第一章最終回.旅立ち

 魔物の襲撃事件から二日後の事、プレトはソワレ薬店の調合室にて、休みなく薬を調合していた。

 今回起きた事件は、あのシロヤネズミの無差別攻撃もあり、貯め置きで想定していた量よりも、薬が必要になってしまった。

 その理由も一つとしてあり、プレトは休み時間も返上して薬を調合し続けている。

「プレト、そろそろお昼よ。母さんお前が頑張ってくれて大助かりだけど、休むのも大事よ?」

「は、はい。母さん。もう少し作ったら、お昼取るよ」

 休むとは言わない。部屋の中に入ってきて声を掛けた母に軽い相づちを返しながら、プレトはペースを落とすことなく薬を作り続けた。

 ソワレは、その姿をしばらく眺め続けた。

 薬の量は、既に今日一日必要な量はもう十分ある。プレトが作ろうとしている今の分は、使用期限が切れない範囲で、当分の間の分も作り切ろうとしているかのようであった。

 机の傍らを見て見れば、先日ショウコウと約束した、魔物成分由来の滋養強壮薬と、その調合方を纏めた新しい紙が置かれている。

 そこまで一通りを見て、やはり、想像していたことは間違いではなかったようだと、ソワレは納得がいった。

「……プレト」

「なに、母さん」

「お前、ロマニ君達についていくつもりだね?」

 その言葉で、ようやく止まる事を知らなかったプレトの手が止まった。

「な、なんでそんな」

「今回の治療だけなら、普段貯め置きの為に作る薬を、数日分も作る必要は無いわよ? ……言えないけど、離れるなんて申し訳なくて仕方が無いから、できるだけ作っておこう。っていうところかしら」

「……」

 その言葉に、プレトは言葉は言い返せなかった。

「──あ、あの! 母さん!」

 少しして、プレトはソワレの回答とは別の言葉を発そうと、席から立ちあがり振り返った。

 振り向いた先では、腕を組みながらもいつものような静かで穏やかな顔つきのソワレが居た。

「……ここ数日、あの竜の子、ベラちゃんが来てから。ロマニは何回も危ない事に進んで身を乗り出したんだ。正体の分からないベラちゃんを面倒見たり。明らかに差がありすぎる化け物に、戦いを挑んだり。……僕や母さんを助けるために、無茶をしたり」

 プレトの脳裏に、それらを実行した時のロマニの姿が浮かんだ。

 そして、それらの光景を思い浮かべるたびに。プレトは、自分の心の中で、何かが笹くれ立つのを感じた。

 不安、行かないでという懇願、血を流しているという動揺。……そして、なによりも。

「ロマニ、何度も傷ついていたのに。僕、戸惑うばかりで何もできなかった。無理やり止める事も、助ける事も、どっちも」

 プレトは強く拳を握り締める。

 たった一人の中で渦巻く感情の変化は、それが爆発し誰かに触れるその時まで、何も変わっていないことも同義だ。

 プレトは、昔からの友人が傷つく姿を見るたびに苦しみながら、それを抱え込み、変わらなかった。

 ──しかし、プレトは先日の夜の事件を境に、新しい事を知った。

「……僕、分かったんだ。自分の中で、それは嫌だって分かってるのに。何の行動も起こせず、彼の助けになる事も出来ない自分が居る事が、一番嫌だって。ロマニが無茶をやめないんなら、彼が無事でいられるよう、助けられる自分になりたい」

 プレトは今一度顔を上げて、母を見た。

「だから、僕、ロマニについていく。ロマニを失うのがどうしても嫌だって思うから、彼を助けられるようになる。その為についていく!」

 プレトはそう言って、母の目を見た。

 ソワレは、そんな息子のまっすぐな瞳を見て、一言だけ言葉を返した。

「お前が死んだら、母さんは死ぬほど後悔するわよ?」

 その言葉は、プレトの悩みをソワレ自身の視点でぶつけた一言だった。

「絶対に母さんを悲しませない。自分がされて嫌なことは、絶対に母さんに思わせないよ」

「──そう」

 そこまで言って、ソワレは小さく頷いた。

 ソワレは部屋を出て、薬とは別の物達を保管している倉庫に向かう。

 そして、部屋の隅で埃を被っていた大きな物を取ると、息子の居る調合室に戻った。

「はい、それじゃあこれ」

「えっ……これって」

 それは、とても大きなリュックサックであった。左右には薬を簡易的に止めることが出来るフックがいくつもあり、細かいものを多く入れることが出来る。

「母さんが、各島をまわっていた頃に使っていたものさ。壊れてはいないだろうから、出発までの間に、手入れだけしておきなさい。必要よね?」

「……うん、絶対にいる」

 プレトはリュックの傍にしゃがみつつ、その表面をそっと撫でながら答えた。

「ありがとう、母さん」

「いいわよ、お前さんの歳なら、冒険の一つや二つぐらい、するもんさ」

 そう言って、ソワレは部屋から去り、両脇にたくさんの薬が並ぶ、薬棚の部屋を歩いていった。

「……はぁ、調合室を出てすぐに薬棚を置いたのは、失敗だったかしら……」

 ソワレは鼻の付け根を抑えながら、じんと熱く燻ぶったものを堪えた。

 プレトはもう15歳。今まで、ほとんど誰とも付き合わず、一人静かに黙々と生き続けたプレトが、やっと願った事だ。自分の元から子供が離れるなんて、駄目だと叫びたい。怖くて仕方がない。

 でも、それは自分の息子の為にならないと、ソワレは思った。

 母が不安がると、それを分かったうえで、自分自身が変わりたい。そう言って旅立つのなら、送ってあげるべきだ。そう結論付けた。

 プレトは優しい子だ。母としてそう思っている。

 自分の気持ちの表現の仕方が下手で、願った事がどれも空回りしてしまう。それでも、人一倍に誰かを思い、心配する気持ちが強いのだ。

 どうか、プレトが自分に自信を持ち、強くなれますように。そして何よりも、無事で帰ってきますように。

 そう祈って、ソワレは表のカウンターに静かに腰かけた。


 次の日、日が昇り切っておらず、澄んだ空が広がっていた。

 空気は夏だというのに涼しく、波はいつもと変わらずに穏やかに揺らいでいる。

 リュウセ島の港、その端で、ロマニとベラは船に乗っていた。乗った二人を、ショウコウがソワレと長老に付き添われ、桟橋から見上げている。

「親父、それじゃあ行ってくるね」

「ああ、気を付けていけ。忘れ物は無いか?」

「なにも。家の畑とかは、近所の人に最後のお世話をお願いした。他の荷物も……うん、一通り」

 ロマニは島と船を見渡し、頷いた。

 船は、少しだけ桟橋よりも高い、それなりに大きい船を頂いた。

 人数人で海の上の生活をするには十分な大きさがあり、荷物を置いても、生活ができる余裕があった。

「ねえ、ロマニのお父さんに、プレトのお母さん」

 ベラが、船から身を乗り出し、港で見上げているショウコウたちを見る。

「ベラ。火山の島に絶対に行くね。いなくなっちゃったお母さんや、片割れの跡、継ぐ」

「……ああ、それでいい。お前が無事竜として力を取り戻せたら。俺たちも助かる」

「ならよかった。ロマニも、守るよ」

 ベラは、そう言って頷く。

「……僕も、二人に後れを取らないように、頑張るよ」

 ふと、船の中から声がした。

 ロマニを始めとして、ソワレを除いた全員が誰の声かとあたりを見回す。

 すると、船の室内へと続く扉が開き、中から、大きなリュックサックを背負ったプレトが出てきた。

「プレト!?」

 ロマニは驚き声をあげる。

 船上にプレトが居ると聞き、ショウコウと長老が驚いた顔を見せ、ソワレに振り返った。

「ええ、大丈夫ですよ。うちのプレトは、ああ見えてしっかり者ですから、あはは」

 ソワレは、穏やかに笑い返す。

「はは、おはよう。ロマニ」

「お、お前……別れになるからって、時間ギリギリまで探したのに、なんでこんなとこにいるんだ!?」

「船に乗る前に顔合わせたら、おどおどしちゃう気がしてね。そんな情けない顔見せるぐらいなら、先に船に隠れてようかなって思ったんだ」

 戸惑うロマニを前に、プレトはそう言いながら微笑んだ。

「……ここに居るってことは、おまえ……」

「うん。そうだよ」

 プレトはロマニの前に立ち、リュックサックを整えて口を開いた。

「僕も連れてって、役立たずになんて、絶対にならない」

「……はは」 

 真剣に見つめるプレトであったが、ロマニはすぐに顔をほころばせると、プレトに近寄り、その背中をリュックサックの上からパンパンと叩いた。

「お前が役立たずとかだったら、俺は向こう見ずだよ。居てくれてすっげえ助かる!」

「! ロマニ……」

「ああ、むしろありがたいぐらいだよ」

 ロマニはそう言うと、義手の手を差し出した。

「よろしくな、プレト」

「……こちらこそ」

 そう言って、ロマニとプレトは握手を交わした。

 そう言って、船の影に隠れていたプレトが顔をのぞかせた。

「親父!」

 握手をし終えると、ロマニは船の手すりから身を乗り出し、ショウコウを見た。

 ショウコウは、声を掛けられ顔を上げる。

「……どうか、無事でいてな」

 それは、ロマニからショウコウへの、心配であった。

「……お前が言ってどうする。お互い、居なくなってはいけないものだろう」

 ショウコウは、息子のその言葉に笑い返した。

「──そうだね。それじゃあ、行ってくる!」

 その言葉を最後に、船は出航した。

 船に乗って島を離れ、遠ざかっていくロマニ、ベラ、プレト。

 それを見送る、ショウコウ、長老、ソワレ。

 互いに手を振り続け、やがてロマニの目には、慣れ親しんだリュウセ島の全貌が、全て目に収まり、水平線に沈んでいくのを見届けた。

 慣れ親しんだリュウセ島がある方角は、慣れ親しんだ水平線が見えるようになっていった。


「……とうとう、外の世界か……」

 ぽつり、ロマニは船の船首からその先を眺め、ロマニは呟いた。

 この先には、魔物だけじゃない。ロマニの知らない、敵が待っている。

 竜渡しであるロマニ、そしてベラを狙う誰かと、何時か出会う。

「ロマニ。よろしくね」

 ベラが、横に来て並んだ。

「ああ、これから一緒に頑張ろうな」

 ロマニは優しくベラの頭を撫でる。

 すると、心地よいとばかりに、ベラは尻尾と翼をはためかせた。

「ロマニ」

 そして、プレトもロマニの横にやって来た並んだ。

「おう。プレトも、一緒に来るとはね。どういう心境?」

「……君が無茶ばかりをするからさ。手当できる人が必要だろう?」

「あはは、まあ、そうかもねぇ……ずっと手当てしてもらってた」

 ロマニはうんうんと頷く。

「でもさ……やっぱお前が来てくれて、俺凄い嬉しいよ」

「え?」

 ふと、ぽつりとつぶやいた言葉に、プレトは思わずロマニの顔を見た。

「俺一人だけじゃ、物の見方なんてちゃんと見えねえからさ。プレトってさ、俺が悩んだ時、いっつも違う物の見方アドバイスしてくれたじゃん」

「……そう、だったっけね」

「ああ。お前もこの間言ってただろう? それでこそ、お前らしいってさ」

 そう言って、ロマニはプレトの背を叩く。

「まだ先も分かんねえが、きっと楽しいことだって同じぐらいあるさ。3人で楽しくやろうぜ、頼りにしてるぜ!」

「……うん!」

「おー‼」

 ロマニの言葉に、プレトとベラは強く頷いた。

「……あ、そうだ」

「ん?」

「なんだったら、試しにこれ飲んでみる?」

 そう言って、プレトはコートの懐から、一つの瓶を取り出し、ロマニに差し出した。

「ありがと。これって?」

「ツキニエの滋養強壮剤だよ」

「ああぁ、これが⁉」

「この間の魔物上陸事件で、ツキニエまでも陸に上がって襲ってきてたからさ、材料も結構余って……航海の為に、作って来たんだ。どう?」

「それじゃあ、ありがたく」

 ロマニはそう言って、ガラス瓶を開けると、勢いよく飲み干す。

「──っぐ!?」

 瓶から口を離し、ロマニはむせ返り、顔を落とし体を強張らせた。

「ロマニ!?」

「……味、きつかった!?」

「……はは」

 しばし空になった瓶を震わせながら、ロマニは蹲っていた。しかし、それからすぐに笑い声を浮かべながら顔をあげた。

「体にジンと来る。二人のおかげで元気が出るぜ」

 そう言って、ロマニは二人の顔を見て笑い返した。

 日が昇り、海がきらきらと輝く中。3人の笑いあう笑顔が、入道雲を背にしてそこにあった。


地竜が見た島 第一章 完

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