24.迫る魔物を前にして

 遠くの方で悲鳴が続き、竜の森へ向かえと号令が続いていた。


 その中、プレトは、母であるソワレと共にソワレ薬店に残っていた。


「母さん、フシバエソウとテバレフグ、それにシロヤネズミの解毒剤詰めたよ」


「ありがとう。それと、殺菌した加護土かごど埋めの濡れ包帯も忘れないようにね」


「分かった!」


 母からの伝言も聞き、プレトは急ぎ今にもバランスの不安定さで倒れてしまいそうな、自分自身の重いリュックサックに濡れ包帯も詰める。


 本来だったら今頃は、ベラとロマニに諸々のお詫びを込めて、手当できる品と料理の差しいれをしに行っている所であった。

 しかし、一通りが揃いいざ出発しようと思った頃に、惨状の波がプレトの耳にも届いた。


「ねえ母さん、魔物が陸に上がるなんてそんな事あるの……?」


 事実起きているが、プレトは今の惨状がどこか現実でなく、自分の知らない世界の話のように思えて。母に尋ねた。


「私は経験したことないわね。でも実際上がってきて港を焼いている」


 ソワレは手を止めることなくリストにチェックを付けて、首を横に振る。


「けれど、こういう惨状は竜が降りてこなかった頃に予想として叫ばれて、みんな恐怖でおかしくなったものよ。加護は強く、この14年間持ちこたえただけで、いずれ来る日だったろうねぇ」


「……そう、か」


 母はそう言うが、母からしてみれば、この出来事は突然の予兆もなく訪れた災厄であろう。


 しかし、それでもソワレは一段と落ち着きするべきことをしていた。

 その姿は、まさに非常時に人を助ける薬師として、プレトが憧れる姿だった。

 だからこそ、母よりこうなる可能性があったかもしれないと考えられる余地があったプレトは、今ここで取り乱すわけにはいかなかった。


「一通り詰められたよ!」


 外の坂の町から、先刻よりも人の逃げろと言う悲鳴が減り、まばらに訝しむ人々のつぶやきだけが聞こえるようになったころ、一通りの薬を入れ終えてプレトは立ち上がった。


 内部に詰まっている薬は、漁師達の熟練に伴い使う回数が減り、使用期限が近付いたものを破棄して新規に作り直すことばかりが日課になっていた薬たち。魔物による外傷由来で起きた怪我、毒に対した薬ばかりであった。


 これらが、今から使われる可能性があるのか。そんな実感が、プレトの内でここが知らない土地であるかのような錯覚を覚えさせた。


「プレト、私たちは竜の森へ向かうわよ」


 母の言葉に頷く。


 必要な場所は港であることは間違いないのだが、それも薬師である自分たちが確かに生存し、手当てできることを保証できる場合のみだ。


 いつものように病人が居るその場に直接赴き、親身に手当てできる程自由な選択肢はこの場には無い。本当に手当ての必要な漁師たちが、戦火から遠ざかった竜の森に撤退できることを願い、待機するしかない。


「……ロマニ」


 リュックを背負い、店を出ようとしたところで、プレトはつい親しい友人の名を口にした。


 彼が最後に行くと言っていた場所は彼自身の家であった。だが、この惨状を迎えてしまった今では、彼が家に残っているであろうことも無いだろう。


 ましてや、ベラから何か知らない情報が出たりでもしてなければ、竜の森の方には居ないだろうと思った。


「ロマニ。お願いだから最低限自分自身の命は守ってくれよ。焼け跡から君を見つけたくはないからね……」


 プレトは自分の口からは珍しい強い語気を込めた言葉を漏らし、立ち上がった。


 こんな危険な事態の中でさえもロマニの事を考え続けていては、本当に自分は自分自身が思い描く役立たずそのものになってしまう。


 今度こそロマニに顔向けできない自分になり果てる事だけは、許せなかった。


「行こう、母さん」


「ええ」


 薬師として今は勤めを果たそうと、表に出た。


「くっ……あ、熱い」


 表に出ると、普段はは冷えた空気で満たされているはずのリュウセ島は、いまや坂の下から這いずるように昇ってくる熱気に見舞われていた。


 思わず腕で顔を隠し、熱気の元である港の方に目を向ける。


 ──普段の当たり前の光景を思い出せなくなりそうで、プレトは見たことを後悔した。


 港が一つの火にくべられているかのようで、眩しくて仔細が分からない。それでいて、怒号も悲鳴も聞こえなくなっていて、ただ港のあらゆるものが燃えている事を示す、パチパチと燃える音だけが聞こえていた。


 それだけで終われば、まだ良かったとさえ言えるのかもしれなかった。


 その火を背に、真っ黒な斑点模様がくっきりとその姿を見せた。

 他より数倍大きな黒い塊を先頭に、真っ黒な点がいくつも坂を上ってきている。


 港の海から上陸してきた、魔物の群れであった。


「……手当てする人、居るよね?」


 思わず、ふつふつと沸いて出た疑問をプレトは口にしていた。


 前進してくる魔物の種類は、想像と反してただの一種のみ。


 シロヤネズミ、群れを成し、毒を振りまいて環境を死滅させる危険な魔物が、列を成してリュウセ島を今蹂躙せんと、行進してきていた。


「──母さん、早くっ!」


 プレトは張り詰めた声で叫び、母の手を引っ張って坂を駆けあがった。

 何故だ。何故あの魔物達が港を既に後にしている。


 プレトは考える、この状況にまで陥った最悪の状況を。


 シロヤネズミは、筋肉を一時的に麻痺させる類の毒を含む。この毒性を受けた物は呼吸が困難になり、行動することもできなくなる。


 そして、走りながらも改めて見直した限り、シロヤネズミ以外の魔物の姿は無い。逃げてくる人々の叫ぶ声の中には、他のいくつかの魔物の名前もあったはずだ。なのに、シロヤネズミだけが陸へ上がっている。


 つまりだ。最悪のシナリオは、シロヤネズミがなんらかの形で、自らそのものとも言えるその毒を港全体に拡散した。


 その結果、人は愚か、別種の魔物達でさえも、全部をその毒にかけ無力化した。それならば、他の魔物の姿さえも見えないのに納得がいく。


 自分の知っている、この島で戦える人々が、今プレト達が逃げている背にある港で、火から逃れるすべもなく燃やされているという事だ。


「──そんな……」


 唖然とその惨状に目を開く。


 それでも、プレトは走り続けた。

 憶測だ。それもプレトが立てた憶測に過ぎない。


 ロマニ程自分は緊急時の状況の判断が鋭いわけでない。鈍い自分が場に左右されて考え出したことに振り回されていては、自分どころか、母さえも危険に晒しかねない。


 今は、家を出たときの考えに従うべきだ。翻弄されるな。


 プレトは揺れて崩れそうな自分自身の心を奮い立たせ、逃げ続けた。


 シロヤネズミは今も坂を上り、二人に迫ってきている。惨劇において他人事のようにはいられない。逃げるのが遅れれば、まだ視認していない想像上の惨状と同じような犠牲者となるのは、プレトとソワレであった。


 背後で、鈍い射出音が響く。カシュ、カシュと軽快にリズム感を感じそうな音は、やがてその次に、ほぼ同じリズムで周囲の家屋を砕く音を荒々しく鳴り響かせた。


 僅かに残っていた人々の絶叫が重なる。走るプレトとソワレの横に、無数のトゲが刺さり、土埃を舞い上がらせる。


 ふと、背後で雷が破裂したかのような音が響いた。


「何……!?」


 プレトは走りながら振り返る。プレト達を追っていた魔物達が、小さいものから順に、その体表に雷のような光を走らせて、まるで拘束され、それからつまみ出されたかのように後方の空に投げ出された。


 初めてみる光景だ。だが、その一連の現象は地竜の加護なのだろうとプレトは思った。

 坂の下の方まで見て見れば、一定の間隔ごとに、小さいサイズのシロヤネズミから順に、坂を上る事も出来ずにうろうろと宙をふらついている様が見て取れた。


 加護はある程度の等間隔で強さが波状に広がっており、超えられる限界が来た魔物は、それ以上踏み込めないようだった。


「──でも」


 プレトはそこまで考えて、嫌な想像が頭をよぎる。


 今目の前で迫りくる、それこそ漁船に近い程の大きさを誇る親玉のシロヤネズミは、どのぐらいまでが限界地点になるのだろうか?


 この親玉が、竜の森を射程圏内に収めるよりも前に、加護に阻まれ静止する可能性はどのぐらいあるのだろうか?


 もし、竜の森自体を攻撃できるくらい、この怪物が内地に乗り込めるのなら、この先が安全とは限らなかった。


 ただでさえ走り続けで肺も心臓も痛い。なのに、逃げた先につくまでの時間が、もしかすると一番安全であったとなるかもしれない予感が、わずかに肺に残った空気でさえも留めておく余裕すらないとばかりに、自分の体外へ吐き出してしまっていた。


 ──それゆえだったのかもしれない。


「プレト!」


 その時が来て、ソワレが咄嗟に手を振り払ったことでプレトは気が付いた。


 逃げる二人の間に、親玉から撃たれた巨大なトゲが撃ち込まれ、二人を衝撃と共に分断してしまった。


「うあぁっ! がっ!」


 坂に顔を打ち付けて、プレトは顔を抑えもんどりを打つ。

 そして手から離れた母の事を思い出し、起き上がって坂の後方を見た。


「母さんっ!!」


 今も変わらず進行し続ける魔物達のその進行上に、ソワレは力なく倒れ、うめき声をあげていた。


 直撃は避けたらしい。しかし、背負っていた荷物の中身を辺り一帯にちりばめている。慣れない大荷物でバランスの取れないままに倒れ、体を手痛く打ったらしい。


 ソワレは起き上がろうにも、足腰をがくがくと震わせて、立てない有様だった。


「──駄目、危ないから早く行きなさい……」


「えっ……」


 呻く母が僅かながらに漏らした言葉は、逃げろと言う催促だった。


 プレトは思い出す。この島唯一の薬師である自分と母は、無くてはならない存在だ。

 ここでもし二人そろって消える事になるというのならば、それはつまり、この戦いで病気を患い苦しむ人々を皆まとめて見捨てるという事だ。


 最低でも一人は生き延びらねばならない。それが、戦いから離れてでも生き延びて助けねばならない、薬師としての責務だ。


 ──けれども、プレトは考えるまでもなかった。


「何してるの、プレト!」


 プレトは、魔物の先兵が息の根を止めようと近づきつつある母親に向かって、駆け出した。


 薬でいっぱいのリュックを乱暴に脱ぐと、それを力いっぱい魔物に振りかぶり空ぶった。魔物が僅かながらに後方に仰け反った。


「近寄るな! 母さんに手を出すな!」


 狂乱としながら叫び、プレトはリュックの中から瓶に詰まった薬品を、何の薬かもラベルさえ見ないまま、目の前の宙を浮かぶ魔物達に向かって投げつけた。


 いくつかは外れたが、そのうちに何個かが命中し、破裂した液体を浴びた魔物は、体から嫌なにおいとともに煙を噴き出し始めた。


 薬液を浴びたシロヤネズミ達は、驚いたのか痛がってるのか、でたらめな軌道で飛び回り、近場の崩れかけの家の壁にぶつかった。それらはずるずると壁に血の跡を垂らし、そのまま地面に落ちて動かなくなった。


「何してるの! 母さんの事はいいから、早く逃げなさい!」


「嫌だ!!」


 プレトは震えた自分自身の足腰に何とか立ち続けろと願いながら、目の前に立ち憚る大量のシロヤネズミ達に身を構える。


 ここで二人そろって死んだら、誰がみんなの手当てをする。正しさを持ったその問いに対しその通りだと頷ける程、プレトは切り替えの良い性格をしていなかった。


 プレトは、誰よりも自分の行動を客観視している自覚があった。しかし、自らの行動の不備をいつも見つけても、それで自分を正せない悪い癖を持っているのが、プレトであった。


 みんなを治せるよう自分一人だけでも生き残ることが、例え正しかったとしても。自分の母親を見捨てて逃げる自分の姿も、その後死んでしまった母を後から見つける自分の姿も。どれも絶対に受け入れられなかった。


 だから、力が無かろうと助けに戻った。


「立って母さん。諦める暇が有ったら、できるだけ逃げよう」


「……あんたって子は……」


 プレトの口からは、燃える家屋で熱されたわけでもない、震えた熱い息が出ている。それでもしっかりと母に手を伸ばし、立ち上がらせた。


 そんなプレトを、魔物達は自分らに仇なす敵だと認識したらしく、再び群れを成して近寄ってきた。


 4体近くのシロヤネズミが正面に躍り出て、表面のトゲを蠢かし、プレトに目掛けてトゲを向ける。


 プレトは魔物が自分に照準を向けたのに気が付くと、もう片方の手でカバンを開き、その中からすぐにシロヤネズミの毒に対する解毒薬を取り出した。

 これは、攻撃用じゃ無い。自らにトゲが刺されば、すぐに抜いて治療するための物だ。


「怖くない。怖くない……! 絶対に一人で逃げないぞ……!」


 プレトは母の前に立ちはばかり、構えた。その直後に、すぐにシロヤネズミ達からトゲがプレト目掛けて射出された。


◇ ◇ ◇


 次の瞬間。プレトは突然何かに抱き着かれ、目の前が真っ暗になった。


 それからすぐに、射出音と、金属にいくつかがぶつかり跳ね返った音が響く。そして、生身に何かが刺さる、くぐもった嫌な音も続いた。


 何が起こったんだ? プレトは咄嗟につむっていた目を恐る恐ると開ける。そして、何が起きたのかを理解した。


「! ロマニ!!」


 喉が枯れそうな絞った声がプレトの喉から出た。そこには、プレトとソワレの前に立ち憚り、プレトを抱きしめて庇ったロマニが居た。


 ロマニは自分の背中に腕を回し、義手でトゲを防いでいる。──が、トゲが一本、義手から外れて、右腕の生身の部分に刺さり、じわりと真っ赤な血を零していた。


「本当に良かった。間に合って……」


 痛みで辛そうに顔を崩すロマニであったが、それでもプレトの顔を見て、優しい笑みをこぼしていた。

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