3.漁師の子ロマニ
船の最後尾に、ロープで今しがた仕留めた魔物を縛り引っ張ったまま、ロマニは島の外れの砂浜へと到着した。
ロマニが簡素に作り上げた桟橋に乗り、船を桟橋に紐つけて、魔物を砂浜まで引き上げる。
ここは、リュウセ島。
列島の中でも、最北端の火山島とは真反対、最南端に当たる小さな島国だ。
少なからずも数百人は住む、一応国と名乗っているこの島は、海から続く坂に煉瓦造りの街並みを造っており、人々は主に漁業、残りの少々は大体林業で生活している。
交易における、資源の産出国であった。
人々の生活圏は島のおよそ2割。
残りの土地は、坂の上の長老邸を最後に、その背に半円状の巨大な窪みのような立地で、龍の森と名付けられた森が広がっていた。
龍の森とは、この島だけでなく、列島全域に広がっている地龍信仰において謂れのある土地として、その名前を付けられた場所である。
かつて、島国にやって来た人々が、海から襲いかかってきた魔物に追い込まれたとき。今では神と崇められる龍が最初に降臨したのが、この森であったという。
龍はその破壊力をもってして降臨の際にこの地をえぐり、今の森の形にしたという。
これだけを聞くと、龍とは恐ろしいもののように思えるが、龍はその後、この地から各島の人間を観察するように飛翔した。
やがて最北端の島にたどり着くと、そこに火山を作り、全ての島に陸地の隆起と魔物祓いの加護を授けたという。
それが、この森が地龍信仰に関わってる物語であり──島々の人達が信じる、地龍信仰そのものだった。
だがその信仰が、最初の悲劇をも連れてきた。
そんな有難い御業を授けた龍の最初の土地だったこともあり、国家民間問わず、神である龍の再臨を願って、リュウセ島に大勢の人間が流れ込んできたのだ。
それは、リュウセ島そのものの自治権の崩壊をも招きかねない厄災となった。
騒乱は、当時の村長が各国家と龍の降臨時の伝達を取り決めたことで、ひとまずの騒ぎを収めた。
それはロマニがが誕生した年──幼子を遺し、実の両親が命を落とした年でもあった。
その事を思い出し、ロマニはその頃物心はついてなかったものの、随分傲慢な話だと思った。
勝手に騒いで、勝手に暴れてくれた人間達の為に、こっちが約束しなくちゃいけないんだ。
そんだけ節操がないのなら、本当に龍が降臨したとして、その情報を受け取った人たちがまともに龍を扱えるのか。
ロマニは苛立たしげに、引く紐に力をこめる。
言葉伝いに聞いた、狂乱した別の島の人々の姿を思い浮かべると、どうも想像できなかった。
「……でもなぁ」
ロマニは不満を思いつつも、小さく言葉を漏らす。
龍の居場所を知りたいとせがむ人たちのように、自分自身もまた、外の世界を知りたいとせがんでいるのだという事を思い出した。
島に押しかけて来た人達の事は好きになれない。しかし、それぞれが暮らす、それぞれの島に広がる世界は、ロマニが夢を見る世界であった。
「俺も、外に行けるんだったら、知りたいってせがむ人たちと同じように、どこまでも踏み込んじまうかもしれないなっ」
自分自身の性への自虐を込めつつ、ロマニは狩ったツキニエを浜に持ち上げた。
さて、後はこの魔物を家に持ち帰り、そこで必要な素材をはぎ取ってから、いつもの所へ行こう。
そう思いツキニエを担いだのだが、ふとその時、ロマニは自分以外の足音を耳にした。
「……げっ」
ロマニが見た方から、ショウコウがやってきた。
「親父、意外と早かったな」
「お前な……父さんとの約束忘れたか? もう、一人で狩りに行くなと。魔物の危険さを分かっているのか?」
「もーそれ何歳の頃最初に言ったよ親父! 14歳のれっきとした男に、それ言う!?」
「何度でも言う。お前は戦いより、島内で工芸している方が合っている」
「はは、あっはー。漁師の元締めがなんてこと言うのさ……」
ロマニは項垂れ、ため息をつく。
ロマニ自身、何度も海の外が見たくて、漁師になりたいと父親に懇願し続けてきた。しかし、当のショウコウは、ロマニの片腕が義手である事を憂慮してなのか、ずっと島内での仕事にしろと言い続ける。
仕方ないから、自分の手で魔物を狩り、その強さを示そうとしているが。この通りツキニエを担いだ姿を見ても、ショウコウは漁師ではなく工芸師か何かを選べとの一点張りだった。
「同年代の漁師の子は、みんな10を過ぎたら徐々に海に慣れさせられてたじゃん。それなのに、うちだけずっと海に出させないで、やれ網の縫合だ、やれ魚の料理だって……漁師のリーダーが、自分の子は断固として外に出したくないのは、どうして?」
「それは……」
ロマニの問いに、ショウコウは答えられなかった。
決まってこうであった。ショウコウは、リュウセ島きっての漁師のリーダーなのだが、決して気象の荒い乱暴者みたいな、親方気質の性格はしていない。
いつもデリケートな話題で言葉を選ぶように、口ごもる事が多かった。
そんな父親を、ロマニは嫌いなわけではない。でも、自分の外の世界を船に乗って見て回りたいという願いに対しては特に、口ごもってしまうものだから。一番の悩みの種でもあった。
「……分かった。ごめんなさい父さん。仕事ほっぽり出して、自分の事やっちゃってて」
言葉ではきりが無い。口ごもった父を見て思ったロマニは、自分の不備を謝った。
「ん、いや。分かればいい」
ロマニの言葉に、ショウコウは話の切り口を見つけたらしく、温和に頷いた。
「さあ、港に行くぞ。そのツキニエも……まあ、一緒に解体していい」
「おっけ。行こう行こう」
ロマニは軽い相づちを打つと、二人でツキニエを担ぎ、港へ歩き出した。
「……」
ロマニは浜辺を歩きながら、横を歩く父、ショウコウの顔を見る。
焼けた肌にしっかりとしたがたい。そして、肌の所々には、海での漁場を開拓する為に試行錯誤であれこれと試していった中で、何度も魔物に負わされた傷の跡。
言動とは別に、それはまさに、海の男の姿そのものだった。
ロマニはリュウセ島の未来の為と、ここ十数年の魔物激化を辿る島全体の中で戦い続けた父の背中が好きだった。
自分は、ショウコウの実の子供では無い。それでも、誰かの為にと言って、人々の生活できる土台を開いていった父の姿は大好きだった。
だからこそ、この所の父の行動が、ロマニは苦手だった。
父、ショウコウの勇敢さは、ショウコウただ一人だけのものだった。
人とその苦難を分け合う事はあまりなく、数少ない漁師の者とだけ分け合う。自分は、その苦悩を分け合う仲に入れてもらえなかった。
このままじゃだめだ。父に憧れているのに、父の跡をついていくだけじゃ、自分は島から出ることもできない。
父の背中も、実の両親の背中も、どちらも追う事もできない。
「……絶対、外に行かせてもらうからな」
ロマニは父に聞こえないぐらいで、父に宣誓をかけた。
◇ ◇ ◇
いまだ変わらない作業の盛り上がりの真っただ中、ロマニはショウコウに連れられやってきた。
「お、ロマニ。頭に捕まったみたいだな」
「別に逃げてないよ、俺は俺で漁をしてたんさ」
「! それをか?」
担いでたせいで、よく分からない太タオルに見えていたツキニエをロマニが前に持ち直すと、漁師は懐疑の声でロマニを見た。
「そうだよ。俺が一人で、取って来た」
「すげえじゃねえか! ツキニエなんて、漁場を再開拓し始めたころは、度々突っ込んできて、死人が出てたんだぞ!」
近場で魚を木箱に詰めて整理していた漁師たちも、驚く声に惹かれて顔を上げると、皆それぞれが口々に感嘆の声をあげる。
「なにが凄いもんだ。知らんところで一人で? そんな危ないもんと勝手にやりあってた事知ったこっちは、心臓が冷えたもんだ」
ショウコウがむすっとした声で、ロマニを咎める。
「俺も海の男って事だ」
ロマニは軽口をついて、勝ち誇った声を語る。
その声に、周りの漁師たちも笑った。
「ま、仕事手伝わなくてごめん。俺も今から入るよ」
ロマニはそう言うと、漁師たちの港作業に入った。
大量の魚が入った木箱を船から降ろしたり。一つ一つを取り出して、その鮮度を確かめる。
漁師たちは、その魚たちの目や肌の様子から質の良し悪しを確かめる。
分別した魚たちは、それぞれ別枠で解体、又は鮮度の落ちない内に商人の手に渡り、運搬されていく。
ロマニはその分別をある程度手伝うと、解体場の休憩に伴い、空き員の埋め合わせの為にそちらへ就いた。
解体場では、魚たちの頭を切り落とし、内臓を落としていく。
この作業はとても強烈なにおいを伴うもので、今朝方の出航からとったばかりの魚たちといえど、鼻に就くほどの生臭さを伴っていた。
この作業は、港仕事の中では、特に過酷さを極めるものであった。なにせ、その生臭すぎる匂いというものは、一過性のものなんかでは無い。エプロンに手袋を装着していようと、その匂いは服そのものに定着し、選択しようが、服となによりも肉体そのものからなかなか抜け落ちない。
この匂いが、当然のものであると脳が自覚するようになるのも、漁師の最初の一歩の一つなのだ。
「うげぇ、やっぱすげえ匂いだわこれ……」
「うわ、言うなよ。言うと意識しちまうだろうが…!」
テーブルにて魚を解体し続ける横で、ロマニと同年代ぐらいの新米漁師たちが、その匂いに苦悩を打ち明けていた。
彼らは口では色々言って悩みを言っているが、ロマニにとっては、その姿もまた羨ましかった。
その職に就き勤めていることと、まだスタートに就けていないということには、とても大きな差がある。
ロマニ自身、ショウコウからずっと港仕事の方に就かされ、解体を始めとした作業に従事していたから、この匂いにも、繰り返す魚の解体も、目の前の新米漁師たちよりも、プロらしくなっている。
けれど、彼らはロマニの知らない海を知っている。
知らない世界を知っている相手というのは、それだけでロマニにとって憧れの対象であった。
「なあ、お前ら。外の島に寄港したことって─」
そう、ロマニが尋ねようとした時だった。
カンッと乾いた金属の金が鳴り響く。交代の合図だ。
休憩に行っていた作業員達が帰ってきて、それに合わせて隣で作業をしていた新米漁師たちは、交代で休憩に向かってしまった。
惜しい。もうちょっとで話を聞けたのに。
ロマニは引き続き解体の作業に入ろうとするが、その前に、去っていく新米漁師たちの背中を見て、ロマニはぼんやりと考えた。
「……何が、足りないんだろうなぁ」
自分が漁師として海へ出ることも、外の島へ行くことも、親父が許してくれないのには、理由があるはずだ。
最も行かせない理由として考えられるのは、実力不足だ。
足りない。欠けている。親父の口からは教えてもらえない何かが、彼らと自分自身の間にあるからこそ、ロマニはいつまでたってもこのリュウセ島から出られないのだろうか。
そんな事を想像する。
一人で魔物だって倒せる。港での作業だって、こうして淡々とできるぐらい慣れてきた。それでも、まだまだ親父は認めてくれない。親父は外へ行かせてくれない。
では、何が自分に欠けている?
「……まさか。この腕?」
ロマニは、義手となっている自分の右腕を見た。
握る、離すも出来る。備え付ける部品によっては、道具の用途も備えられる。
なのに、父にとって片腕が無いという事は、それだけで危ない事を夢見る事を許せないぐらい不安になるのだろうか?
「……そりゃないだろ、親父……」
こんなに悩むのなら、早く外に行かせてくれない理由を、喋ってほしい。
でも、今まで尋ねた記憶の中でも。自分の心の内で思い描く父の姿も。どれも、ロマニに本当の理由を教えてはくれなかった。
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