6.互いの孤独感
日が傾き、夕日に染まりつつある港。
港では、作業の終わり頃シフトの作業員たちが、今日一日の作業道具を片付け始めている。
ロマニはそんな中、船の停留所に忍び込むようにやってきていた。
その手には、コの字状に作られた、人一人程は入りそうな船の座椅子の、木材細工を持っていた。
「親父の船は、どれ、だったかなぁ……」
ロマニはしばし周囲を見渡したところで、ショウコウがいつも一人で島を離れる時に乗っている小舟を見つけた。
人二人が寝そべられそうな程に大きく、本来の用途は、簡易的な小型漁船として使われていたと思われる。
その船は、左右に人が座れる座椅子が備え付けられており、そこに腰かけられるようになっていた。
その座椅子こそが、今回の密航の要だ。
ロマニはさっそくと言った具合で自分が持ってきた木工細工を取り出し、船に乗り込む。
左右の座席と自分の木工細工を見比べて、安心して頷く。
「よし、我ながら良くできてるじゃないか」
座席と、ロマニが作った物は、船の中央の幅のふくらみに合わせ、横幅も長く作られているが、一見は船に付いている座椅子と見分けがつかない代物になっていた。
ロマニはこの日の為に、自分自身が中に入り込み、もうリュウセ島に戻る事も難しくなったタイミングで姿を見せるという、ミニチュア密航を計画していたのだ。
ロマニは、久々の人を騙す悪事に、どこか緊張し、高揚していた。
今から、海上で船の真ん中から突然姿を現した自分の息子に驚く、父親の姿が思い浮かぶ。
それで、父が何度やっても息子を近づけない何かしらの仕事というものに、自分も手伝いとして参加するのだ。
「ふふ、今日こそ……記念すべき日だ!」
ロマニはそう言って、小舟の真ん中に、左右と合わせて均等になるように寝そべり、その上から、自分の手作り座席をはめ込んだ。
後付けの座椅子内に隠れたロマニから見えることはないが、その直後通り過ぎた港の作業員も、船の違和感に気づくことも無く通り過ぎていった。
一見、もともと船には座席が3つ備え付けられていたかのように、元々の形としてそこに収まったのだった。
◇ ◇ ◇
それから暫くして、一直線の坂を森の方からゆっくりと歩き返って来たショウコウが姿を見せた。
その顔には、どこか暗く落ち込んだ心地を強く堪えているような面持ちが見える。
「──まだ、姿を見せない」
ショウコウは暗い不安感に包まれていた。
もうすぐ、龍の降臨しない14回目の竜誕祭が近づいていた。
本来、100年に一度、熱い猛暑の時期に行われる筈だった竜誕祭は、龍が生まれなかった年を境に毎年行われるようになった。
最初は竜は迷信であり、降りるというのは形式上の話なのではないか、古くからの比喩的な言い伝えなのではないかと噂にもなったが。段々と龍の加護と言われる、大地に魔物を近づけない、土そのものが発する退魔の力が弱まり、海上での魔物の活動区域が広まるにつれ、パニックが起きた。
また、長寿者達の話に、百年前の文献の中に、実際に竜が現れたという話が多々として見つかり、竜は確かに存在するという論調が強まり直した。
その為、100年に一度行われていた筈の竜誕祭は、毎年行われるようになった。毎年、この時期に祈りを捧げれば、龍がやってくると皆が口々に信じ続けた。
ショウコウが探し求めている存在も、その竜誕祭に姿を現す筈であった。
だからこそ、この時期の漁の終わり時が来ると、決まって疲れ果てた体に鞭を打ち、龍の森から始まり、近辺の海域を隈なく探すようにしていた。
しかし、いくら探しても求める存在は姿を見せない。
いつまで経ってもショウコウの悩みは、それを解決するそもそものスタートラインにすら立てていなかった。
「いつまで、平和でいられる時代が続く。いつまでが限界の時だ……」
当ても無い不安を、ショウコウは口にしながらうつむく。
恐れは、次第に増していた。
そして、ショウコウのその不安の行きつく先には……息子ロマニの顔が、いつも浮かんでいた。
ロマニには、あの子の気持ちをいつも裏切って、本当に申し訳ない事をしている。
でも、それでも。どうか許してほしいと願っている。
あの子だけは──アランとイリムの子供であり、自分のかけがえのない息子でもある、あの子だけは。何が何でも、巻き込みたくない。
ショウコウは、港にたどり着いたところで、自分の両頬をパチッパチと叩いた。
不安げな姿を見せた所で、それは誰かが不安がり、心配する結果しか生まない。
自分はいまや、この島の漁師の元締めなのだ。そんな姿は見せられない。
今日も勇ましく、目標を求めて海に出よう。
そう心に決めて、自分の船の前にたどり着いた。
「──ん?」
ふと、自分の船を見た所で眉を潜めた。
◇ ◇ ◇
波に揺られる感覚を味わい続けながら、ロマニは手作り座椅子の中の真っ暗な空間に潜んでいた。
心臓が高鳴る音でばれやしないかと、更に心臓をあらぶらせつつ、待ち続けていた。
「(そろそろ、親父が来る頃だよな……)」
ロマニがそう念じていると、船全体が軋み、歪に揺れ出した。
「(来た…!)」
ロマニは、ショウコウが船に乗り込んだのを確信した。
今から、船の出航準備を簡単に済まし、小舟はロマニの知らない海の先へと向かうのだと、ロマニは思った。
しかし──ショウコウが乗り込んでから、次に起きるであろう帆を展開する音が、いつまでたっても聞こえてこない。おかしい、何かトラブルでもあったんだろうか?
なんてことを思っていると、突如、ロマニが隠れている木細工がギシギシと揺らされた。
「(えっ、なんで触ってるの? ……まさか!)」
やばい。そうロマニが思った次の瞬間、ロマニの視界一杯に夕日の光が入り込んできた。
「……今日は、いつも以上に強引な手を思いついたな?」
なんてことの無い、ただ関心といった様子で、ショウコウがロマニを見下ろした。
「うあっちゃぁ……こんな所で、奇遇じゃん親父……」
軽口をたたいてみるも、縮こまり青ざめた様子で、ロマニは小さく手を振り返した。
ショウコウは小さくため息をつくとロマニの背中襟首をつかみ持ち上げる。
「ま、待ってくれよ! どうして分かったんだ!?」
「いつも自分の身を預けている船だ。どこがどういう造りになっているかも染み込んでいるものだ」
そう言って、ショウコウはロマニを桟橋に降ろす。
「見た目の劣化具合までも、まあよく似せたものだな……だが、座椅子が増えてりゃ分かるわ。大体、こんな手間の掛かった座椅子を作るぐらいなら、座椅子のどっちかの側面を切り落として、中に隠れてから蓋した方がばれなかっただろう?」
「そ、それは……漁師の船だろ、勝手にそのものを改造するのは、気が引けたというか……」
ロマニは、そっぽを振り向く。
自分の夢も大事だが、もしこの船が親父にとって思い入れがあるとしたら。そう思うと、船そのものを切って傷つけることはできなかったのだ。
「そんな事よりも、ここまでやっても駄目!? 親父はどうしてそんなに俺を遠ざけるんだよ!」
「……まだ、お前には早いってだけだ」
「周りの同い年は、とっくに海に出てるのに!? もういい加減うんざりだよ!」
ロマニは両腕を振り上げ、下に振り下ろし叫んだ。
振った拍子に、ガチャンと重い金属の音がロマニの義手から鳴り響く。
「まだ早いまだ早いって……だったら、親父に
カタカタと腕を振るわせて、ロマニはショウコウを睨みつける。
その顔は、もう限界と言っており、目じりに涙を浮かべていた。
いつまで経っても足りない足りないと言われ続け、実力不足を補ってもまだ乗せてもらえない。何時までも拒絶する父親の目には、自分の行動全てが、半端物の胎動に見えるのではないか。そんな絶望感が、ロマニにこみ上げていた。
「……そこまで、強く思って。むしろ何故外に行きたいんだ?」
そんなロマニに掛けられたのは、とても冷めた、衝動の理由を求めるものだった。
「俺の両親も親父も、みんな海に出たからだよ! 死んだ両親も、生きてる親父も。俺が3人に繋がれるのは外の世界を知る事だけだ!!」
その言葉が、開けた海が目の前に広がる港で、なぜか木霊したかのような錯覚を、ロマニもショウコウも覚えた。
そうだ。ロマニが海の外を求めるのは、寂しいからだ。
死んだ両親が海の外に出たのは、なんでなんだろう。生きている親父が、漁師として外の海で何を見ているのだろう。
生まれながら親も自分の腕も失ったロマニは、繋がりが欲しかった。同じ道を進んで、同じ気持ちを知りたかった。
寂しい孤独感と、何かが見つかるかもしれないという期待感が、ロマニを突き動かすものだった。
「……そうか。寂しいからか」
ショウコウが口を開く。
「俺からの言葉以上に、お前は両親の事を知りたくて。俺と同じ仕事をして俺の生き方も知りたいと。ただ、親との繋がりが欲しくて、海に出たがるんだな」
「……そうだよ」
空から太陽が落ち、夜の淡い光がやってくるに連れて地上が冷えだす。
そこで、ロマニは自分が激しく怒り、涙ぐんでいたことに気が付き顔をぬぐった。
「……お前は、本当にいい子だな。寂しいからか、頑張っても報われない人の気持ちがよく分かる。その寂しさゆえか、人にも優しくできるし、親の後を必死に追い続ける」
「なんだよ急に。だから、なんだよ」
ショウコウは、少しの間海の方に目を向けた。
今も揺れ続けているはずなのに、変わらず平坦としているような、変化の無い水平線。ショウコウは、その不変の海を見つめて、覚悟を決めてロマニに振り返った。
そして、静かにそっとロマニの両肩に手を置いた。
「だからこそだ。ロマニ。だからこそお前を外には連れ出せない。お前はその繋がり故に、死ぬかもしれないんだ」
「……えっ?」
静かに語られた一言に、ロマニは耳を疑った。
言葉を濁さず、静かに暗い面持ちで語られたショウコウの言葉に、ロマニは聞き返さずには居られなかった。
「お前が悪いんじゃない。父さんは、お前が海に出られるようになるためにも、やらなくちゃいけない問題があるんだ」
ロマニは、その言葉に、戸惑った。
ショウコウの目は、とても寂しそうで、ロマニの事をとても愛おしく思っているようで。その口から、未熟だからと言う侮蔑は見えなかった。
だから、ロマニはこの時、いつものように言い返せなかった。
ショウコウの眉間にしわが寄り、口角も低く下がり。一人で背負い込んだ孤独が浮かんでいる。
なんだ、この表情は。今まで、言葉を濁しながらも。こんなに辛く、寂しそうな顔を浮かべている親父は、見たことが無い。
今にも親父は泣いてしまいそうだと。ロマニは思った。
「両親の事か? だから、俺をこの島の外に出さないのか?」
ショウコウは、小さく頷き返す。
「お前までも、アランやイリムのように死んでほしくない」
ショウコウはそう言うと、そっとその手を離した。
「……一通り終わり無事だと分かったら、何歳からでもお前を海に出し教え込んでやる。最も、お前はもう新米以上には、出来るがな…」
ショウコウは帆を広げ、船を海に出した。
ロマニは、去っていく父親の背に何かを言おうとしたけれど、何ていえばいいのか、分からなかった。
「……認められてないとか、そんな話じゃ無かったのか…?」
父に認められないという怒りは完全に方向違いだったがゆえにぼやけ。ロマニはただ、混乱していた。
そして、今度はその去っていく父親の背中姿が、比喩的に、本当に去っていくことになるんじゃないかという不安が、次にふつふつと湧き上がっていった。
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