刺繍塗れのタペストリー×分厚い眼鏡×すっかり硬くなったパン
やあ、君か。こんばんは。
名前はー……あー、うん、名乗りたくなさそうな顔してるね。
匿名さん。
別に無理に聞く必要ないしね。
あたしね、手先は結構器用なんだけど特に裁縫が得意なんだ。
ずっと、ね。
旗を織るのも、針使って縫い合わせるのも得意だし好きだった。
一方で苦手な過程もあってね、その中のひとつが布を染める技術だったなぁ。
あたしがムラ作り過ぎて駄目にしかけた布を、君が分厚い眼鏡何度もかけ直しながらさ、必死に染め直して助けてくれた時は救世主に見えたなあ!
覚えてない?
……まあ、覚えてるはずないか。
んで、あたしがその布に刺繍して、服にしたり日用品にしたり。
君が染めてくれた、鮮やかな糸を使って刺繍してる時間が好きだったなあ。んで、一番の自信作は 黒地に濃いピンクと白で幾何学模様を描いた大きなタペストリー!
ん?忘れっぽいあたしがなんでそんなに細かく覚えてるかって?
そりゃ……まあ……
平和な時間は短かったから。
夏だったなあ。
嵐が酷くて、川が氾濫しちゃって。
水田とかは当然駄目になっちゃって。
そこはまだ諦めが付いたけど、問題は村の家畜達が閉じ込められてしまった小屋だった。
当然施錠してあるから、放っておけば家畜達は逃げられずに溺れて全滅だ。
だから、誰かが鉄砲水に怯えながら鍵を開けにいかなきゃならない。
一頭でも生きてさえいればまたやり直せるからね。
うん。
その時、家畜小屋の鍵を開けに行くって雨の中飛び出して行ったのが君だったんだよ。
ここからは多くは語らない方がいいね……
結論から言うと、家畜は半分以上救出出来て、君は亡くなった。
当時の村で眼鏡なんて高級品身につけていたのは君だけだったから、すぐわかったよ。
あたし、呆然としちゃって。
眼鏡握りしめたまま食事も喉を通らなくなっちゃって。
気付いた時には嵐は過ぎ去って、君は村の救世主として手厚く弔われていったんだ。
あたしの一番の力作の刺繍塗れのタペストリーに身を包んで……ね。
それを見てやっと、ああ君は死んじゃったんだなあって実感しちゃって、食べずに放置してすっかり硬くなったパンをひとかじりしてから、号泣しちゃった。
仲のいい誰かが死ぬのは、いつまで経っても慣れないや。
まあ、こうやって再会出来たんだから長生きもしてみるもんだなー!なーんて。
いい?
この人生では、みんなのために自分は犠牲になってもいいなんて考えないでね。
知らないところで泣いてる人いるんだから。
約束!
ね?
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「匿名」さんからのキーワードで思い出した記憶です。
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