろう。そんなことを何と無しに思った。
「……ん」
しかし、ロマニが眉を潜める。
長い。流れ星とは、こんなにもゆっくりと、尽きる事無く尾を引き続けるものだっただろうか。
「どうしたの?」
「……違う。あれ、流れ星なんかじゃない」
ロマニは薬の袋を担ぐと、島の内陸へ向かって駆け出した。
「ロマニ! いったいどうしたの!」
「流れ星は、あんなゆっくりと続かない。別の、違う何かだ!」
この時、ロマニは何故その流れ星を追ったのか、自分自身に説明がつかなかった。
落ちてくるのだとしたら、わざわざその落下地点を追うような判断を、自分はする人間だっただろうか? いや、もしかすると平時でも好奇心に駆られ追うかもしれない。
しかし、その時はもっと違う理由がこみあげて走り出したように感じた。
自分はその流れ星を追わないといけないと訴える声が、自分の心深くから叫び続ける気がした。
ロマニとプレトは坂を駆けていく。二人の息遣いと、民家や酒場、料理亭からの変わらない喧騒だけが聞こえ続ける。その流れ星に気が付いたのは、二人だけだった。
やがて、流れ星はさらに大きくなり、一筋の光を引きながら、森に落ちた。
鳥が驚き飛び去る音と、木がざわざわと揺れる音が、目の前の暗がりに浮かぶ。
竜の森。この最南端の土地の中心地にして、竜が最初に降臨した土地であった。
◇ ◇ ◇
村長宅を静かに通り過ぎ、二人はろくな森用の身なりをしないまま、進む。
竜の森は、中心に巨大な大木を携えた、島の大半を覆う程のクレーターだった。
今は溢れんばかりの木々と苔が生い茂り、爆心地という言葉とは離れたばかりの様相を見せている。
川は、島の外に流れるものもあるが、地形上中央の大樹に向かって流れる物も多い。
なのに関わらず、中央が浸水しきることも無く、大樹は成長を続けるものだから、この大樹もまた、奇跡の一つであり、島そのもののご神体にもなっていた。
ロマニとプレトは、森の中を大樹に向かって進んでいく。
時折目の前に木の背丈はある崖が出てきては、ロマニは義手を構え、自分の足元にアンカーを打ち込む。
岩を食い込み、中で返しを展開し、引っぱっても取れないことを確認すると。プレトがロマニにしがみつく。
「捕まってろよ」
プレトはそう言いながら、崖から跳ぶ。
「うわぁっ!」
足が宙ぶらりんになったので叫ぶプレトをよそに、ロマニは崖に足を付け、徐々にアンカーを伸ばし下にたどり着く。
そして、アンカーの返しを引っ込め。離れたアンカーを義手内に戻して改めて走り出す。
これを何度も繰り返し、やがて、木々が急に姿を無くし、中央の開けた土地にたどり着いた。
「よしっ、着いた」
ロマニは義手の手首を上下に動かし、故障が無いことを確かめながらそう呟く。
一方、慣れない大移動ですっかり息をあげていたプレトは、時折せき込む呼吸を整えてから、顔を上げた。
ロマニは何度も勝手に森に入ったことがあり、慣れ親しんだ光景であったが。プレトは初めて中心にまで来た為、目の前の光景に目を奪われた。
クレーターの中にさらに出来たクレーター。その中央には、いつも見ている街から見た島の高さよりも、もっと高く見える程の巨大な大樹がそびえたっていた。
樹木からは、ここまでの道中で見た木に負けず、更に大きく思える根が全方位に波打って伸びている。地面に沈んだり、飛び出したりの繰り返し。根はそのまま伸び続けた果てにクレーター内の壁面に刺さっており、この大樹の根は島全体の地を下から支えているのかもしれなかった。
それだけじゃない。太い根っこの間には、浸されたように水が満たされていた。溜まった落ち葉の底に、何かしらの形で紛れ込んだのか、川魚が泳いでいた。
「綺麗……」
この時、プレトはロマニが外の世界を目指す先で見るだろうものの一端を見た気がした。
いつも住み続けているリュウセ島だけでも、こんなにも現実離れをした神域があったのだ。
外の世界には、何があるのだろう。
プレトは答えが返ってくることを願いたくなる問いが、胸の内にこみ上げるのを感じた。
「プレト。あれだ!」
「え? ──あっ」
ロマニが指を指し、木の根っこを飛びあるきだしたので、プレトは意識を戻された。
気が付いたころには、ロマニは袋を担いだまま、突出している根っこを次から次に飛び移って大樹へと向かっていく。
根は人が乗れる以上に太いものの。盛り上がり立てる場所の距離感覚は、人数人分はある。いくらなんでもプレトに向かうのは無理だった。
「あっ、え、えっと……」
自分にはできない。そう諦めに至ったプレトは、せめてロマニが何を追っているのかを知ろうと、大樹に目を向ける。
「! なに、あれ」
ここまでの光景でも、プレトは十分知る事の無かった神秘というものをよく味わったと思う。
しかし、大樹のてっぺんを見た時、本当の神秘とは何かという事を思い知らされた。
光。大樹の頂上が、球体上の眩い閃光をまとって滞空していた。
その光は、ロマニが向かうにつれて。待っていたかのように、大樹の中の枝をかき分けるように徐々に下へ下へとゆっくり降り始めた。
光に照らされた葉は、影を下から上へと傾け続け、大樹のあるこのクレーター内の壁面全体を、異様な揺らめきで覆い尽くしていた。
まるでそれは、昔話に聞く。神様の降臨のようであった。
プレトがその光景に見惚れている間。ロマニはその大樹の根元へとたどり着いた。
間に合った。ロマニはそう安心を覚え、大樹を見上げる。
そこには、確かに流れ星のようにも思えた、空から落ちてきたものがあった。
眩い光で辺り一帯を照らし、目を覆いたくなるほどの光を放っている。
しかし、その光が徐々に弱まっていきだした。
解けるように、ゆっくりと光の糸が離れ、空中へ霧散していく。それは枝の一番底にたどり着くころに完全にほどけていた。
そして、光の中に居たそれは、力を失ったように、ロマニのよく知っている重力に引かれ、勢いをつけてロマニ目掛けて落下してきた。
「なっ! 危ない──」
自分が受け止めないと、
咄嗟に浮かび上がった言葉のままに、その言葉の意味を認識するより先に薬袋を横に置き、ロマニは両手を出してそれを受け止めた。
力強く止めすぎると、それが怪我をしてしまうと思い、衝撃を中途半端に逃がしたからか、ロマニは前のめりに倒れこんでしまった。
「い、いつつ……」
膝を少し擦りむき、ロマニは痛さを覚え目元をぎゅっとつむるが、再び目を開けた時、その力はふわっと抜けて目の前に眼を奪われた。
「……なんだ、この子」
それがロマニの口から出た、最初の感想だった。
空から流れ落ちてきた星のような光。その中から現れた者は、人とかけ離れた美しさを持つ少女であった。
幼くも賢明さを感じさせる整った顔たち。本の挿絵で見た事があるような、海外の貴族が着るような、真紅色で整えられたフリルの付いたドレス。なだらかにとかされた髪は、夕日の終わり寸前のように真っ赤な髪色をしていた。
しかし、それらよりも何より気になるのが、
「角に、翼、尻尾……」
少女には、竜のような角と翼、そして尻尾があった。
人に他の生き物の特徴が混ざった人種というものを、ロマニは知らない。ましてや、竜伝説にしか聞いたことのない竜の特徴を持った人間など、更に知ることは無かった。
ロマニは息を呑み、そっと首元に指を当てる。
「……! 生きている!」
竜の少女は、か細いながらも確かに息をし、生きている。
その事が、現実離れした浮世立っていたロマニの心地を、現実の言葉に引き戻した。
ロマニは少女を背負い袋を拾うと、来た道を戻った。
「はぁ、はぁ……うあぁ、苔で服がぐっちゃぐちゃ……えっ!?」
結局待ち続けるのが不安になって、ひいこらと弱弱しく息を吐きながら根っこを這うように進んできていたプレトは、自分の服にべったりとくっついた苔の染みに戸惑っていた。
しかし突然、目の前にロマニが着地してきて、驚きのあまり根っこから落ちそうになった。
ロマニは拾い直した薬袋をプレトに振り、プレトは慌ててその袋にしがみついたことで、無事根っこの上に体勢を整えなおした。
「び、びっくりした。ありがとうロマニ」
「プレト! 検診はできるよな、早く村へ!」
「え、急にどうしたの。あの光は……」
突然戻ってきたロマニに、困惑するプレトだったが。ロマニの焦る表情を見て、事態を察した。
そのロマニの背中には、目を閉じ、弱弱しく翼と尻尾を垂らす、赤い竜の少女の姿があった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます