26.魔物と人の最後の手

「よし、親玉以外減ってきたぞ!」


 ロマニとベラの戦いは快進そのものだった。


 まるで親玉の手足のように溢れんばかり群れを成していた魔物達は、もはやそのほとんどが討たれた。


 残るは、もはや隊列の体を成していない魔物が、五、六体程残っているだけだった。

 追加の魔物が港の方からやってくる様子も無い。もう、決着は目の前に思えた。


 どこが目か口かも分からないが、親玉の表面のトゲが回っている事から、絶え間なく周囲を見渡し戸惑っている事が分かった。


 考えるに、この巨大な親玉は周囲のシロヤネズミ達との間に仲間意識、もしくは血縁意識みたいなものがあったのかもしれないとロマニは思った。


 戦いの中で、自分の仲間が殺され続けたからこそ、無視もせず、復讐をしようと攻撃し続けた。

 もしそうだとすれば、少し可哀そうだと思った。


「……悪く思わんでくれよ、元はと言えば、島に乗り込んできて、襲ってきさえしなかったら、倒されることも無かったんだ」


 魔物は人を傷つけない海の中に戻ってほしい。そうあってくれとロマニは願った。


 さて、ここからが問題だ。

 改めて親玉である巨大シロヤネズミを見る。その体表は、絶え間なく動く毒を持ったトゲがあり、近寄るのは危険だ。


 それどころか、仮にその表面に刺し傷を作ったとしよう。その途端に魔物自身が持つ毒を持った血が激しく吹き出し、親玉自身の浮遊魔術により、体表を這う毒霧が生成されてしまう。


 ──もし今一度、毒を纏い落下するあの攻撃をされてしまえば、この狭い坂、逃げ場は殆どないだろう。


 倒すことを考えれば、傷を与える事はリスクが高い。


「ベラ、親玉目掛けて火を頼む!」


 となれば、答えは一つだ。ベラにとどめをお願いした。


「りょーかい!」


 ベラは力強く頷くと、大きく息を吸って肺を膨らませ、体をのけ反らせ、これまでで一番の勢いの業火を口から噴き出した。


 宙に浮かぶ真っ黒な塊は、その斜め下半分を赤く照らす。そして、ベラの業火によって激しくあぶられ始めた。

 坂全体があかあかと照らされ、親玉はそのトゲの体表がぶれて線を引くほどに回転して悶え始めた。


 火から逃げようと、あまりにも遅い速度で移動をはじめるが、その僅かながらに動いた量に合わせて、ベラも同じように動いてあぶり続けるために、親玉は逃げ切れないようだった。


 残った小さい魔物達は、主導者たる親玉を守ろうとベラに突撃を始める。が、それをロマニが見つけると、アンカーを撃ち、ここまでと同じように討ちとった。


 火があたっている魔物は、段々とその体表から白い煙を吹か始める。所々に熱された分だけの傷が見えてきたが、肌は焦げ、毒も霧となる前に燃やし尽くされてしまうので、毒霧を展開できない様子だった。


「これで……終わりだな」


 ロマニは、残る魔物達を倒しながら、ぽつりとつぶやいた。


「ん、プレト、ソワレおばさん。まだ逃げてなかったのか! 危ないだろ、ずっとここに居ちゃ!」


「あっ、ロマニ……ごめん……」


 ロマニは安堵の息を漏らしたところで、戦いを始める前に助けたプレト達が、未だにそこに居る事に気が付いた。


 プレトもソワレも、それぞれが別の考えの元に、目の前の光景に目を奪われていたのだ。


 ソワレは、地竜が降臨せずに14年。その間に起きた魔物事件の数々を思い出している。島と島同士で盛んだった船の流通は、最初の数年は、急激に下がり、各島が孤立したような様相だった。


 それが安定しても、武装の整った船でなければ島を行きかえない事も引き続き、航行の度に、怪我人は増えた。


 それゆえに、とうとう島そのものに魔物が上陸する事態が起きた今日、竜が人の姿を象って助けに来たことが、驚きで、半信半疑なのだ。


「…………!」


 プレトは、自分の手の届かない光景の事を、昼頃のフナモクズに引き続き、ただ茫然と眺めていた。


 しかし、ただ描かれる光景を眺めていたプレトは、ここで当事者として乗り出すことになった。

 その消沈し落ち込み切っていた目が、目の前で起きた奇怪な行動に気が付いたのだった。


「ロマニ、残りの魔物達が!」


 プレトの突然の叫びに驚き、ロマニは魔物に再び目を向ける。


 残り4体ほどしかいない僅かに生き残った魔物達が、親玉の周囲に均等な間隔で輪を作り出した。

 まだ攻撃をしてくる気か。ロマニはそう思い義手を構え、次に来る魔物達のトゲの射出に反撃しようと待ち伏せた。


 ──しかし、その判断がすぐに間違いであることを思い知った。


 魔物達は、ロマニもプレトも狙う事も無い。ただ、親玉を中心に輪の陣形のまま回転し周回しだした。

 一つの星に対する衛星のように周り続ける魔物達は、自らのトゲをあろうことか


「なっ! 嘘だろ!?」


 流石の仲間討ちも同然な行動に、ロマニは目を見開いた。


 そして、次に思い出すのは、港での初遭遇で起きた惨劇。

 戦いは島の人間側の優勢に傾いていたはずなのに、この親玉が出現し、倒そうとたった3発の銃弾を撃ち込んだだけで、体内から勢いよく毒が噴き出し、悲惨な事態が起きてしまった。


 だが、今はその日では無い。魔物達は親玉を回りながら、一定間隔でリズムを感じるようにトゲを親玉目掛けて撃ち込んでいく。


 親玉由来のトゲで無いトゲが、体表に突き刺さり、そこから暗い紫色の血が噴き出す。銃弾により開いた穴と比べれば、トゲが刺さったままで蓋がされている事もあり、一個一個の噴出量は少ない。しかし、それでも徐々にとめどなく毒血が噴き出し、親玉の体表を覆っていた。


「よせっ、やめろ!!」


 ロマニは焦り、魔物目掛けてアンカーを撃ち込んだ。


 焦りからか、撃ち込んだワイヤーは2回ほど空振った。息を整え撃ち直し、ようやく命中して、先端に刺さった魔物をもう一体に叩き込んで撃ち落とした。


 残りもアンカー先の魔物をぶつけ、地面に叩き込んで倒した。


「ああ……くそっ、これは最悪だぞ……」


 しかし、残っていた魔物4体を倒したところで、事態は最悪だった。


 親玉は、ベラの炎に焼かれ、纏った毒霧を次々に蒸発させ続けるものの、それより勝るか拮抗するかという量で、次から次に毒血を全身から噴き出し、毒球を完成させようとしていた。


「……っ。~~‼」


 ベラは絶え間なく火を噴き続けるが、それももはや苦しそうだ。

 親玉の血に体力が尽きるのが先か、ベラの炎の息吹が尽きるのが先か。それは、前者に采が上がるように思えた。


「──プレト!」


 ロマニが建物の上から飛び、プレトの傍に駆け寄ってくる。


「まずい、いったん引くしかない。あいつが纏っている霧は毒だ! あの大きさで落下してくることもまずいし、近くに居たらどうなるか分からないぞ!」


 ロマニは振り返り、声を掛ける。


「ベラ! 俺が合図をしたら、火を解除して二人を連れてってくれ! 俺は自力で脱出する!」


 ベラは、ロマニ達に背中を向けながら、こくりと頷いた。


「えっ、待ってロマニは!」


「今は速度が大事だ。3人もベラに任せたら、毒の勢いから逃げられるか分からない! なら、俺はアンカーで逃げる!」


 プレトは額に冷や汗をかき、プレトの目を真剣に見つめるロマニを見て、愕然とした。


 果たして、親玉の魔物の攻撃はどのぐらいの速度で広がるのだろうか?

 その攻撃に、ロマニは無事一人で逃げ出せるだろうか。


 そして……こんな街中で親玉の攻撃を受けて、町も、近くの自然も、無事の姿を残せるだろうか?

 プレトは、これから起きる出来事がどうあがいても、リュウセ島を元の姿に戻すことの出来ないほどに傷を残す、決定的な一撃になる予感を感じた。


 ……そんなの、受け入れていいのだろうか?


「……それは、嫌だ」


 ぽつりと、プレトは小さな声でそう言った。


「……なに?」


「それは駄目だ! ロマニだけ、危ない目には合わせられない!」


 そう叫び、プレトは立ち上がった。


「プレト!? こんな時に何言ってるんだ!?」


 ロマニは驚いた。プレトは、ここまで自分の気持ちを強く言う事の無い相手だった。

 その驚きをよそに、プレトは周囲を見渡し、何かできないかを必死に探し回る。


 プレトは、ロマニに強く憧れていた。初めて会った日から、それこそ自分に釣り合わない悪ガキっぷりを見せて、魔物を狩ろうとしたり、子供は入ってはいけない竜の森で木の実を取ってきたりする、自由奔放な彼の姿が。


 ロマニは、ずっと引きこもって黙々と薬学の事を学び続けるプレトの姿を見て、かっこいいと最初に言ってくれた。

 島の中で、漁師か林業ばかりを目指す人の多い子供たちの中で、一人浮いていたプレトに素直に興味を持ってくれたのは、ロマニだった。


 彼は、プレトと毎日会うようになり、プレトと他愛も無い話をする傍ら、自ら薬の材料を取りに行ってくれてプレゼントしてくれたりと、本当に優しくしてくれていた。


 ──そんな彼が、彼自身が失いたくないと願い戦っている中で、自分が何も返せないという事が、絶対に嫌だとプレトは思った。


 何か、何か答えになる物を探すんだ。ロマニが悲しまない為に、あの親玉を祓える、決定的な何かを!


「! あれは……」


 必死に周りを探している中で、プレトは動かなくなった魔物達の遺体に目がいった。


 殆どの魔物は、ベラの灼熱の火により黒焦げになったものと、魔物と魔物がぶつかって、形を崩したロマニの攻撃による者ばかりだ。


 しかし、その中で数体。建物の壁際に他の魔物達とは類しない遺体があった。


 その魔物の遺体は、焦げても潰れてもいない。溶けていた。

 その数2体。僅かに白い煙を発しながら、全体が崩れ溶解していた。


「……あの時の、薬?」


 その魔物達にプレトは覚えがあった。


 母を助けに戻った時、取り出し乱暴に叩きつけた薬を浴びた魔物が、暴れた末に建物の壁にぶつかって落ちた場所が、そこだったはずだ。


 焦りの中で、何の薬かも確認せず投げつけたが、その薬が何だったのかには心当たりがあった。

 たしか、最後に入れた、一番取りやすい位置に置いた薬。それは──


「シロヤネズミの毒に対する、解毒剤か……?」


 プレトは自分の言葉で、合点がいった。


「まさか溶けるなんて……毒性の体液が、全身の組織を構成しているのか? そして、その血液が解毒作用によって変質した時、肉体そのものさえも保つことができなくなる……?」


 プレトは癖のひとり言を続ける。


「……プレト?」


 ロマニは、その光景を黙って見つめていた。


 プレトが考え事をしているときは、頭を抱え詰まっている様子を見せていない限りは、一旦置いておくのが、二人の間での暗黙の約束になっていた。


 プレトが考え、止まり方を見失ったスランプに陥れば、すかさずロマニが声を掛け、息を抜いた二人の時間を過ごす。それが基本だった。


 ロマニもベラも、もはやこの状況に手詰まりであった。


 だが、その中で友人であるプレトが、目の前の事に考えを割いている。

 もしかすると、何かを考えるかもしれない。


「……やってみる価値は、ある」


 プレトは、銀髪のちり毛を火に照らし、しっかりと顔を上げた。


 その目には、暗く何もできないとひがんでいた彼の姿は無く。強い光を宿していた。


「ロマニ、頼みがある!」


 プレトは立ち上がると、ロマニの両肩に手を置き、懇願する。


「僕を背負って、あの親玉の周りを回って! 口を見つける!!」


「口!?」


「そう。シロヤネズミは構造そのものもウニと近くて、ちゃんと口があるんだ。一見分かり辛いけれど、一か所だけトゲが円状に短い部分が有る。そこに、この薬を叩き込んでやるんだ」


 そう言って、プレトはカバンの中から薬を取り出す。それは、シロヤネズミの麻痺毒に対する解毒剤であった。


「……そうか、それであの親玉を倒せるんだな。なら、俺に貸してくれ。その薬、あいつに叩き込んでやる」


 ロマニはそう言うと、プレトから薬を受け取ろうとする。

 ──が、当のプレトが、差し出されたロマニの手から、薬を遠ざけた。


「……僕を、一緒に連れて行って」


「はっ!?」


 ロマニは困惑し、プレトの両肩に手を置き、詰め寄った。


「よせ、プレト。慣れない事はしないで、俺らに任せとけ。お前が行く必要はない」


「その方が確実なんだよ、ロマニ。あの親玉は、きっと反撃をしてくる。君はその攻撃をかわしながら飛び回ることに専念してくれればいい。口を見つけるのと、投げるのは僕がやる。分担するべきだ」


「そうかもしれないが……反対だ!」


 ロマニは強く首を振る。


「俺は、お前まで危ない目に合う事を望んじゃいない。お前は早く離れて、安全な場所に行ってほしいと……」


「それは僕も同じだ!」


 ロマニをのけぞらせるほどに、プレトもまた強い目つきでロマニに詰め寄り、その言葉を遮った。


「──僕は、危ないことに進んで挑み、いつも僕を助けてくれる君が好きだ。でも、助けに行くたびに、君がいつも危ない事をするのもまた、怖かった」


「……」


「何もできない僕は、もう嫌だ。僕が居て助かる状況なのならば、僕にも、君を助けさせてくれ……!」


 少しの間。場には静寂が舞い込んできた。それは、ロマニの反応が返ってくるまでの、ほんのわずかな時間だっただろう。


 プレトは、初めてロマニの提案を断り、自ら危ない事に進む事を願った気がした。


「…………そうか」


 ロマニは、プレトの傍に近寄った。

 そして、プレトを背に背負い、担いだ。


「わっ! ……ロマニ?」


「行くぞプレト。腹くくっていけよ!」


「! ……うん!」


 プレトは、改めてロマニの肩に腕をまわし、おぶさり直す。


「や、やめなさいプレト! そんなこと……」


「……ごめん母さん。行ってくる!」


 プレトは、まっすぐ目の前の巨大な魔物を見据える。


 そして、ロマニとプレトは、怪物に対し駆け出して行った。

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