23.ロマニの父

 港が燃える火の音と、誰かのうめき声だけが続くようになり、悲鳴が竜の森へと続く坂の方に移り変わった。


 しかしその悲鳴にロマニは意識が向かず、ただ呆然と、動かない父の前に膝をつき蹲っていた。


 ロマニは、ショウコウの全身に突き刺さったトゲを、一つ一つ義手の手で引き抜き、傍らに投げ捨て続ける。

 抜くたびに、ショウコウからはいくらかの血が噴き出す。それでも、毒があるトゲをいつまでも刺し続けてはいられなかった。


「ロマニ! 大変、火が近いのに、倒れて動けない人多い! ロマニもてつだ──えっ……」


 周りに見えた人たちを助けていたベラが、呼吸を荒くしロマニに助けを求めに来た。


 しかし、お願いしている途中でその光景に気が付き、ベラは言葉を続けられなかった。


 俯きながら、表情も分からないまま、ただ必死に自分の父を串刺しにしたトゲを引き抜き続ける。


 静かに続く鈍痛な惨状は、ベラが空の上から地上を見ていた時、数多に目に映る断片的な光景のなかでも、怖くてすぐに目を反らしてしまっていた悲しい出来事と、よく似ていた。


 それが目の前で、この二日優しくしてくれていたロマニが行っているという事に、辺りの音が一瞬聞こえなくなる程の衝撃を覚えた。


「……ロマニの、おじさん……」


「……」


 ロマニももはや、自らが次に何を喋ればいいかも分からなくなっていた。


 ただむごい姿のショウコウを前に、助けないとと形骸化した言葉だけが脳裏に反芻され続け、それだけが朽ち果てているかのような自分の体を動かした。


 やがて、一通りのトゲを抜き終える時が来た。


 繰り返す動作が終わりを迎えた次は、ロマニの目には、いくつも開いた出血だけが見えるようになった。


「……死んじゃう。血を止めないと……巻けるもの、包帯。そうだ、包帯だよ、何か血を止められるものを、早く……」


 重い足取りで立ち上がったロマニは、彼こそがまるで死人のようであった。


 ふらふらとした足取りで、無防備に火の向こうの崩れかけの建物だけを見て、火の中に進もうとする。それを見たベラは、急ぎ回り込んで立ち塞がった。


「ロマニ! だめ、もう燃えてるんだよ!? 死んじゃう!」


「見つけないと親父が死ぬんだ! 頼むから、邪魔しないでくれ!」


「落ち着いて! ロマニ、おかしくなる気持ち、分かる! でも、ロマニのおじさんもう──」


「何かすれば、助かるかもしれないでしょ!!」


 気が付けば、ロマニはベラの顔をまっすぐ睨みつけ、怒鳴っていた。


 初めてベラに向けて怒りをぶつけた。


 しかし、自分の睨んだ先にいるベラは、まっすぐとロマニの目を見返していた。優しく、ロマニを案じ見つめていた。


「……あっ……」


 その顔を見て、ロマニは僅かながらに理性を取り戻した。そして、力なくその場に項垂れた。


「……親父…………」


「ロマニ……」


 ロマニの心はまるでここに無いかのように、ただ死んだようにそこに動かなくなっていた。


 突然、意を決したように眉をひそめ頷くと、ベラは振り返り、ショウコウの元へと歩き出した。


「……ベラ……?」


「血を止めればいいんだよね」


 そう言って、ベラはショウコウの傍に膝をついて座り、その全身を一通り眺める。


「ロマニ悲しむの嫌だ。ロマニ失いたくない人、ベラも助けたい」


 ベラはそう言うと、自分の服の裾をめくり、片手を自分の口元に添える。


 そして、口の中を眩い光に満たすと、小さく息を吐いて。自分自身の手を焼いた。


「っ……」


 ベラの手は焼けないまでも、相応に痛いのか眉を潜める。


 炎の息に包まれたベラの手は辺りに濃い影を映し出すほど熱く照らされ、その火の中で、鋭い刃物のように伸びていた爪が、極限まで熱を帯びて真っ白に変色しだした。


「──許して。これ以上血を出さないために、出来るのはこのぐらい……」


 ベラは火を噴くのを止めると、熱さで震える手の爪を、猫の手のようにそろえ、ショウコウの胴体の出血部位に押し当てた。


 すぐに、人の皮膚が焦げる煙と匂いが漂いだした。そして、ショウコウの全身が反射反応で小さく痙攣をした。


 やがて数秒が経ち、ベラの手がどくと、ショウコウの胴体に空いていた穴一つが、火傷で出血が止まっていた。


「血が……」


 赤く吹き続けていた血が止まったのを見て、ロマニが目に光を取り戻し、ベラとショウコウの傍に駆け寄った。


「空の上から、何度か見た。これ、やってる人みんな痛くて辛そう。いいことなのか分からない。でも、これしかないから、やる」


 ベラはそう言って、黙々とショウコウの胴に空いた穴に熱した爪を押し当て、火傷を負わして止血していく。


 ベラはショウコウの肌に自分の手を押し当てるたび、ショウコウの肌から煙が湧きたつのを見ては目を逸らし、目をつむった。しかし、それでも血を止めようと、何度も顔を向けては、ショウコウの肌が焼けていく様を眺めた。


「……ありがとう、ベラ」


 ロマニは息を漏らすように言うと、はっと自分の義手に目がいった。


 すぐにワイヤーの射出口を開き、収納されているワイヤーを引き出した。


 そして、眺めに取り出したワイヤーを引っ張ると、ワイヤーの根元の方からショウコウの腕に巻きつけて血を止めにかかる。


「縛る物、必要なの?」


「ああ。胴体は難しいが、手足なら縛れば、血を止められる。ワイヤーで縛れば……」


 ロマニが幾分か顔に生気を取り戻しながら語るのを見ると、ベラは静かに首を横に振る。


「だめ。ロマニのワイヤーで縛ったら、誰が戦うの?」


 そう言って、ベラはロマニに塗ってもらった衣服をそっとめくり、その下にある自分のドレスの、花のように広がるフリルの付いた下部を指す。


「ベラの服、割けるぐらい長い。ロマニの服固そうだから、これで縛って」


「! 君の服だろう、俺の縫った服を使えば、それで──」


「破りたくない。それに、ベラの体の服なら、直る。やって」


「……すまない」


 ロマニはしばし考えた後。小さく頷いてベラのドレスの手を伸ばし、その端を千切った。


「いつっ……くぅ」


「……ありがとう、ベラ。これで……」


 ロマニは縦に割いたベラのドレスをまっすぐ張ると、ショウコウの手足に縛り、圧迫した。強く締めていくうちに、ショウコウの手足の出血もだいぶ収まってきた。


 ベラも、そのまま何度か自分の手を焼き、熱された爪でショウコウの胴体の出血を次々に止めていく。


 二人の荒々しいながらも必死の看病は、しばらく続いた。


「…………いぎっ」


 ふと、ロマニとベラが囲む中で、痛みに苦しむ男の声がした。


「! 親父!?」


「っつがぁ、あああぁぁああ!! い……ったぁあああ!!」


 突如、ショウコウが目を見開き、もんどりを打って暴れ出した。一か所、反対側まで貫通していた親玉のトゲの分の穴だけは、肩の裏側から血を噴き出していた。


「親父、生きてたのか!!」


 痛みで暴れるショウコウに、ロマニは正面から強く抱き着いた。


 今ばかりは子供であるように、良かったと言い続け泣きじゃくった。


「ロマニ!? 俺は……そうか、あの魔物共に負けたのか……」


「何が負けただ! 自分の命まで落としそうになったんだぞ、馬鹿親父! 生きる事ぐらい考えてくれよ、馬鹿……!」


「ロマニのおじさん、ちょっと我慢してね。ちょっと見逃せない、血が出てるから」


 ロマニに抱き着かれているショウコウの後ろから、ベラが再び熱した爪で、背中側に貫通している肩の傷を熱して焼いた。


「っぐうぅ!? ああぁぁがぁぁ……」


 突然の痛みに、顔をこれまで以上に歪めて歯をむき出しに痛むショウコウ。しかし、震える腕を動かし、そっと、抱き着いているロマニの背を、痙攣しながらも、優しく撫で返した。


「ひとまず血、止まったよ」


「どう、も……全く、お前ら二人、ずいぶん荒い手当の仕方したな」


「目が覚めたんだから、安いぐらいだよ……!」


「ああ、そうだな……ほんとすまなかった」


 ショウコウは、泣きじゃくるロマニをそっと胸に抱きよせ頭を撫でた。


 まるで、14年前の事のようだとショウコウは思った。


 あの海上の火災事件で、アランが死に、それからイリムも死んだあの日。ちょうどロマニのように、自分も辛すぎて泣いていたことを思い出した。


 失う事の辛さを、自分は誰よりも知っていたはずなのに。だから失わないように、今日まで必死にロマニを遠ざけてきたはずなのに。


 失う痛みを、そのロマニに味合わせかけたのだ。


「不甲斐ない親で、すまないな……」


 ショウコウは、そう静かに微笑んで言った。


◇ ◇ ◇


「頭ー!!」


 ふと、一人の漁師が3人の元に駆け寄って来た。

 ロマニ達が振り返ってみると。その男は、先ほどのシロヤネズミの攻撃から守った、漁師の3人のうちの1人だった。


「うっ、頭、ひでえ姿じゃないすか。早く、ちゃんとした設備で治療しないと。毒か感染病かで死んじまいますぜ」


「はは、そうかもな……ソワレにまた、面倒見てもらう事になるな」


 ショウコウはそう言うと、再び咳き込み体を揺らした。


 ロマニは急ぎ支えようとするが、そこで、ショウコウの腕や全身が、荒く痙攣していることに気が付いた。それは痛みから来るものだけではない。全身に撃ち込まれたトゲは、少なからずショウコウの体内に毒を浸透させ、全身を麻痺させていた。


 急ぎ、手当をしないといけない。ソワレ薬店に連れて行って、プレトにもお願いして、シロヤネズミの毒に対する解毒薬を処方してもらわなければ。


「! そうだ、あの大きな魔物が……プレト!!」


 ロマニはハッとして立ち上がる。焦燥とした顔持ちで坂の方へ眼を向ける。そこでは、もう坂の3分の1ほどの位置で、辺りを火の海にしながら進行するシロヤネズミの群れが見えた。


 戦いはまだ終わっていない。あの巨体に今の地竜の加護がどこまで効くかも分からない今、刻一刻と島のみんなや、プレトの命が危うくなっているのだ。


「でも、ロマニ。港の皆も、みんな毒にやられて火の中、助けないと……」


「うっ、確かにそうだ。だが……」


「……いや、二人とも、それは大丈夫だ」


 ショウコウがそう言い、未だ燃える海の方を眺めながら微笑む。ロマニとベラは、どういう事だろうかと思い、その視線の先を追った。


 そして、それがどういう意味かという事を理解した。


 視線の先では、今寄って来た漁師以外の、残りの2人が火の近くから人々を助けだしては、燃える建物の無い広間中央に連れ出していた。


「毒の周りが薄く、立てる奴が居たら手伝ってくれ! まだ立てない奴も多いんだ! 広間に全員集めろ! 生きてさえいれば、治療ができるんだ!!」


 漁師たちは呼びかけながら、人々を助けていく。ロマニ達の元に駆け寄った漁師も現場に戻っていき救助に入った。


 3人の救助の中でも、いくらかの人々はふら付いた足で立ち上がると、自分よりも動けない人々を探しに歩き出し、助けに入っていた。


「見えるか、ロマニ。お前らが助けたあの3人が、率先して皆を助けにいっている。彼らを見て、他のみんなも、少しずつ周りを助けようと、立ち上がりだしている」


 ショウコウはロマニの顔を見て、そっとほほ笑んだ。


「お前は向こう見ずだが、優しい子だ。お前がやったことは、決して間違いなんかじゃない」


「親父……」


 ロマニは、ショウコウの姿を見る。その全身は、今にも何かしらの要因で力尽きてしまいそうなのに。それでもロマニの事を見て、強い意志を返していた。


「俺は、お前の事をずっと守っている気持ちでいた。お前を二人から託されたのは、お前だけでも恐ろしい事から離れ、無事ていてほしいからだと、俺は思った」


 だが、お前は自分から立ち上がり、立派になった。ショウコウはそう言葉を続けた。


「……ありがとう」


 ロマニはほほ笑むショウコウに、柔らかな笑みを向け、ゆっくりと立ち上がり坂の方を向いた。


「プレトやみんなを助けにいく。親父たちも、無事でいて」


「ああ、行ってこい」


 ロマニは力強く頷くと、ベラと共に港の外へと駆け出して行った。今、自分が最も助けるべきだと思う方向へ、走り出した。


 走っていくその先には、真っ黒な地上の暗い月、シロヤネズミの群れの歪な後ろ姿が浮かんでいた。


「…………はあ、ほんと、まいった……」


 ショウコウはロマニとベラが走っていく後ろ姿を眺めると、動けないからだを大の字に放って、星空に目を向けた。


 ああ、自分のこの14年間は、自分自身が全てを背負うための14年間ではなかったのだな。寂しく思いながら、ショウコウはそう考えた。


 アラン、イリム。あの二人の人生は、


 だから、あの日から変わらず、信仰の対象である筈の地竜を、自分はどこかずっと憎んでいた。


 そんな地竜が、今はロマニと共に肩を並べて、目の前の災厄に立ち向かっていった。


「イリム。お前のお願いは、こんな形でよかっただろうか?」


 もうイリムは、ショウコウに声を掛けない。


 でも、ショウコウには『そうだ。私のロマニを守ってくれて、ありがとうね』そう言ってくれたような気がした。


 ショウコウの安堵の息は、燃え続ける火の中に静かに吸い込まれて、空に昇って行った。

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