9.ハローアイランド
室内の騒ぎも収まり、ロマニが渋々と燃やされてしまったベッドを処分したところで、二人は並んで夕食を再開した。
ベラと名乗った竜の少女は、恐る恐ると言った様子で目の前の皿を見る。
そして、口を近づけ喰らおうとしたところでロマニがそれを止め、スプーンを手渡した。
「あっ」
しかし、持ったスプーンをベラはあっという間にへし折ってしまった。
「っと。あまり力を入れすぎちゃいけないよ。はい、今度はもっと優しく。握って、手首を振っても落ちないぐらいで十分だから」
「振っても? ……このぐらい?」
ベラは渡された二本目のスプーンをふわっと掴むと、軽く手首を振り、スプーンが落ちない事を確かめる。
「そうそう、それでいい。さあ、召し上がれ」
ロマニが小さく拍手をすると、ベラはこくりと頷き、とてもゆっくりとした、そろーっという動きで、皿からシチューを掬い上げた。
そして、ぱくりとシチューを食べる。
「……!」
その直後、訝しむようにしかめていたベラの表情が、柔らかい顔つきに変わった。
翼を二、三回はばたかせ、尻尾を左右に振る。
その後もどんどんシチューを口に入れていくところを見る限り、どうやら料理を気に入ったらしいことがロマニも分かった。
「すごい。人間が何かを口に入れた時、顔が変わるのが分かった。これが美味しいってことなんだね」
「んっ、待ってくれ。それじゃあ君、今まで何か食べた事は無いのか? お腹とか空いたりは……」
「? ……お腹が空くって、何?」
「……はぁー……」
関心から来たのか、ロマニの口から勝手にため息が漏れた。
単に食事を食べるという事が。まるで他人の知らない行動を見た時の感想のような、他人行儀な話として、ベラの口からは語られた。たったそれだけで、この少女が全く異質な世界から来たことが思い知れた。
「どう説明すればいいかな……君のお腹の、くぼんでいるところ? そこあたりが中が空っぽでもやもやする感じが、空腹って言うんだ。ご飯を食べたいって言うのね?」
「くぼみ。なるほど」
ベラは頷き、納得したようだった。
言ってみた手前、竜というものにへそがあるのかと疑問にも思ったが、ベラが分かったのなら良いとロマニは思った。
さて、ここからが本題である。
ロマニはこの少女が何者で、どこから来たのかを今一度探る責任と言うものがあった。
地龍伝説の神様なら、いきなり人間を焼き殺そうとするとも、いまいち想像できない。その為、ロマニの内で緊張が込み上げていた。
「……」
ロマニはちらりとベラを見る。
ベラは変わらずシチューを美味しそうに食っているが、ふと横にスライスしたパンが置かれていることに気が付いたらしく。それを器用にもスプーンで掬って、ロマニの眼前に持ってきた。
「ロマニ。この塊なに? これも、口に運ぶ?」
「えっ、そうだけど……ああでも、それは手で持っていいんだよ。それに……持ったら、さっきのスプーンみたいに、シチューを付けてごらん」
「? うん」
きょとんとした様子で、ベラはパンを手で持ち、手首を振って力の加減を知る。
そして、パンでシチューを掬うと、ぱくりと口に運んだ。
「! ……んふぅ」
ベラはほんの微かに口を開き、今度は首も緩やかに左右に振り出した。
「美味しいか?」
「たぶん、そう。ロマニ、気に入った」
「うんうん、良かった良かった。君がそんなに喜んでくれるなら、俺も作って良かったよ」
ロマニはそう言いつつ、テーブルに頬杖をつきながら、ベラがおいしそうに食べるのを眺めた。
「…………」
あれ、何でこんなにほっこりしてるんだ?
駆けだしたはずの緊張が、目の前で美味しそうにご飯を食べているベラの投げ出した尻尾で、躓き転んでしまったような気分になった。
おかしいな。さっきこの子に殺されかけたはずなのに、この子と楽しそうにやっている自分が居ると、ロマニは思った。
……まあ、いいか。
ロマニは自分の緊張感の無さに少し戸惑いを見せたが、緊張を投げ捨てる事にした。
思えば、親父以外に料理を見せる機会なんてあまり無かった。誰だって頑張って作ったもんこんなに美味そうに食べてくれたら、悪い気はしないだろう。
ロマニはうんうんと自分自身で納得をした。
「さて……それで、ベラはいったいなんなの?」
「なに? って?」
「その、翼とか。どこから来たのか、とか」
きょとんと首を傾げていたベラだったが、少し考えた後で、パンを手に持ったまま席を立ちあがり、外に出ようとした。
「あ、外に出るなら裏から」
と、ロマニが軽く案内して、二人は家の裏から外に出る。
そして、ベラはパンをほおばりながら空に指を指した。
「雲の上から、来た」
そう言われて、ロマニはベラの指すままに空を眺めた。
雲の上。そんなところに、行った人なんて知らない。
人間が知らないだけで、雲の上に人間じゃない者達で築き上げた国があるのだろうか。ロマニはそう反芻し飲み込む。
「そんな所に国があるんだな……。それで、親から離れて、落っこちちゃったのか?」
ロマニは自分の想像を確かめるようにベラに問うが、ベラは静かに首を振った。
「ううん。誰も、いない」
「え?」
「眩しい雲の中で、私一人だった。お母さんはずっと昔にいなくなった。もう一人、来るはずだったけど。帰ってこないで、死んじゃった」
「…………」
想像を悪い方向に裏切る一言に、ロマニは一瞬固まった。
落ち着き、ベラの今の一言の意味を解いていく。
国というものは、空の上に無いらしい。そこに、ベラと一緒に、母親と、片割れ、つまり双子の姉妹か誰かが居たらしい。
で、親はずっと昔に死んじゃった。
それで、もう一人の片割れは、来るはずだったという事は、どこか別の場所で生まれたか、それとも行って帰ってくるかする予定だったらしい。
でも、その子も戻ってこずに死んでしまったそうだ。
つまり、そのベラが語る雲の上という世界には、
「ちょ、ちょっと待ってくれな。じゃあ、ベラ、君は……何年も、そこにたった一人で居たのか?」
ロマニのその問いに、こくりと頷いた。
「お母さんも、片割れも、一緒に過ごしたって言う時間はほとんどなかった」
ベラはそう言って星空は見上げる。
「それでも、時計だけはずっと動いてた」
「……」
「何年かは、分からない。でも、雲の一番下で、地上ずっと見えた。地上の、時計と言う装置、針が、何百回も、何千回も、数えれなくなるぐらい、ずっと回ってた」
ベラは空を眺めながら、ぼんやりとそう語る。
パンもとっくに喰い終えて、頬にパンくずを残したまま、ずっと星空を眺める。
その顔は、空の上が恋しいという表情を浮かべていない。
ただ、寂しくて嫌な思い出があったなと、辛い思い出を顧みるような、やるせなさを味わった表情だった。
「……」
ロマニはその横顔をしばらく見つめた。
その顔には、自分も覚えがあった。両親が死んだ先が海の向こうにあると思った時、こんな顔を自分もしていたと思う。
そう思うと、このベラと言う少女が、竜か人間かであることをよそに、放っておけないような気がした。
「……食後は、口を拭きな」
ロマニは少し室内に戻り、タオルを手に戻ってくると、ベラの口元を拭った。
ベラは、うんと小さく頷いてタオルを受け取り、自分で引き続き口を拭った。
「……辛いんだったら、話すのは少しずつでいい。突然落ちた地上で分からないことも多いだろう、色んなこと頼っていいからな」
もっと深く尋ねなきゃいけないのに、彼女の寂しそうな顔を見ていると、今日はそれ以上掘り下げるような気にはなれなかった。
「ありがとう。ロマニ、良い人」
「あはは、そりゃどうも。ほら、今日は君も突然ここに来たことで、困惑しているだろう、ゆっくり寝な」
「うん」
そう言って、ロマニはベラの手を引き、室内に戻った。
やっぱり、この子を人前に出すのは、この子自身の精神が不安だ。
──自分一人では、どこから手を付ければいいのかわからない。
そんな中、ある人のことを思い出した。
「……長老には打ち明けて、相談しようか」
竜を知れば、各島に伝えることを取り決めた長老。その人が思い浮かんだ。
その取り決めからして、一見は厳格なのだが……その実、長老はひょうきんな人だったことを、ロマニは覚えていた。
ベラを見せれば、一旦実行に移すよりも前に、相談に乗ってくれるかもしれない。
明日、長老に危機に行こう。
ロマニはそう決心し、その後の夜を過ごしていった。
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