1.竜誕祭の夜の火事

 大陸より遠く離れ、外との交流が途絶えた島々がある。


 その島々の中腹にあたる、踊りと芸術の島、ユレリカ島にて事件が起きた。


 その日の夜の島は、龍が顕現する日を近くに迎えた祭りが連日行われていた。

 大通りでは屋台が無数に並び、煌びやかな衣装と灯を携えた踊り子たちが華やかに踊り、芸術家たちは竜をテーマとした各々の作品を観光客に見せ、皆が熱気をもって竜を呼び出そうとしているかのような、一体感に包まれていた。


 突如その歓声が動揺の声に変わり出したのは、熱気から離れた沖合の海上で起きた爆発がきっかけだった。


「火事だ。船が燃えてるぞ!」

「こんな時間に出ているなんて、ありゃどこの船だ」

「交易船じゃねぇぞ。あの大きさなら、個人船だ」

「素人がドジやったんかねぇ」


 困惑の声と、ドジを踏んだだろうと邪推しけなす声が入り交じり、町の人々は一気に歓声を沈めて水平線を見続けた。


 その時、酒場から一人の男が飛び出した。日焼けした屈強な肉体に、30前後の歳をおいた貫禄のある男性だ。


 男の名前をショウコウと言い、久々に遠出したものの、本来は列島の中でも、最南端にあたるリュウセ島の漁師の若筆頭である。


 竜の誕生のお祝いもあり、自分の部下たちと共に一番賑わいを見せるであろうユレリカ島に呑みに来ていたのだ。


 それも今となっては、脳にまわったアルコールもあっという間に引いている。漁師の元締めであるという職業柄か、船が航行不能なほどになるという事件を聞くと、あっという間に人命救助を優先しした思考に早変わりするのだ。


 事件の現場はどこだと、ショウコウは酒場を出てすぐに水平線に目を見やる。

 しかし、真っ暗な海にて、その全体を燃やし、荒れ果てたシルエットを見せる船を目にした途端。らしくない動揺が、ショウコウの全身から嫌な汗を沸き立たせた。


「アラン?」


 ショウコウはついて出た友人の名前を皮切りに爆ぜるように港へ駆けだした。


 立ち止まる民衆を躱し、飛び越え、時折ぶつかりながらも、見開いたその目は燃え続ける船ばかりを追っていた。


 疲労からか焦りからか、どちらから来るか分からない自分の荒い呼吸音も聞こえない中。ただ、ありえない、そんなわけないと自分に目の前の光景を言い聞かせていた。


 ショウコウには、故郷のリュウセ島において、共に長く暮らす幼馴染の友人たちが居た。

 一人をアランという男性、もう一人をイリムという女性だ。


 3人はリュウセ島に幼い頃から共に住み、子供の頃は、よく島に広がる龍の森に勝手に行き、好きに森で遊んでは、大人たちにばれて叱られたりした。


 それでも、3人のうちの誰もが、森での遊びを素直に言いつけ通りやめたりしなかった。そんな悪友の仲だった。


 その3人の仲は、ショウコウが漁師の跡継ぎとして海に出るようになり、会えることが少なくなったのを皮切りに、徐々に距離が離れていった。


 アランとイリムはリュウセ島に残り、二人で森の中での業務に勤しんでいた。


 距離が離れ、別々の場での生活が続き続けて数年。ある日、ショウコウが長旅の漁から帰って来た時に、二人から結婚の報を聞かされた。


 3人の輪で、2人が結ばれ、自分が輪の外に弾かれた事に、ショウコウはショックを受けた。

 女性であるイリムに、強い恋愛感情を抱いていたというわけではない。ただ、かつての3人の仲が、どこか遠くに行ってしまったような悲しみが重く圧し掛かっていた。


 しかし。そんなことももはや2年ほど前の事となり、心の整理はついてきていた。

 その筈だった。そう受け入れた手前に起きていることが、目の前の事だと言うのか。


 月下の水平線で燃えている船だ。あれは、アランとイリムが乗ってきた船だ。


 昼間にショウコウは、アランとイリムの二人に会っていた。

 二人して、島を回って旅をしている最中だと言っていたが、イリムのその腕には、赤子が二人抱かれていた。


 幸せそうな姿を見たばかりだというのに。今、今度こそもう二度と会えないところに二人が行ってしまう予感が、ショウコウの頭の中に何度も反芻されていた。


◇ ◇ ◇


 港で小さな船を持ち主確認も無しに借りたショウコウは、火事の起きた海上にたどり着いた。


 到着するまで、これだけ大勢が来ている中で、事件に巻き込まれたのが自分の友人であるなんて、そんな不幸振りかかるはずが無いと。不埒な期待を自分に言い聞かせ続けてきたが、火事の灯りが顔を照らし、目の前の事が良く見えるようになったころ、その期待は裏切られることとなった。


「嘘だろ。さっき別れたばかりなのに」


 ショウコウが震えた声で呟く。その目に映るのは、間違いなく自分が見た船だった。


 アランとイリム。そして、その手に抱かれた二人の赤子。彼ら一家が乗って旅をしていた船だった。


 現実を理解した瞬間、ショウコウは自分の乗っていた船を蹴とばす程の勢いで、冷たい海に飛び込んだ。


 全身に染みこむ冷たさと、それ以上に気持ち悪い程分かる、冷え切った自分自身の心を感じながら、ショウコウは燃えた船に乗り込む。


 船は酷い有様だった。中央で何かが爆発したのか、真ん中から真っ二つになり、そこから火が広がって船のあちこちを燃やしていた。

 燃える木の匂いがあちこちから溢れていて、ショウコウは手で口を覆う。


「アラン!イリム!返事をしろ。ショウコウだ、助けに来た!」


 できる限りの声で、無事であってほしいという祈りを込めて叫んだ。声は燃えている環境に吸い込まれているのか反響せず、泣き子の叫び声も聞かないように、パチパチと燃えて弾ける音ばかりが響く。


 ショウコウは自分の声が本当に喉から出てるのか分からない程、友人たちの名前を叫びながら、船を駆けまわった。


 足の裏が火傷し、汗が湧き出てはすぐに蒸発してしまう。場は刻一刻と崩れ続けているのに、返事はいつまで叫んでも返ってこなかった。


 その時、ショウコウは船の傍らで立ち止まった。


 船内に続く扉を見つけたのだが、戸は外から室内に向けて、何かがぶつかったかのようにひしゃげ崩れている。そして何よりも、その折れた木片には、嫌なほど新しい血が、微かながら付いていた。


 ガラガラに枯れた喉をごくりと鳴らし、ショウコウは室内へと駆け込む。


「イリム!」


 室内に入ってすぐ。ショウコウは叫び、目の前のものへ駆け寄った。


 壁に赤い染みを作り、その下で床に真っ赤な血を溢れさせてうずくまっているイリムの姿があった。


 ショウコウはイリムのそばに駆け寄り、無事かと触ろうとするが。触った瞬間、イリムが痛みから絶叫をあげた。


 ショウコウは咄嗟に手を離す。痛がるイリムの全身には、背中かから流れる血以上に、焦げて半ば炭になった腕に、あちこちの火傷が焼き付いていた。


「ショ……コウ……」


「あ、ああ。そうだ、俺だ。助けに来たぞ、もう大丈夫だ」


 ショウコウは、静かにイリムの上体を起こす。


「イリム。アランは? それに……赤子達は」


 ショウコウが尋ねると、イリムは俯き首を振る。

 そして、イリムがそっと炭になりかけた腕をどかすと、ショウコウは言葉を失った。


 イリムの腕の中で、一人の赤子が、声をあげずうなだれていた。全身が綺麗なのだが、小さな右腕だけは焦がし、顔は散々泣いた後なのか、真っ赤で泣き腫らしていた。


 そんな赤子は、今はもう泣いていない。ショウコウは、赤子が死んでいることを察してしまった。


「……そうか……」


 ショウコウは口角を下げ、暗く淀んだ声で相づちを返すと、イリムを抱きかかえた。


「…もう大丈夫だイリム。お前だけでも、絶対助けるからな。少しの辛抱だ」


 ショウコウがそう語り表に出る中、イリムは泣かなくなった赤子を抱きしめたまま、ただ小さく頷いた。


◇ ◇ ◇


 表に出た所で、まだ残っていた帆が倒れてきた。


 ショウコウは横に跳び帆を躱す。帆が木床に倒れ激しい音を出したのと同時に、船全体が決定的な軋み音を響かせた。

 船が沈む。そう思ったショウコウは急ぎ船の側面へ駆けた。


 側面にたどり着き海を見ると、離れた月明かりの下にショウコウが乗って来た船が見えた。

 海に飛び込めば、この火事の中とはおさらばだ。


 だが、ここでショウコウの足が止まった。


 背中では今まさに崩れ、海に沈もうとする船。逃げなければいけないのは明らかだ。


 しかし、今胸元でか細い息を出しているイリムを、この冷たい海に出すことが何を意味するか、それは目に見えていた。


「……あんまりだ」


 ショウコウはこの瞬間、この地獄を激しく呪った。主神たる地竜にも恨みを向けたいほどだった。

 どこに向かい、どう動こうと、運命そのものがイリムに死ねと言っているかのように思えた。

 それじゃ、何のためにここに来たと言うのだ。


「何か無いか。どうにか、なんでもいい、何か」


 ショウコウは狼狽した声を出しながら辺りを見回す。人一人を乗せられるなら何でもいい。船の残骸、樽、テーブル。何か、何かイリムを海に晒すことなく、この場から脱出できる手段は無いか。藁に縋るような気持ちで、ショウコウは必死に辺りを見回した。


 しかし、何度周りを見ても、木という木がどれも焼け、火に焼き憑かれていた。足元にも火が回ってきて、もう時間が無い。それだけがハッキリとした。


「イリム……」


 ショウコウは、生きていることに縋るように、自分の胸元のイリムを見た。


 見た瞬間。ショウコウは辺りが一瞬静かになったのを感じ、再び声を失った。


 胸元で抱きしめているイリムが、声をあげなくなったわが子を、ただ静かに強く抱きしめていた。この火の中で、少しでも自分自身の体温が我が子に伝わってほしいと願っているように、肌を押し当て、赤子を守っていた。


 その光景から目が離せず、じっと見続ける中。ショウコウは、自分自身が声に出してないどこかで「分かった」とイリムに声を掛けたのを確かに感じた。


 次の瞬間、ショウコウは力強い雄叫びと共に、海に飛び込んだ。


 ショウコウたちは冷たい海に着水し、その背後で船が大きな音を立てて崩れた。


◇ ◇ ◇


 静かな海に漂う一隻の小舟。そこから少し離れたところでは燃え盛る船がその形を完全に崩し、ぐちゃぐちゃの灯りになって浮かんでいた。

 そんな惨状を横目に、ショウコウは自分の乗って来た小舟にたどり着き乗りこんだ。


 ショウコウは船の上にそっとイリムを寝かせる。


「着いたぞイリム、助かったんだ。これからお前を島の病院に連れて行く、それまでしっかり…」


 ショウコウはそう言って、未だ赤子を抱き続けたままのイリムの手を掴む。


 触った瞬間。ショウコウはイリムの手がどんどん冷えていき、体温を失いつつあることに気が付いた。


「……嘘だろ。おい、待て、待て!しっかりしろ、イリム!」


 ショウコウは声を荒げ、イリムの肩を強く揺さぶった。


 分かっていたはずだ、何が起きるかという事を。海の事をよく知っていたショウコウが、誰よりも分かっていたはずだ。


 イリムの体がどんどん冷えていく。幼い頃より、ずっと一緒に過ごしていた友人のイリムが、目の前で死んでいく。

 ショウコウはその実感を、体温と共に確かに感じた。


「駄目だ、こんなこと許さない!」


 ショウコウはイリムの体を、無我夢中に起こし、強く抱きしめた。

 自分自身の体温でどうにか、暖かさを取り戻してほしいと願った。


 なのに、抱きしめた事で熱はイリムに移らず、逆にショウコウ自身が、変わらずどんどん冷えていくイリムの体温だけを感じた。


「いくな、いかないでくれイリム! お前もアランも、二度も置いてかないでくれ!」


 ショウコウはただ、か細く泣き声をあげた。


 イリムとアラン。子供の頃から一緒に遊んで、互いに泣くことなんて殆ど無かったのに。今はただ、縋るように泣き続けるのだった。


 船の上は、ただ波の音だけが静かに聞こえる。嫌なほどに静かな時間が続いた。


 その時、ショウコウの耳に、確かにおぎゃあと泣く声が聞こえた。


 ショウコウはハッと顔を上げ、傍らを見る。そこには、イリムが大事に抱きしめていた赤子が、小さくも、泣き声を上げ始めている姿があった。


「赤子……生きている」


 ショウコウは驚き、赤子を片手に抱き寄せた。

 赤子は腕を片方焦がし、そして、冷たい海にもその身を晒していた。なのに、目の前の子は確かに生きて泣いていた。


「ロマ、ニ」


 イリムが、小さく声をあげ、焦げた手で赤子に手を伸ばした。


「ごめん、ね。ショウコウも。こんな、こと……」


 イリムは潤いをもった声で呟き、目の前の赤子と、ショウコウを見る。


「ロマニを、おねがい」


 イリムはそう言うと、ゆっくりと目を閉じた。


「……イリム?」


 ショウコウはイリムに呼びかける。しかし、その言葉にイリムはもう何も反応を返さなかった。


 ショウコウはイリムを強く抱きしめると、反響するものも無い海の上で、つんざく程の泣き声をあげた。

 もうその泣き声にイリムは言葉を返さない。アランは遺体さえも見つからなかった。


 この日、ショウコウは今度こそ、昔からの幼馴染二人を失い。完全に遠くへ置いていかれてしまったのだった。


◇ ◇ ◇


 火事があったこの年は、地竜が地上に顕現する、百年祭の年であった。

 しかし、地竜は誕生を祝う島々の人達の前に姿を見せることは無かった。


 各島の人々の動揺と困惑の声の渦の中、それから14年の月日は流れていった。

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