10.竜と迎える朝

 一夜明け、ロマニは裁縫室で目を覚ますと、自分が裁縫器具を広げたテーブルにうつ伏せになったまま寝ていたことに気が付いた。


 14年間でロマニは様々な生産系の仕事に勤めていたが、漁の時期以外にやっている普段の仕事は、現在は仕立ての仕事だ。


 裁縫なんて自分の性分ではないと、日課のように染みついた今でもロマニは思う。しかし父が断固として自分を漁師にしないことが続いた日々の中で、父が陸地でできることをやってみないかと言って渡したのが、この仕立ての仕事だった。


 父は常日頃、ロマニが外に夢を見ず、リュウセ島内地に住むようにロマニ自身の夢が傾いていくれる事を願っているようで、事あるごとに生産業を教え込む。

 その度に島内のその道に詳しい職人を紹介し、仕事の補佐という形で働かせる。


 その過保護ぶりは、プレトに話した際に初めて異様だと気付かされた。


 外に出せと言えば服を一から作るようになり、外に出せと言えば料理を作ってみないかと日柄レシピの料理を作っては、酒場に行って調理の手伝いをする。


 毎回言われる度に、物静かに受け流すような紹介に憤りを口にし続けたのだが、何か作るたびに、誰かが喜んでくれるのが悪い気もしないで、惰性的に料理も裁縫もずっと続き、すっかり覚えてしまった。


 空から女の子が落ちてきて、その女の子に目覚め一発で殺されかけたところを、こうしてその彼女の為に、一式の衣装を徹夜で縫ってしまったのも、それゆえの性なのだろう。


 日が昇る寸前まで、ベラ用の追加の衣服一式を簡易的に縫っていたが、一通り終わったタイミングで、気絶するように眠ってしまったのだ。


 針は、落ちてないだろうか。と不安になって自分の身の回りや服を探ってみたが、裁縫箱内に入っていた針がいつもの本数と変わらないところを確かめ終えて、ひとまず安堵の息を漏らした。


 改めて思い返すと、昨日は一転して不思議な訪問者を迎えることとなった。


 ベラ。突如空から落ちてきた竜の少女。

 その存在は、ロマニ自身未知数の者であった。地竜に関する昔話に出てくる、竜の想像姿のどれとも乖離していることも考えると、特に熱心に信仰している人々の間でも、きっと未知数なのだと思う。


 竜と言う、魔物と同じく人と離れているにも関わらず、神聖さを兼ね備えた謂わば島々の神。

 昔話に書かれている竜は、作り上げた火山よりも大きく、今の竜の森のクレーターそのものにも、負けない大きさを誇ると記されていた。


 なのに、目の前に現れたその竜は、ほぼ人間の少女そのものであった。性格もまた、本に記された神様独特の高位な思想らしいものも見えない。むしろ今生まれたばかりで、見るもの全てが不思議で仕方がない、幼く好奇心旺盛な子供のようだった。


 これがもし、ベラ自身の口から、人間に高飛車に指示を送るような振る舞いが見られたら、むしろここまで困らなかっただろう。少なくともどうすればいいか、示す道が見えるのだから。


 実際はそんなこともなく、初めて見た人間に怯えたのか殺意を向けるわ、かと思えば素直にご飯を美味しいと言ってくれるわ。神様と話している気にはどうしてもなれなかった。


 それゆえに、ロマニはこの少女をいきなり人間の前に見せるのは、双方にとって危険だと判断した。


 長老にだけは見せるとしても、他の人に見られるわけにはいかない。

 ベラを守る為に必要なのが、昨日から縫い続け、日の出ぎりぎりに完成した物だ。


「喜んでくれるといいが」


 ロマニは、縫い終えた衣装を一つの箱に収めながら、小さく祈るようにつぶやいた。


 物心が付いたばかりの子が相手なのなら、自分はそれ相応にあの子を一人の人間として扱い、面倒を見よう。改めて決心した。


◇ ◇ ◇


 裁縫室内の掃除が一通り終わると、ロマニはキッチンで朝食の支度を始めた。


 本当なら、ベラにこの島の名産たる魚を、さっそく振る舞ってあげたいと思ったが。あいにく、現在家に魚は無い。いつ目を覚ますかも分からないベラを置いて、朝の買い出しには出られなかった。


 なので、ポテトをペーストにしてレタスで囲み、プチトマトを彩った簡易的なサラダに、コーンスープ。といったサイドメニューでまず彩を付けて、メインの朝食には、固いパンをスライスしたものにチーズ、干し肉、干物で保管してた以前の魚を砕いて散りばめた物を竈で軽くあぶり、なんちゃってピザにしてみた。


 横長の煉瓦造りの竈にピザを複数並べて、火を灯す。薄暗い内部が朝にふさわしい日の出のような明るさを見せながら、美味しそうな匂いを立ち籠らせした。


「ロマニ。ごはんつくってるの?」


「わっ!」


 段々と焦げ目がついていく様に浮かれていると、ふいに背後から抱きつかれた。


 自分の背丈より頭一つか加えて半分ぐらいに低い少女は、ベッドから音もなく抜け出て、ここまで気づくことなく忍び寄って抱き着いてきた。


「そ、そうだよ。調理中に飛びつくと危ないからな、座って待ってなさい」


「はーい」


 ベラは素直に答えると、昨日夕食を取ったテーブルに着いた。

 自分の事は信じてくれたらしいと安心しつつ、ちょうど匂いに、が付いたのを感じ、かまどから取り出して運び出した。


「ベラ、コップを取ってきてくれ」


「コップ?」


「向こう側に手を通すと、すり抜けて見える、液体を入れられそうな器だ。縦に長い」


 食器を入れている棚を指しつつ、軽くコップの概要を説明する。

 ベラは首を傾げつつ棚の方に向かうと、いくつかの木製の皿を床に落下させつつ、ロマニが説明した物、ガラス製のコップを持ってきた。


「これ?」


「そうそう、良くできたねぇ」


 自信満々に自分の頭の上に二つのコップを掲げたベラを見て、ロマニはつい顔をほころばせてベラの頭を撫でた。


 ベラは目をきゅっと閉じながら、尻尾を交互に振る。


 やっぱり、素直で可愛らしい子供にしか見えない。


 それから食事と器をテーブルに並べて、二人で一緒に食事を始めた。


 ベラはサラダもちゃんと食べてくれるのだが、味が美味しいと言って、取ったレタスの枚数に比べて明らかに多い量のペースト状のジャガイモを、レタスで巻き取る。おかげで、気が付くとレタスだけがサラダの皿に残り、ジャガイモが消滅していた。


 楽しそうに食べ続けるものだから、量の配分を見張ることが抜けてしまった。次からは配分も見ておこうと思いつつ、今度はなんちゃってピザをベラに進める。


「これ、フォーク?」


「違う、手。淵の色が濃い所をもって。上には触れないで」


 火傷しないよう教えつつ、ベラはピザを口に運んだ。


「…………ふへへ」


 息を漏らしながら笑ったからか、へんてこな声がベラの口から漏れた。


「ありがとう、ロマニ。すっごいおいしい」


 ふと、思ってなかったタイミングで、ベラの口から感謝の言葉が出た。

 そう言われると、少し照れる。ロマニは恥ずかしまぎれにベラの頭を撫で、よく噛んで食べるんだぞ、と言葉を送った。


◇ ◇ ◇


 ごちそうさまでした。二人で手を合わせて食事の終わりを迎えた。


「ベラ、これからの事なんだけど。まず長老様に君を会わせようと思う」


 ロマニはベラの汚れた口を拭いつつ、語った。


「長老様?」


「そう。君は、俺たち人間の間では、神様のような存在かもしれない。本当に君が竜か、長老様にも見てもらって、判断を乞うんだ」


「ベラは、竜だよ?」


 きょとんと、ベラは首を傾げる。


「俺たちの伝説上の竜かって事だよ。俺が知らないだけで、もっと竜が居るかもしれないし……」


 ロマニは少し頭を悩まし気に掻きつつ答える。


 ベラはなるほどと言って、ごくごくと水を飲みながら言葉を返した。

 彼女自身、今は元気そうにしているが。元をたどれば、知らない世界に自分でも理由が分からないまま、落ちてきたようなものだ。


 言わば、暗い洞窟の中で右も左も分からず、辺りからは自分の知らない生物たちの、意図も分からない鳴き声を聞き続けているようなものだ。それがまさに、昨日目覚め一番に起きた、剥き出しの敵意の訳だ。


「長老様は、竜が居なくなった時期に島の外も内もパニックになってたところに、他国から守る取り決めを考えてくれたんだ。その人なら、きっと君の空の上への帰り方を……教えて、くれる?」


 教えてくれる、とは言ったものの。ベラが本当に空の上に帰りたいのかは、少し分からなかった。


 なぜかと言えば、ベラ自身の口から語られた故郷。空の上と言うのは──


『何年かは、分からない。でも、雲の一番下で、地上ずっと見えた。地上の、時計と言う装置、針が、何百回も、何千回も、数えれなくなるぐらい、ずっと回ってた』


 まるで、看守さえも来なくなった牢獄の中で、ずっと目の前で垂れ続ける水滴を、じっと見つめ続けるような。静寂の地獄のような語りだった。


 でも、どのような流れになるにしろ。まずはこの子の事を特に知っていそうな長老に話を通すべきだ。だから話をそのまま続けた。


「……ねえ、ロマニ?」


「ん、なんだ」


「長老さまは、ロマニが信じれる人?」


「そうだよ。いつもみんなの事を思って動いてくれる、良い人だ」


「なら、安心」


 ベラは翼をはためかせ、安心したような笑みを浮かべた。


「はい。それじゃあ行く前に、これ」


 ロマニはベラの口の汚れをぬぐい終えると、部屋の隅に置いといた箱をベラに手渡す。


「?」


 ベラはきょとんとした様子でその箱を受け取ると、箱を開いた。

 そこには、ロマニが一晩掛けて縫い上げた衣服が詰まっていた。


 赤を基調としたふかふかのキャップ帽、翼を全部被し隠す程の肩掛け、尻尾を固定し止めることが出来る、背中側に尻尾の通し口のあるベルト。

 ベラが今着ている深紅調のお嬢様ドレスの上から着ても、一式整った衣服に見えるように作り上げた、竜の特徴を隠す追加衣装だ。


「わぁ……! これ、着ていいの?」


「ああ。今着かたを教えてあげる」


 ロマニはそう言って、ベラに衣服を着せてあげた。


 最後の仕上げに角を包み込むように帽子を被せると、ベラは嬉しそうに室内をぴょんぴょんと飛び跳ねて、窓際でくるりと回転した。


 広がる肩掛けは、下の淵でどこまで広がるか限度が決められているため、高所から飛び降りてめくれでもしない限りは、翼が露出しないことが見て取れた。

 実用性を知り安心しつつも、その笑顔ではしゃぎまわる姿を見て、ロマニは心の内がほっこりと暖かくなるのを感じた。


「気に入ったか?」


「うん! ロマニすごい、ありがとう!」


「ふふ、良かった。それじゃあ、行こうか」


「うん!」


 ロマニはポーチを取り身に着けると、玄関へと向かう。


 その後ろを、ベラはもはや当然と言った様子で、まるで親に付いてくる子供のように後を付いてき始めた。


 振りかえるとその姿が見えたロマニは、その光景に、何か心が動かされるものを感じた。


 動揺。そうなのだと思う。なんで自分はこの光景に動揺しているのだろうか?


「……ああ」


 少しの考えの後に、ロマニは自分が何に思い至ったのか納得がいった。


 これは、親子の光景だ。5歳か6歳の頃、物心がついて自分で外を歩くことも出来るようになってきた頃に、ロマニはよく、玄関で自分の事を待ってくれているショウコウの後を、こうやって追っていたのだった。


 それも最後は何時だっただろう。最近は、この家で親子そろって一緒に出ることも少なくなってきた。それ故に、遠い昔の暖かい思い出が、突然生き返ってきたかのようで、ロマニは動揺したのだった。


 自分を待ってくれた父親も、こんな暖かい気持ちだったのだろうか。


 無邪気に自分の事を追ってくれるベラの事を迎え入れつつ、ロマニは自分がかつての頃のショウコウと重なって、この空間に立っているのを感じた。


 扉を開くと、光が差し込んできた。

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