28.澄んだ朝がやって来る

 リュウセ島において、ロマニが知って限りでは初である魔物上陸事件から一夜が明けた。


 その後の人々の消火及び救命活動の努力もあり、多くの怪我人が出ながらも、死者が出ず、騒動は終わりを迎えた。


 島の人の生活区は、港含め坂の半分以上が損傷の憂き目に合い、漁時期の半分を過ぎたばかりのリュウセ島島民にとって、思わず項垂れる程の損害が及ぶこととなった。


 港では、同じようにシロヤネズミの親玉による麻痺毒を受け、動くことのできなくなっていた魔物達は、のきなみ駆除されることとなった。


 ロマニは普段狩りをし、彼らの部位を素材として頂くことを日課としていたものとして、襲ってきた彼らに同情することはできない。

 プレトは反対しないまでも、動けず可哀そうだと言ったが。「話が通じない上に、今も島を襲おうとする敵意がある、だから、仕方ない」と竜であるベラに言われ。仕方ない事だと諦めがついた。


 そうして、港では麻痺毒の被害に見舞われなかった者たちにより、海から魔物の上陸を防ぐ防衛拠点の建設が始まり。その傍らで、坂の上のてっぺんの、村長宅横に、緊急の救護テントが設立された。


 ロマニは、ベラと共にそのテントに向かって坂を昇っていた。


 シロヤネズミの親玉の討伐から、人命救助に引き続き、一睡もしていない状態だ。ベラには家で寝ておくべきだと言ったが、ベラはロマニが心配だと言い、付いてくることになった。


「外の知らないものが見たいとは、言ったが……知っているものが壊れて変わり果てるっていうのは、本当に辛いな……」


 道中、ロマニは立ち止まり、傍らにで半壊している横に広い酒場に目を奪われた。


 その建物は、数年前に父であるショウコウが、島の中で仕事を見つけてほしい一環で、ロマニに紹介した酒場だった。


 そこで裏方の料理を任されていた頃。店の主である年の老いた老夫婦は、忙しい時でも、ロマニの調理の仕方や味付けがよくできているかどうか、感想を言うのに時間を割いてくれた。


 人が何かの道において上手くなるには、その道を先に行っている人の物の作り方に憧れを抱き、それが出来上がる仕組みを知りたくなることが大事だ。

 ロマニは、その時親身になって料理を見てくれた老夫婦が料理を出すと、みんなが嬉しそうに皿を囲んで酒を交わし、にぎやかに飲み会を始めていたのが、とても印象に残っていた。


 どうしてそんなに幸せにできるものが作れるんだろう。

 そんな疑問を、あの二人の優しさから感じ、積極的に料理を学んだ。ロマニの料理の味が旨いとしたら。ロマニに親身になってくれた、老夫婦たちのおかげだろう。


 そんな二人は、今回の事件で無事だろうか……? 死者はいないと報告が上がっているから。生きているはずだ。


 それでも、彼らと一緒に過ごし、料理を作った思い出の場所は、こうして壊れている。

 ここには、壊すことなんて許されない思い出があったはずだ。なのに、それを知らない魔物達に壊され、ゆがめられてしまった。


 その悔しさがロマニの喉の奥に、重みのある異物が押し込まれたような感覚を覚えさせ。吐きそうになってしまった。


「……ロマニ。大丈夫?」


 立ち止まってからそれ以上の言葉を出さないロマニを見て、ベラが心配そうに声を掛けてきた。


「ああ、すまないねベラ。……大丈夫」


 隣で心配そうに尋ねるベラの声で、ロマニは現実に引き戻された。横を見てみれば、ベラが不安げにロマニを見上げている。


「……行こう。立ち止まってごめんね」


 ロマニはそう言いながら、ベラの頭を撫でる。


 今は立ち止まっている場合じゃない。お見舞いに向かっている最中なのだ。


 ロマニは再び歩き始め、竜の森へと向かって進む。やがて、長老宅と共に、仮設でありながら、長老宅にも劣らない大きさの仮設テントが見えてきた。


 治療されている自分の父、ショウコウのお見舞いだ。


◇ ◇ ◇


 テントにたどり着くと、手当てを受けている人に、誰かを手当てしている人と、どこも人でいっぱいで、慌ただしかった。


 どこか、先日まで見ていた港の活気を思わせる。詰まっている空気は、決して賑わいではなかったが。話の端々には快活に笑いながら大変だったなぁと笑い飛ばす人の姿も見える。


 まだこのリュウセ島の人々は死なず、生きているのだという事を実感でき、ロマニは心に安堵を覚えた。


 そんな人の海を、ロマニと、手を引かれたベラはまっすぐテントの中へと進んでいく。


 歩いていく中、その活気もまた、まるで海が割れるかのように、進むたびに一瞬静けさを見せ、動きを止めてロマニとベラを見つめていた。


 ベラが大勢の人の目線に怯え、ロマニにしがみついたので、そっと自分の傍らに寄せつつ、周囲に小さく手を振り返す。


 ベラの衣服は、しわや汚れが目立ちながらも、翼や角、尻尾と言った竜の特徴は全て隠せている。しかし、魔物との戦いの中で、ベラの正体を隠す事よりも、目の前の人命を優先し、全力で戦っていた。助けられた人々は、誰もが竜としてのベラの姿を見ているだろう。


 今や、目撃であれ口頭であれ。ベラが竜であることは、島の誰にも周知として知れ渡っているようであった。


「あ、あの!」


 その時、テントに入る直前。近くの人々の中から、一人の子供が進路上に割って入ってきた。


 ベラは驚き、急いでロマニの背後に隠れるが。恐る恐る顔を覗かせると、ただでさえ小さいベラよりも、更に小さい幼い少女が、花を持ってベラを見つめていた。


「ちりゅうさま。だよね……あの! おとうさんおかあさんをたすけてくれて、ありがとう!」


 そう言って、その手の花をベラに差し出してきた。


 ベラは強張っていた肩をやわらげ、きょとんとした様子でロマニを見上げる。ロマニが穏やかな笑みを浮かべ、そっとベラの背中を押してあげて催促すると、ベラはすこしはにかんで前に出て、少女から花を受け取った。


「……ど、どういたし、まして……」


 少女は深くお辞儀をすると、すぐに弾けるように顔を上げ、子弾みに傍らの親の元へと戻っていった。


 ロマニもベラも、その後ろ姿を目線で追う。やがて少女がたどり着いたその場所では──少女の両親が、両手を合わせて、ベラの事をまるで神様のように拝んでいた。


 実際、列島において、ベラは十数年も待ち続けられていた神様そのものだ。なのに──その崇拝の姿勢に、ベラは、眉を八の字に曲げ、戸惑ってしまった。


 そして、ロマニより先に先行して、テントの中へと入っていく。


 ロマニは、そのベラの戸惑いがどういうものなのかは、分かりきれない。ただ、少し居心地が悪く感じ、その両親に小さくお辞儀を返すと、テントの中に入っていった。


◇ ◇ ◇


 テント内は、いくつかの仕切りがあり、簡易ベッドが設けられ、それぞれで手当てをされていた。


 漁師達は手当てができるものが多く。あちこちでケガに対する応急処置が施されている。そして、今回特に多く拡散されたシロヤネズミに対する麻痺毒は、テント奥におかれたテーブルの上に、これでもかと言うほどの、麻痺毒に対する薬が置かれ、自由に取る形式にされていた。


 手当をする人々は、その場に駆け寄っては、隣に置かれている使用頻度の項目に一通り目を通し、適量を取ってそれぞれの患者の元へと向かっていく。


 プレトも今は、母であるソワレおばさんと共に、薬の調合で急ぎ、幸い薬の調合所としての役割を保っていたソワレ薬店で薬の調合をしているのだろう。


 そんな予想がよぎり、ロマニは幼馴染が誇らしい気持ちになった。

 しかし、そうして湧き上がった気持ちも、次にその隣の、一つだけ区切られた、重厚感のある幕を見て息を飲み緊張に変わった。


 それは、漁師の元締めである、村の中でも権力の有る人々の中で、特に重傷を負った男の部屋。ショウコウが治療を受けている部屋であった。


「……親父、ロマニだ、大丈夫か?」


「おおぉ、ロマニか。中に入ってきなさい」


 恐る恐る尋ねたロマニであったが、すぐに間を置かずに父の声が幕越しに返ってきた。

 返事は苦しそうながらも元気さを保っており、こみ上げていた不安が、ロマニの中から多少抜け出て、安堵を覚えた。


 言葉に甘え、ロマニはベラと共に幕の向こう側の部屋に入る。


 室内は、小さなカーテンの付いた穴と言っていい窓がある。とても静かな部屋であった。

 窓際には、ひときわ大きいベッドがあり、その上で、全身を包帯で包まれたショウコウが手を振っている。その隣には、看病と言うよりは、ショウコウと話をしていたのか、長老が椅子に腰かけていた。


「親父。よかった、幸い命はあるんだな」


「はっはっは。正直、自分自身死んでないのが不思議だわ。お前らの、咄嗟の手当てが良かったのかねぇ……」


 そう言いながら、ショウコウは歯を見せて笑う。


 その調子の良さに明るさは、ロマニの良く知るいつもの父の姿なのだが、それに反し、全身にくるまれた包帯からは、血のにじみ以外にも、黄色く滲んだ膿のようなものが見える。


 その膿は、ロマニとベラの緊急の荒い治療故なのかもしれない。しなければ命が危なかったかもしれないと言え、目を反らしたくなるほどに、辛い姿であった。


「死んでないのが不思議なんて、ろくでもない事言わんでくれよ。死ぬ気でいられたら、残るやつらの気が気じゃないよ……」


 ロマニはショウコウの傍にしゃがみ、父の顔をそっと見つめながらそう喋る。


「気が気じゃないねぇ……そんなの、ロマニ。お前に返したい言葉だがなぁ」


「うぅむ。儂から見れば、お前さんら親子は、似たもんじゃと思うわい。わっはっは」


 しんみりとした顔を浮かべる親子に、長老がにぎやかに笑いをみせた。


「その……親父。俺、謝りたいことがあるんだ」


 そう言って、ロマニはショウコウに顔を更に近づけ、小さな声で話す。それは、なるべく話の内容を隣に居るベラに聞かせたくない事もあってだ。


「今回の魔物、襲撃事件……前兆が、あったんだ。ベラの居場所を見つけようって、行った浜辺で……親父も見た、フナモクズに襲われた。あの時、ベラが俺を助けようと、魔物達を一斉に支配して……それで、地竜の力が、枯渇しかけたみたいなんだ。だから……今回の襲撃は、おれのせいだ……本当に、島も、みんなも、親父までも。こんな目に合わせて……」


 ロマニは、長老の提案やベラの咄嗟の飛び出しを省き、事のあらましを語る。自分が考えた事で、ここまでの事件が起きたのだという後悔が、ロマニの中にはあった。ショウコウは、そこに、驚きや怒りを持たず、静かに聞き続けた。


「──責を負うとしたらわしじゃ」


 ロマニの感情が、堤を壊れ溢れる前に、長老が静かに口を挟み言葉を遮った。


「竜とは、近しき人間や先祖代々の竜たちとの間に、離れようと繋がっている見えない縁というものがある。じゃから、ロマニ。お主に尋ねられた時、竜の行きつく地である火山島の方角の海に向かわせれば、道も見えぬその子に、進むべき道が示されると思った」


 長老はそう言って、静かに傾聴するように俯いていた顔を上げ、ロマニの顔を見る。


「じゃが。儂はお主らを焦らしてしまえば、何が起きるのかという事を想像できなかった。恨むなら、儂のうかつさじゃ。お前さんたち二人が悔やむ事でない」


「で、でも……」


「長老様の言うとおりだ、ロマニ。むしろお前たちは、3人であの巨大な魔物を討ち倒してくれた。お前らをむしろ、誇りに思うよ」


 ショウコウががそう言い、ロマニを見た。


 ロマニは、その言葉で、喉の奥に詰まった重しが抜かれたように感じた。そう言ってもらえて、少し安心した。


「……それに、ロマニ。お前達がここまで来たのは、その謝罪だけではないだろう?」


 ショウコウは、それは静かに。どこか、諦めたような面持ちで、ロマニの顔を今一度見た。


「……ああ」


 ロマニは、頷き返し顔を上げた。


 痛ましい姿の父の全身を今一度見返して、それから問う。


「昨夜、聞けなかったことを今一度問うよ、親父──親父が抱え続ける悩みって、何? 俺とベラって、いったいなに?」


 ショウコウは、自らの目をまっすぐ見つめ、問うロマニの目のその奥を深く見つめ。それから、目を閉じて頷いた。


「……ああ。全部話そう」


 そう言って、ショウコウは静かに口を開き、しゃべり始めたのだった。

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