27.月が浮かぶ頃には全てが終わる

『うそ……燃やしきれない。どれだけしぶといの、この親玉……!』


 火を噴き続けたベラは、段々と限界が迫ってきていた。


 だましだましに吹く火を弱めて、何とか限界の時を先延ばしにしているが。炎の息吹を吹くには、息の量だけでどうにかなるものじゃない。体のあちこちがきしむように痛く、疲労が限界に来ている。


 少しでも気を緩めば、火が止まってしまいそうだった。


『……だめ。絶対にだめ! 火を止めたら、こいつ海辺と同じ攻撃する。そうしたら……また誰かが、酷い事になる』


 ベラの脳裏には、港での一瞬で起きた大惨事が浮かんでいた。


 敵も味方も関係なしに、全てが蹂躙される光景。そして、その毒を受けながらも、最後に抵抗をしていた。あの怖い、けれど、ロマニの父であり、信頼はできるはずの男の姿。その惨たる姿。


『もし、毒が広まれば……きっと、ロマニが今度こそ……』


 その回想の行きつくところには、ロマニの枯れたような姿があった。


 魔物達が去り、犠牲者の救助をすることになった港の中で、再び見つけたロマニの姿は、酷いものだった。

 毒が広がり終え、ロマニに呼びかけに行った時、彼は死んだようだった。


 動かない全身串刺しの父の前に座り込み、ただ黙々とトゲを抜くだけのロマニの姿。それが無駄であると思っているであろうに、ただ、それでもどうにかしたいと懇願し、ただ空回りする心のままに、同じ動作を繰り返し続けていた。


 ロマニも、ベラも。実の親を失っている。しかし、


 もし、変わらずずっと共にいる家族を、突然の敵意により無理やり奪われ、失ってしまったとしたらどうなるか? それが、あの燃える港のロマニの姿が物語っていた。


 恐ろしい存在として、親しい誰かを失うという事は、恐怖の形としてそこに存在し続けているのだ。


『──そんなの、絶対に嫌!』


 ベラは、自分自身を奮い立たせ、炎を更に強めた。


 ロマニは、初めて来た地上において、自分の事を心配してくれた。

 自分の居場所がどこか分からない、空に戻るべきか、ここにいるべきかさえも分からない。自分自身の生まれてからの生き方も分からない私を、心配して傍にいてくれた。


 ベラにとって、人間とは何をするのか分からない存在だった。


 空の上から眺めていた人間は、本当にそれが一つの人間と言う存在として、まとめて語る事が出来るのか分からない程に、みんな違っていた。


 笑う者もいれば憎むものもいる。助ける物も居れば騙し喰い殺してしまうものもいる。

 空の上では、この人間と言う存在が、自分の目の前に現れたら。どういう存在としてみればいいのか分からず、答えが出せなくて怖い思いをしていた。


 ──何が起きるのか分からない中で最初に差し出された物が、自分の為に作ってくれた料理だったのは、暖かくて仕方がなかった。


 そんな暖かい事をしてくれたロマニが、心が壊れて死んでしまうなんて。絶対に許せない!


 ロマニは自分が守る。ロマニが大切なものも守る。そのためには引けない。ベラは、そう覚悟を決め、ただひたすらに火を噴いた。


『燃えろ! 全部燃えて居なくなれ! 優しい人から全部奪おうとする怪物は、みんな燃えて居なくなれぇ‼』


 ベラは自分を守るのとは違う、人の無事を願っての最大の敵意を込めて、魔物の親玉に炎をぶつけた。


 その時だった。視界の端でワイヤーが後方より飛び、近くの建物の壁に刺さった。


『! 今のは……』


 それからすぐに、ベラの後方より、ロマニとその背にしがみついたプレトが飛んできた。


『ロマニ! プレト!』


◇ ◇ ◇


 ロマニはアンカーの刺さった壁に取り付くと、親玉を睨む。


 その体表は、痛みボロボロになりながらも、絶えずトゲが蠢いていた。そして、そのトゲが今度は規則的に波を打ち、ロマニとプレトが居る方向を中心として、波打っていた。


 トゲが、二人を狙っている。


「行くぞ、プレト。チャンスは一回だ」


「了解‼」


 その言葉を皮切りに、ロマニは建物の壁から飛んだ。


 そのすぐ後に、二人が居た場所に、親玉の巨大なトゲが撃ちこまれ、壁を砕いた。ロマニ達は飛び散る石が体に当たるよりも先に、反対の建物に義手からのアンカーを打ち、飛んでいく。


 その間、プレトは目まぐるしく魔物の表面を見渡す。どこかに短いトゲが密集している部分、口が存在する場所は無いかと探す。


「側面無し!」


「なら下だ!」


 ロマニはそう叫ぶと、今度は地面に着地して親玉の真下目掛けて駆け出した。

 その巨体の影の下に入り、頭上からは魔物の巨大なトゲがいくつも降り注ぐ。

 ロマニは、右へ左へと跳びながら、その攻撃をどれも躱していった。


 プレトは眼前に降り注ぎ続けるトゲから、目を離さない。どれだけ攻撃が来ようと、ロマニが全てを躱すと信じ、ただ観察し続けた。


 やがて、暗い影が消え、月明かりがプレトの視界に飛び込んできた。

 親玉の真下から抜け出したのだ。ロマニはベラの背後にたどり着くと、砂埃を巻き起こしながら振り返り、親玉を睨んだ。


「どうだ、プレト……あったか?」


「……無い」


 プレトは、苦しそうな声をもって、首を横に振った。


「側面も、真下も、どこにもない! 口が見当たらない!」


「……じゃあ、そうなれば……」


 ロマニも、思わず乾いた苦笑を漏らし、空を見上げた。

 満月に照らされた、親玉の頭上──残すと言えば、その真上ぐらいであった。


 しかし、そこに至るのは、ロマニのワイヤーをもってしても、至難の業であった。


 ロマニの義手によるワイヤーは、あくまで着地点があってこその物だ。昼間にベラを襲った巨大な蟹の魔物、フナモクズは、あくまで竜柱と同等程に高くそびえる、無数の手足があったからこそ、空を飛んでるも同然なほどに縦横無尽に飛び回れた。


 しかし、今この場に親玉よりも高く存在する場所は無い。一応一番高くそびえている、親玉そのもののてっぺんでさえも、口回りを覗けば、人を串刺しにしかねないトゲばかりだ。アンカーを撃ち込み、飛んでいくことなんて不可能だ。


「あっはっは、まいったねぇ……たった一回。あいつの真上に飛ぶことさえできれば、どうにかなるのに……」


 ロマニが悔しく口を漏らす。

 ここまでなのか? 後たった一撃の手をもってすれば、目の前の怪物を打ち滅ぼすことが出来るというのに。


 それは、手が届くことも無い。実現することの無いたらればの話なのか?


 ロマニは、歯を噛みしめ、悔やんだ。


「──あと一回、あいつの上に行ければいいんだね」


 凛とした、静かな声がロマニの耳に届いた。


 悔やみから抜け、顔を上げると。噴き終えた炎の息吹の最後の煌めきが終わり、月明かりの淡い光を背にして、静かに微笑んだ顔を投げかけるベラの姿が、そこにはあった。


「連れて行ってあげる。私を信じて」


 ベラはそう言うと、魔物の真上目掛けて空高く飛び上がった。


「ベラ‼」


 目の前では、拮抗し続けて、限界を超える事の出来なかったシロヤネズミが、全身から大量の毒血を噴き出し、毒兵器として完成を迎えようとしていた。


 ベラはそんな魔物の、真上の空に到着する。

 そして、振り返り力一杯に叫んだ。


「ロマニ! 来て!」


「! ……分かった‼」


 力を込め叫んだベラの言葉に、ロマニは力強く頷き返し、


「ロマニ⁉」


「ベラ! 受け取れぇ‼」


 ロマニはそう叫び、ワイヤーをベラ目掛けて射出した。


 月明かりと燃える建物の上下別の明かりに照らされた夜空の中、まっすぐと線を引き飛んでいくワイヤー。その先端の銛が、ベラに迫り──


 ベラに刺さる寸前、ベラはその銛を掴み取って、受け止めた。


「取ったよ!」


「了解‼」


 ロマニがワイヤーを最大の力で巻き上げる。あっという間にロマニとプレトの体は宙に浮き、空へと引き上げられていった。


 二人は、みるみる慣れ親しんだリュウセ島から遠ざかり、辺りはどんどん小さくなっていく。


 やがて、ベラの飛んでいるすぐ傍にたどり着くと、二人は熱気からかけ離れた、涼しい風を頬に感じた。


「……わぁ……」


 肉体が勢いのままに空を飛び、体に絶えず染みついているはずの重力が消えたのを感じる。

 体が軽くなった一瞬の間、二人は戦いの事が遠くのように感じた。


 下に見えるリュウセ島は、自分たちが普段より住んでいる所よりも広く、いつも壮大に思えたのに。今はとても小さいミニチュアのように思える。そして、全方位には、満月に照らされ、光を水面に反射させた静かな海が見えていた。


 静かに留まっているはずなのに、どこまでも広がるその海は、波の優しい音が反響して聞こえるような気がした。


「……綺麗」


 それは、プレトの口から漏れた言葉であった。


 ロマニが、どうしても外に行き、亡き両親の見ていた光景を知りたいと言い続けていた理由が、今少しだけ、分かった気がした。


「──行くぞ、プレト」


 同じ光景を、ロマニもベラも見ていたであろう。ロマニがそう静かに言った。

 言葉と同時に、ロマニとプレトの体に重力が戻ってきた。


「──うん」


 その言葉を皮切りに、ロマニとプレトは落下し始めた。


 風を全身に浴びて、真っ逆さまに落ちるロマニとプレト。ロマニの右手からは、二人の遥か頭上に居るベラに向かって伸びるワイヤー。


 水平線は二人にとって見知った物へと戻っていき、そして、はるか下には、親玉が居る。


 その場にとどまり、毒霧を完成させようと集中している親玉の真上には、プレトが有ると言っていた、口があった。


「あそこだ! 寸止めで行くぞ、狙いを外すなよ!」


「了解! 任せて‼」


 ロマニが、秒を読む。


「5、4、3、2、1──今だ‼」


 0が来た瞬間、プレトはロマニの背中越しに、怪物の口目掛けて解毒剤を投げた。それと同時に、ロマニが魔物の親玉の毒霧に飲み込まれる寸前でブレーキを踏み、停止した。


 自由落下の速度で投げられた薬は、まっすぐに線を引いて親玉目掛けて飛んでいく。


 そして──短いトゲが密集している、親玉の口に着弾すると、ガラスの割れる音共に砕け、その液体が口の中に流れ込んでいった。


 それからすぐに、親玉はこの世の物とも思えない。深海の暗い底から響くような、重音の響いた断末魔を上げた。


 全身のトゲが、鳥肌が立ったかのようにすべてまっすぐに伸び。それからすぐに制御を失ったかのように、皆がでたらめの方向に暴れ出す。そして、体表を付きまとっていた毒霧は、後から体内から飛び出す白い血液によって、同じように白く変色し、浄化されていく。


 親玉の全身は、トゲの先端からボロボロに溶けて行って形を失っていく。


 やがて、その重量からは想像できないほどにゆっくりと坂の上に落下すると、最後に、満月に向かって手を伸ばすかのようにトゲを空へ突き上げると、そのトゲも力なく崩れていき。まるで、地上に打ち揚げられたクジラの死体かのように、力なく全身を崩し、地面に広がって息絶えた。


「……やった……」


 小さく、プレトが実感を噛みしめるようにつぶやいた。


「ああ、やったぞ。俺たち3人で、あのでっかいウニをやっつけたぞ」


 ロマニが、その通りだと肯定し、言葉を返した。


「すげえよ、プレト。お前も、ベラも居なかったら。俺はあの魔物を倒せなかった」


「あはは、ロマニが居なかったら、こんな勇気出せなかったよ」


 ロマニは、ベラがそろそろと高度を降ろし始めている事に気が付くと、真下が巨大シロヤネズミの死体であることに慌て、同じようにワイヤーを巻き上げ始める。


「……プレト、お前こんなに勇気あったんだな」


「! ……君の影響だよ」


 プレトは、戦いが過ぎ、いつもの燻ぶった落ち着きに戻る筈だった心に、またほのかに明るく燃える程の薪をくべられたような気がした。


 その言葉は、プレトがロマニに言われたかった言葉だった。


 静かな月明かりの中、地上からも戦いの静けさが引き、人間と魔物の戦いは、幕を閉じた。

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