29.家族を失った日の事
「14年前。俺はユレリカ島でお前を海上火災から救った」
ショウコウが静かに口を開き喋る。ロマニはその語りをすべて逃さないと、静かに聞き続ける。
静かに開かれた言葉の先には、ショウコウが長いこと誤魔化し、自分に聞かせなかった訳が待っているのだ。
「俺が島内でその火事の騒ぎを知った時は、もはや船は真っ二つに割れ、燃えていた。必死に助けに行った時には……お前の父に、もう一人の赤子もどこにもいなかった。お前の母と……彼女が、必死に抱き続けている、生きているかも分からないお前だけが居た。
俺は、崩れる船からお前と母を救い出した……だが、お前の母は、自分の命と引き換えにお前を守り、その命を落とした……」
「……うん」
ロマニは頷く。
そこまでは、ロマニもよく知っている。海上火災事件の事のあらましであった。
「俺のお父さんに、もう一人……俺の兄弟は、助からなかったんだよな。そして、俺だけが残ったって……」
「…………いや」
ショウコウは、ぎこちなく首を横に振るった。
「……え?」
「俺は、お前と一緒に居たもう一人の赤子を、お前の兄弟だって、言ったことは一度たりとも無い」
「……ちょ、ちょっと待ってくれよ。親父」
その言葉に、ロマニは全身が冷えるのを感じた。
ロマニは呼吸が空回りし普段の仕方を見失う中、自分を落ち着かせながら必死に思い返した。しかし、たしかに親父が海上火災で消えたもう一人の赤子を、自分の兄や弟、姉に妹と言った事なんて、一度たりとも無かった。
しかし、それは父が言いたくない事柄の範疇に含まれているものだと思っていた。どこか自分には兄弟がいて亡くなったように思っていた。
「じゃあ、父と一緒に死んだ、もう一人の赤子は、いったい誰なんだ!」
ロマニが問うた言葉に、ショウコウは包帯巻きの腕をそっと持ち上げ、指を指した。
ロマニは、父が差した指の先を目で追う。
目で追ったその先には──指を指され、きょとんとした顔をしたベラが立っていた。
「えっ、私?」
「いいや。……おまえの片割れ、14年前、本来降臨するはずだった竜の子だ」
「なっ……」
思わず、ロマニは声が詰まった。
「……私の、片割れ?」
ベラは小さく声を漏らし、呆然とした顔でショウコウが自分を指している指を見つめていた。
「俺の両親が死んだのと、竜が降臨しなかったことが、同じ年なのは偶然じゃなかったのか!?」
「ああ、そうだ。あの海上火災が、全ての始まりだった。……地竜の儀には、百年に一度に竜誕祭とは別に、内密の儀がある」
ショウコウは天井を見上げ、静かな室内に入り込んでくる陽の光を見る。陽が当たり舞う僅かな埃をぼんやりと見つめながら、続けた。
「竜の森の大樹の元で、百年に一度、先代の竜から次の代の竜の子を授かり、代々役目を担った者が、島の外に旅立つ。各島を渡り歩き、竜の子に人間の姿を見せていき、やがて火山の島に送り届けるんだ」
それが、ロマニの両親が島を出た訳。各島を見て回っていた訳だった。
「その儀と役職の名前を、
「竜渡し……」
「……お前の父アランは、代々竜渡しの家系だった。お前の父は、竜渡しだったんだよ」
竜渡し。
そんな役柄、ロマニは聞いたことがなかった。
「地竜というものは、百年に一度の祭礼の日に、最北端のリュウエイ火山に姿を現すわけじゃない──このリュウセ島に、人の赤子の姿で降りてきた竜に、地上の人々を見せながら、連れていく必要があるんだ」
「じゃあ……ベラは……」
「本来、お前の父に連れられた片割れが、火山から力を得て帰った後、竜の力を分け与えられ、空の上でその代の竜の補佐として覚醒する筈だった、双子の姉妹だ。……片割れが空に帰ってくることが無かったから、竜に覚醒することもできず、人の姿のまま成長していったんだ」
「…………」
「……だが、なんでそんな大事な行事が、島々の人達に知られていないんだ。神様が地上に降りて、島を渡って力を得るだなんて、それこそ国家行事だろう」
「さあねぇ……。ただ、竜渡しの家系と長老の家系だけが、代々秘密裏に行うことだけが、伝えられている。……きっと、無防備な赤子が、周知の事実として表に出されることは、危ういと考えられたのだろう」
そこまで言って、ショウコウは唇をかみしめた。
「──最も、そうしないといけないという事が、正しい事だと、その時になって思い知った」
「……まさか」
「そうだ、ロマニ。船は中央から真っ二つに爆発した跡があったんだ。
その言葉を語りながら、ショウコウは徐々に声を震わせた。
ロマニは思わず息を呑んだ。夏だというのに、白い息が出ているかのように見える、震えたショウコウの目から、一筋の涙が流れていた。
「アランにイリムは、事故で死んだわけじゃない。明らかに、誰かの手で殺されたんだ……!」
「っ……」
「いったい、どこの誰がやったのかは分からない。だが、あんな近海で、あれほどの火力を持って船を襲うなんて、程度の知れた賊とは思えない。国か、魔物か。地竜を害そうとした何者かによって、俺は、あの日二人を失ったんだ……!」
場が、耳鳴りがするほどの静けさを浮き出させた。
いや、確かに音はしているはずだった。事実、ショウコウのすすり泣く声だけは響いている。しかし、それ以外の音の全てが、全て遮断されたかのようだった。
悲しく小さく泣き続ける声だけが、耳に大きく響き。静かなはずなのに、頭の中で反響し続け、耳が痛くなるほどだった。
ロマニは、どう声を返せばいいのかわからなかった。
殺された。自分の両親が殺されたという、事実。自分の片腕が、誰かにもがれたという事実。悲しくも、仕方のない事だったのだと、自分自身に言い聞かせていた事柄が。今になって、明確な敵意となって、自分の中に舞い戻ってきたのだった。
「……じゃから、竜が降臨したら各国に報告するというのは、嘘じゃ。竜が知れれば、その何者かも引き寄せ、今度こそ地竜は潰えるからのう」
長老が、深刻な面持ちで、そう言葉を添えた。
「わしは、できるだけ嘘つきでいて、竜に人の毒牙がかかるのを、避ける気じゃ」
その言葉で、ロマニは現実に引き戻された。
「──だからか? だから、俺を島の外に出したくなかったのか?」
「……そうだ。竜渡しの家系の子孫が、お前だ。竜渡しというものがどこで漏れ、誰が二人を襲ったのかも分からない。──敵も見えない中で、お前は、命を狙われる可能性が大きかった」
だから、ショウコウは息子を隠した。
自分達の島で息子を育て、願わくば、ショウコウにとって大切だった二人のように、知らない誰かに、二度と傷つけられ、失わないように、遠ざけた。
「俺は怖かったんだ。お前がいつか、竜を見つけて、アランのように島の外へ出ていくかもしれないという事が。お前に降りかかるかもしれない恐怖を、俺が全部、背負いたかった……‼」
ショウコウは、包帯で巻かれ、膿がにじんで黄ばんでいる腕で、自分の目元を覆い慟哭した。
ロマニは、その姿が、あまりにも見てて辛かった。
今だからこそ分かる。親父は、誰よりもロマニの事を心配していたのだと。
誰かに親友を殺された、14年前のその日から。ショウコウは全てを抱え込み、一人孤独に戦い続けていたんだ。
誰が殺したのかを探し、竜はどこに再び現れるのかと探し、なぜ島の外に行くのかという事を、誰にも伝えられない。
そうして苦しみ続けるショウコウの背中を、ロマニはずっと見続けてきたのだ。その思いも知らず、どれだけ認めてもらいたくて強くなっても、認めてくれない相手として見ていた。
ロマニは、自分が愚かだったという事を今、思い知った。
その事実に放心としながらも、ロマニの目の前で、ショウコウはこらえきれない涙を流す。
──それだけ一人で苦しみ続けてきた男に、待っていた現実はどうだ?
地竜は、ショウコウではなく、正当な血筋のロマニの元に降り立った。
14年間も竜の森に周辺の海と、遠くの島まで探し続けた日々に釣り合わないほど、あっさりと自分ではなく、隠し通したかった息子の元に姿を見せた。
自分が大好きだった二人に代わり、跡を継ごうと願った竜渡しは。その始まりを前にして、全身を血まみれにし、動くこともできない姿でショウコウを静かで狭い部屋に閉じ込めてしまった。
あの日から始まったショウコウの苦しみは、14年もの時間を掛けて、始まることさえも許さず、ショウコウに、動けない姿で関われない脱落者として、ただ見送るだけの運命をつきつけた。
それは余りにも、一人の男を愚弄した報われない仕打ちだった。
「……親父」
ロマニは、父の悲しい姿をそこまで眺め。そして、自分がどうするべきなのかという事を、決めた。
ショウコウの手を力強く握った。
ショウコウは、自分の手が握られたことに気づき、腕をそっとどけ、もう片方の手を見た。
ロマニが、ベッドの傍らにしゃがみ、頭を垂れながらショウコウの手を両手で握っていた。
「……親父、本当に今までごめん。親父の苦しみを、俺は気が付かないで、ずっと過ごしていた」
そして、顔を上げる。
「でも、親父の人生が無駄だったなんて。そんなこと絶対に無い。俺が居る」
その顔は、ショウコウが今までで見たことが無い顔であった。
夢を見たくて、先に進むことを願い続ける、求める顔ではない。強くショウコウの目を見つめ、静かに誓う顔。一人の男の顔であった。
「俺を見てみろよ。料理ができて、裁縫ができて、魔物に立ち向かえる。今の俺ができたのは、果たして俺自身が見つけ出したことか? ……違う。親父が、ずっと俺のことを心配してくれて、幸せになってほしいって、色んなことを覚えられるように面倒を見てくれた結果だ!」
「……」
「今の俺ができてくれたのは、親父のおかげだ」
だから。そう言って、握る力を強め、ロマニは口に出す。
「俺、ベラを火山まで連れていく。地竜を島々に復活させる。そして、絶対に無事に島に帰ってくる──親父が作り上げた俺が、親父が戦ってきた14年間が、無駄じゃなかったって証明してみせる」
だから──ロマニはそう言って立ち上がり。父をそっと抱きしめた。
「……俺に任せて。信じて。親父の悩みは、俺も一緒に悩むよ」
「……ロマニ……」
ショウコウは、そっとロマニを抱きしめ返した。
「……アランやイリムのように、決してならないんだな」
ショウコウが抱きしめたロマニは、確かに体温がそこにあり。力強く、暖かかった。
「ああ、絶対だ」
「──そうか」
ショウコウは、自分に覆いかぶさるように抱きしめてきたロマニの背中を、そっと優しく撫でた。
その顔は、重荷が落ちたような、苦しみから解放されたような、安らかな顔であった。
「──分かった。頼んだぞ、俺の息子よ」
淡い光が差す部屋の中。小さなさざ波の音が聞こえた。
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