4.薬屋の一人息子
それからも作業が続き。ロマニは第二解体場の方の作業も勤めてから、仕事をあがった。
第二解体場とは、港の施設の中でもつい最近建てられた、新設の施設である。
港の作業員たちは、仕事の空き具合によってあちこちの場を転々と移り変わり、その時々の作業に勤めるものなのだが。この第二解体場だけは違う。ここで作業をするのは、もうその日は別の作業に入らない予定の者だけだった。
解体するものは、魚でも貝でもない。魔物だ。
「ふぅ……これで、終わり」
ロマニは、第二解体場に併設された清め場から出て一息を着いた。
近年は漁をしていれば、海に来た人間を許さんとばかりに、魔物は漁船へ総攻撃を仕掛ける。そして、漁師たちも負けんとばかりに立ち向かえば、船側の被害と共に、魔物の死体もどんどん積み重なっていった。
最初期の頃は、そうやって討伐できた魔物たちの死体は、ただ邪魔な存在でしかなかったのだが。近年、新しい需要が生まれた。
それが、武器防具を初めとした素材産業であった。
様々な魔物は、その硬質さや、独特の性質を持ったものなどから、ただでさえ産出量の少ない鉱石を使うよりも出来上がる量も質も良い。
その為各島の国家は、自国の兵士の装備に魔物の素材を使う研究を発達させていった。
実際、ロマニが辺りを見回してみれば、各国の商人達に混ざり、国の行政官と思わしき厳格な服装をしたものが、兵士たちを連れて漁師と交渉をしている姿も見える。
魔物ぐらいなら、そのついてきている兵士が自国の近海で狩ればいいのに。とも思うが、そうもいかないのが現状だ。
「体は……大丈夫だよな」
そこまで思い返したところで、ロマニは自分の腕を動かしてみる。他にも、足を延ばしてみたり、ぴょんぴょんと軽く跳ねてみたりもする。
どこも異常は無い。問題は無い。
ちゃんと清め場で体に染みついていた瘴気は、浄化できている。
魔物というのは、それ自体に人の肉体を蝕む瘴気を持っていた。
瘴気は、即座に体を害しはしないが、瘴気の籠った物にそのまま近く居続けると、体に様々な病をもたらす。
だからこそ、各国は魔物の解体技術が拙い自国で、狩った魔物の遺体を島内に持ち帰り、研究の過程で疫病をまき散らすことを危惧し、なかなか技術が発展しなかった。
その点リュウセ島は、魔物を屈服させ支配する竜そのものの、最初の降臨地である龍の森を抱えていたからか、龍の加護も強く、瘴気の浄化技術が列島の中でも真っ先に発展した。
リュウセ島のような、魔物の瘴気を浄化しつつ解体する技術を確立できた、産業国に纏めて委託した方が得なのだった。
「買い取ってくれるのはありがたいが……その武器をこっちに向けないでくれよ」
ロマニはぽつりとつぶやく。
国それぞれが別々の島で国となっており、それに加えすぐ傍に別の国が多数もあることもあり、海を渡っての侵略行為は歴史を見ても殆どは無い。
ましてや、その海の間には、流通の困難さに直結する、大量の魔物たちが生息している。
竜の加護の弱まりに連れ、凶暴化しつつある魔物という存在は、幸か不幸か新たな土地の需要を生み出しつつも、その需要を抑え込む不便さを島同士の交通にもたらし、各国家の侵略を防ぐ天然の要塞となりつつもあった。
「ま、魔物の素材も悪いもんだけじゃ、無いよな」
ロマニはそう言ってうんうんと頷く。
物理的な脅威となっている魔物たちだが、その素材は瘴気をしっかりと取り除けば、なにも兵器に転じるだけじゃない。
ほかにもいい使い道をできる人が居るという事を、ロマニは知っていた。
ロマニはポーチから一つの小袋を取り出し、手元で遊ばせる。袋の中身は、先ほどのツキニエから解体した、螺旋鱗だ。
「待たせちゃったし、早くいかなくちゃ」
ロマニはそう言って、螺旋鱗の入った小袋を握り締めたまま、島の内陸の居住地へと向かった。
日はだんだんと傾き、夕方手前を迎え始めていた。
◇ ◇ ◇
港からまっすぐと続く、煉瓦造りの建物が並ぶ坂を、ロマニは駆け上がっていく。
居住区は港からまっすぐ一本道が続いていることもあってか、いくらかの作業員が休憩に近場の店にやってきている。これが日没を過ぎ、夜を迎えるにつれてどんどん増えていくだろう。
ロマニはいつもと変わらない平穏な街並みを横目に、目的の店にたどり着いた。
そこは平屋造りの横長の建物。看板には『ソワレ薬店』と書かれていた。
「ソワレおばさーん、来たよ」
ロマニはそう言って店の扉を開ける。
店内に入ってすぐのカウンターで、丸眼鏡をした壮年終わりごろの女性が、穏やかに手を振り返した。
「よく来たねロマニくん。息子なら店裏のいつもの部屋だよ」
「どうも」
ロマニはソワレおばさんに相づちを返すと、一礼をしてカウンター内に入り、店の裏手へ向かった。
カウンター裏から店員用の部屋に入ると、細かいラベルの付いた引き戸が大量に並んだ棚が、部屋の両面を埋め尽くした部屋に出た。
どれもが、ソワレおばさんとその息子が調剤した薬ばかりである。
リュウセ島において希少な唯一の薬店であるソワレ薬店は、村の人たちの体調を一手に担っていた。
暗記などできない気がする無数の棚の数々が、いくら数百人と言えど、別々に困った不調を抱えているだろう一人一人に対処する為に作られているのだと思うと、ロマニは途方もなさを覚え、そして関心した。
そして、ロマニは突き当りの調剤室と書かれた部屋の前で止まり、そっと戸を開け中に入った。
部屋の中は、一個前の整然と整えられた薬部屋とはうってかわり、天井には不可解な草や海藻、乾燥した肉か実の数々、逆に床はそこまでファイルする必要のない、雑多に書きなぐったメモ紙の散らばった、キテレツな鳥の巣のような空間になっていた。
その鳥の巣の奥に、一つの作業机がある。卓上に並ぶガラス瓶と、ロマニには分からない機材の数々を前にして、一人の少年が椅子に座りうんうんと唸っていた。
「やっぱり、代用が効かない……。魔物から取れる物の質は、普通の海藻や苔とかから取ったものなんかより、濃度が違いすぎる。だから魔物の素材を前提としたレシピだと、代用しようとするとバランスが取れなくなる。むしろ、壊れたバランスだと逆に服用者を危険な目に合わせちゃう……魔物由来は使わないで、一から作ってみようか? ……でも、それでできたものが、元のレシピの性能に匹敵しないと、元も子もないし……ああぁ、本当にどうしよう……」
ぶかぶかのロングコートを肩を動かすことで整えつつ、少年は自分の銀髪のちり毛をわしゃわしゃと掻き立て、テーブルに頭を俯かせていた。
その姿に、ロマニはいつも通りの様子だと思い、安心感を覚えた。
ちょっとお茶目た魔が刺さり、ロマニはそーっと足音を殺して少年に近づく。
そして、動かなくなった少年の両肩をぽんっと叩いた。
「プレトっ!」
「うわってゃぁっ!?」
突然の人の気配に、プレトと呼ばれた少年は勢いよく跳び上がった。
その拍子に手に持っていたらしいガラス瓶が宙を舞う。
ロマニは落ち着いて上体を起こすと、義手じゃない片手でガラス瓶を綺麗につかみ取った。
「やっほ。随分頑張ってんじゃん」
「ろ、ロマニ。びっくりさせないでよもぉ……物によっては、大変な事になるっていつも言ってるよね」
「ごめんごめん。でも、肩の力は抜けただろ」
「むう、まあ……」
プレトは少しむすっとしたまま、小さく頷く。
薬師見習いのプレト。
このソワレ薬店の一人息子であり、ロマニの幼少期からの幼馴染であった。
性格は内向的で、漁師か林業を志す者が多いこの島では珍しく、実家の店内で過ごし、日夜薬を調合したり、薬の勉学に励んでいる。
一方ロマニは、根っからの外向派で勝手に海に出て魔物と戦ったり、リュウセ島の木々を飛び交って野生の感覚を取り込もうとしたりと、あまりにも二人の間で、生活の域はかけ離れていた。
なのに、そんな中でお互いが、お互いに無いバイタリティというものをその姿に見ているらしく。ロマニもプレトもいつの間にか空いた時間に顔を見せに来ることの多い、離れ難い仲になっていた。
「こっちは港の作業も終わってさ、来たわけだけど……なに悩んでたんだ?」
「うん。前に話したこともあったけど、海上での滋養強壮をね」
プレトがそう言うと、ロマニはプレトが持っていたガラス瓶を未だに自分が持ってたことに思い出し、プレトに返す。
そして、プレトはガラス瓶をテーブルに戻すと、その代わりに横に開いた状態で置いていた、分厚い本を持ち、その開かれたページをロマニに見せた。
ロマニは何となしにそのページを覗く。そこには、荒くスケッチされた材料一覧を纏めた絵と共に、薬名と材料、その薬効が記されている──が、確かにそこにはロマニも使っている公用文字が記されているのに、材料一覧とその効能の合間合間に、それらが作用する理由と、判明の経緯等、分かりきれない数多の事が詳細に書かれている。
ロマニには大まかな概要と難解な捕捉が混じり、知らない概念を謳う魔術書のように見えてしまった。
「これは……すごいな、なんて書いてあるのかさっぱりだ」
「要は、航海中に海上で体調を崩しちゃう事への、予防薬だよ」
さっぱり分からなかったページの内容を、プレトはあっさりと一言に纏めてくれる。小心ながらか、決して奢る事もなくさっくりと押してくれることに、ロマニは申し訳ないながらも感謝を思った。
「昔の漁と比べると、ただでさえ漁に天候への疲れるのに、魔物までも出てくるじゃない? だから、疲労がたまりやすくて、体を壊す人も増えてきた。そんな人達への助けになると良いと思って、調合してるんだけど…」
プレトはそう言って、本のページに影を落とした。
「たぶん前にも言ったけど……これ一体、って絞った感じで魔物の素材が手に入ることは、すごい貴重でね。材料に書かれた魔物そのものは、なかなか手に入らないんだ」
「まあ、確かに。取った魔物は各国の商人が勝手に来て、各々使えそうな素材の目星つけて買ってくからなぁ」
「そう…。だから、僕でもできる範囲の事から始めよう。って思ったんだけど」
そう言って、プレトは首を振った。
ロマニは、それが先ほどのプレトが呟いていたことの答えなのだと分かった。無いものねだりでそこから先の物を生み出せなくては元も子も無い。所謂、魔法の杖というものを嫌い、地道に踏み出せる足場を探し、次から次に進んでいくのがプレトの在り方だった。
彼が進む道は正しい。しかし、その地道さゆえに島の人々にその調剤の成果を返すのが、上手くいかないことを苦しんでいるのが目に見えた。
──要は、既に見えている足場である以上。友人の為にその足場を引っ張ってくればいい。そう思い、ここ近日で計画していたサプライズが成功である事を、ロマニは確信した。
「……だいぶ大変みたいだな」
そう言うと、ロマニはここまで持ってきていた小袋を、プレトの作業机の上に置いた。
プレトは急に何も言われず渡され、何だろうときょとんとした様子で、ロマニを上目に見て首を傾げる。
「いったい……これって!」
プレトは、袋の中の、一見燻ぶったパイナップルの果肉片のように見えた素材に驚く。
急ぎ顔を上げ、ロマニの顔に、薬学書の挿絵とせわしなく目を向ける。
「ツキニエの螺旋鱗……探してた素材じゃないか!」
プレトは信じられないとばかりにロマニの顔を見上げた。
「ほら、前にぽろっとその本見せてもらったじゃないか。これとかあったら、船上でくたびれる奴も減るだろうなぁって……」
それは、もう一月ぐらい前の昼休みに一度だけ話した内容であった。
たった一回だけであったが、ロマニは夢を語るプレトが、すぐにその薬の再現に取り掛かるだろうと思っていた。
だからこそ、いつもの魔物狩りの日課を少しだけいじり、ツキニエ一匹に焦点を定め、今日まで引っ掛かるのを待っていたのだ。
「親父達が、獲物の狙いに魔物を入れないのもさ、ハッキリと決まった利点が見えてないからと思うんだよ。その薬作って、一度親父達に持たせたら……きっと、今度からツキニエ取りに行ってくれると思うぜ?」
ロマニはそう言って、ぽんとプレトの両肩に手を置く。
「完成すれば、きっとみんな喜ぶ! 応援してるぜ!」
「……ロマニ……」
プレトは言葉を続けるよりも先に、ぴょんっと席を立ちあがるとロマニを抱きしめた。
「うおっ」
「ありがとうロマニ。僕、頑張る!」
「──あ、あっはっは! その意気だ、大事に使えよ!」
ロマニはプレトの背中を軽く叩きつつ離れると、プレトの幼く暖かい笑みからそっと顔を逸らし、頬を手で仰いだ。
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