2.ショウコウの息子

 ユレリカ島の海上で起きた火災事件から、14年の月日が訪れた。

 竜が降臨しないことで起きた各島間の原因追及の騒乱が収まり始め、島々は、竜の居ないながらも平穏な時代を取り戻しつつあった。


 そんな中、最南端のリュウセ島に一隻の漁船が帰還してきた。


「船が見えたぞ、荷馬車を港に並べろ! 空いてる奴は、木箱並べるの手伝え!」


 港の作業員たちは、海に見えた漁船を待ってましたとばかりに、大忙しに動き出す。


 やがて、一通りの運搬の準備が整ったところで、並みの船よりは一回りか二回りは大きい、海産業の島きっての名物である巨大漁船が港に定着した。


 船の船端からは、久々の陸地に喜んだ漁師たちが、待っていた島の人々へ大きく手を振るい声をあげる。


 そんな中、一人のがたいの良い壮年終わりぐらいの男が、姿を見せた。

 それに伴い、港の漁師たちは歓声をさらに大きく上げた。


「ショウコウさん、おかえりなさい!」


 嬉々として、全員が大きく手を振り歓迎した。


「ここまではしゃぐものがあるか」


「当然すよ、竜が降りなかった事で、海に居る魔物は年々凶暴さを増すばかり。そんな中、みんな引っ張って漁の成果上げてりゃ、誰だって認めますよ」


 賞賛の声に頬を掻き訝しんでいたショウコウであったが、漁師の中の一人が、そんなショウコウを肯定し褒めた。


 そういうものかと、ショウコウはすこし照れ臭そうに船内へと振り返り歩く。


「お前たち、獲ったもん港に降ろすぞ! 陸での作業が終わるまで仕事は終わっちゃいねえ、気ぃ張ってけ!」


 ショウコウが掛けた号令に、船の船員一同がおおと声をあげた。

 それから、漁船の船員達は今回の漁で獲った魚介類を港に降ろしだした。


 日持ちさせる為加工品に回すものもあれば、この帰還日の為に滞在していた別の島の商人達が、交渉をして魚を買い取っていく。


 それは、竜の加護が減少しつつあることにより活性化して来た魔物達の影響により、各島の海産業が衰えてきた中でも変わらない、漁の島リュウセ島の誇りそのものの光景だった。


「……ん、おい。息子はどこだ?」


 ふと、港の作業場を一通り眺めたショウコウが口を開いた。


「朝から見ませんねぇ。きっといつものように拗ねてんじゃないすか」


 港で待っていた作業員の一人が、ショウコウに言葉を返す。


「頭が自分の息子、漁に連れてかないから、不貞腐れてるんすよきっと。まあ、こんな肝心な時にさぼってるんすから、こちとらおかんむりすがねぇ……」


「……いや、そうじゃないだろうなぁ」


 ため息をつき愚痴る作業員を横目に、ショウコウは首を横に振る。


 大事な時に居ないってなると、息子の場合は拗ねているというより、夢中になっている物があるときぐらいだ。

 そう考えると心当たりがある。


「迎えに行ってくる」


「了解っす。寝床なら、今は頭の家の方に移ってますよ」


「違う。息子なら、外れの浜辺だ」


「えっ?」


 ショウコウの言葉に作業員はきょとんとするが、そんなこと構わずと、ショウコウは島の外れの小さな浜辺へ向かった。


◇ ◇ ◇


 空から肌が焼けるほどの眩い太陽の光が降り注いでいる。絶えず変化し続ける海上の波は、その光を受けて生きの良い魚のように煌めいていた。


 少年ロマニは、その海の上で小舟に乗り、波が揺れるままに揺られていた。

 ロマニの右腕は、この光の下だと反射がまぶしすぎる。それゆえか、ロマニは両腕を頭の後ろで組み、寝そべっている。


 その右腕は、生まれつきの自分の腕じゃない。鉄といくつかのからくりをもって作られた、義手だった。


 生まれて間もなくに腕を無くす程の火事に見舞われ、幼少期を片腕が無いまま過ごしていると、父であるショウコウが遠くの島であるジンエン島にて手に入れたと言い、ロマニにプレゼントしたのだ。


 そのプレゼント自体、ロマニは気に入っていた。生まれて初めて、両手が存在するという心地が分かり、片手だけでは足りて無かった事も、多くできるようになった。


「……後は、海に出してくれりゃいいのになぁ……」


 ぽつり、ロマニは父への愚痴を吐いた。


 父であるショウコウは、ロマニの意志に反し海に出してはくれなかった。

 漁師の頭が、次期筆頭になるかもしれない自分の息子を、10を過ぎて14になった今も海に出さないんだ。とんだ理不尽だ。


 ロマニはそんなことを考えながら、小舟の側面に付けた鈴を鳴らす。


 チリィンと、やや低い音がどこまでも木霊する。


 この鈴は、十数年ほど前までは、漁船同士が互いに意思を伝達しあう為に用いていた、連絡手段であった。


 海上でもよく響き、根元のネジをどのぐらい緩めるかによって、風の時は使わず、必要な時に鳴らすこともできる。連携を取り動く漁船団における、必須の連絡手段であった。


 しかし、現在は海の環境変化に伴い、使われていない。


 竜の加護が衰えるにつれ、魔物が人間をよく襲うようになったところで、この鈴は、魔物を引き寄せやすくなったのだ。それゆえに、今は音を介さない方法が用いられ、使われなくなった。


 そう、魔物を引き寄せやすいのだ。それこそが、ロマニが小舟に鈴を付けた理由であった。


「! っと」


 ロマニは、波の音の中に異物が混じったのを聞き立ち上がった。


 島の浜辺がまだ見えるぐらいの近海だからだろうか、獲物が音に惹かれてやってくるまで、ずいぶんと長く待ったものだとロマニは思った。


 例えば、航行している船が丸太を海に放り投げ、海上引き回しをすればこのぐらいの水しぶきは上がるだろうか。海面に大きな水しぶきを上げながら、何かがロマニに向かってきていた。


 来る。ロマニは義手を構えてその瞬間を待ち構えた。


「! 大当たり、ツキニエだ!」


 海から、小舟の上にロマニ目掛けて、魔物が飛び上がった。


 弓から打たれた矢のような速度で飛んでくる魔物は、全長がロマニの2倍ほどの長さはある、魚の見た目をしていた。

 見開いて死んでいるような目に、針のように鋭いくちばし。そして、丸々太った二枚貝の片割れのように突出した鱗が、魔物の全身を螺旋状に生えている。


 その鱗が、草原に吹いた風のように、先端から後ろまで、なびくように仰がれる。それで促進力を得たらしく、ツキニエは、空中で高速回転しながらロマニに突っ込んできた。


 間違いなく、肉体に命中すればロマニの肉体を貫く!


「あぶなっ! 大人しくくらうか!」


 ロマニは義手を構え、ツキニエのくちばしとは名ばかりの槍を受け止める。


 火花が散り、ツキニエの重みが義手にのしかかったのを感じると、ロマニはそれを横へ受け流した。


 軌道の逸れたツキニエは、ロマニの耳元すれすれを空振り、後方の海へと着弾した。


「こいつはやべえなぁ…。連絡鈴を鳴らして、最初にこいつに貫かれた奴は浮かばれねえわ…」


 月贄ツキニエという名前は、特に連絡手段が重宝された夜の航海で、襲われる船員が多かったことから名づけられている。

 うかつに鈴を鳴らし、飛んできたツキニエに体を貫かれ海に持ってかれた人間は、体を貫かれたまま、海の中に連れてかれてしまうそうだ。


 そうやって攫われた人間は、魔物が拝める、魔物の神に貢物として捧げられる。そんな噂が、ツキニエという名前の不気味さを増させていた。


 そんな魔物は振り返ると、再びロマニの居る船目掛けて飛び込んできた。

 肌に螺旋状に並んで生えた器官を使いきりもみ回転を起こしながら突っ込んでくる。


 今度は手の先を向けるように義手を構える。そして、その義手に左手を添えながらツキニエに狙いを定めた。


「……今だ!」


 ロマニは左手で義手の側面に付いたスイッチを、『手の開閉』から『ワイヤー』に変更する。

 そして、右腕の二の腕の筋肉に力を込めた。


 カチッと音が鳴り、義手の中指が開き、先端に銛を備えたワイヤーが射出された。


 肉に先端のアンカーが刺さる音。それと同時に、避けたロマニの肩をツキニエが掠めた。


 後方の海へと落ちるツキニエ。それと同時に、ロマニの義手から伸びたワイヤーがピンと張った。


「当たり!」


 ロマニは引っ張られるままに海に落ちる。そして、ワイヤーを巻きとり、ツキニエの元へとたどり着く。

 狙い通りだ。ロマニはツキニエの首元に腕を回し、しっかりと捕えた。


「捕まえたっ!!」


 ロマニが抑え込むと、ツキニエは離せとばかりに大きく体をひねり大暴れし始めた。


 ツキニエはその鋭いくちばしを刺そうとばかりに首を右へ左へと振り回すが、首根っこを押さえたロマニには、どう暴れようとも当たることは無かった。


 このチャンスを逃しはしない。


 ロマニは腰に下げていた短刀を取り出すと、ツキニエの首根っこに力一杯刺し込んだ。


 刺した途端、ツキニエの全身はびくんと跳ね、その命の最後の抵抗を見せつけた。水面に叩きつけようと激しく飛び回り胴を叩きつけたりもすれば、体の螺旋鱗を羽ばたかせて、垂直跳びからのきりもみ回転でロマニを吹き飛ばそうとする。


 しかし、どれだけ暴れてもロマニは手を離さなかった。


 やがて海上はうっすらと赤く染まり、ツキニエは暴れることもやめ、水面にぷかりと浮き、動かなくなった。


「ふぅ……」


 ロマニはツキニエから手を離すと、ツキニエがしっかりと死んでいることを確かめ、元の小舟へと上がった。


 ロマニの目的だった魔物、ツキニエを無事に取ることに成功した。後は、陸に持ち帰ってこのツキニエを捌くのみだった。


「と、危ない危ない」


 ツキニエと小舟をロープで結んでいるところで、ロマニは最後にするべきことを忘れてた事に気が付き、急ぎポーチから小瓶をいくつか取り出した。


 詰められた小瓶の中には、リュウセ島内陸の土を固めた小玉が入っていた。

 ロマニはその土くれを取り出すと、海に向かって放り投げる。


 沈んだ小玉は淡く光り、そこから波紋状に眩い光を広げた。


 その波紋の広がる先を見ると、血の匂いに惹かれてきていたのか、いくつか海の中に見えた魔物の影が、波紋から逃げるように遠くへと去り、姿を消していった。


「竜の力には勝てないもんなんだねぇ…」


 自分が何気なく、いつも生活している土のほんの一部だけで、この効果だ。


 ロマニは改めて竜の加護というものが、とても強いものだと思い知りつつ、リュウセ島の浜辺と船をこぎ出した。


 小舟は、その先で動かなくなったツキニエを、しっかりと引きずっていた。

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