#4 事件の真相
深山の魔術"泥の手"によって屋上まで運ばれた優花。屋上は地上よりも少しだけ風が強くて、首元まで伸びた優花のミドルヘアを小さく揺らす。
「さて、大人しく降伏するなら今のうちですよ?」
一足先にたどり着いていた辰巳は、つまらなそうな表情で、右手の銃を突きつけている。銃口の先には、ひったくり犯が床に倒れている。いや、正確には床と彼との間には何か布状の物がレジャーシートのように敷かれている。おそらく、地上から見えたひらひらと舞う紙の正体なのだろう。先の辰巳の発砲によってその布には穴が空いていた。
一目見て、優花は布の正体に気がついた。木の骨組みがなされている、あの布は……
――
男がすっぽり入る程の大きさで薄い――魚屋の鈴木が言っていた「ポスター」の正体は"凧"だったのだ。
「あー、痛ぇー!」
銃口を突きつけられているにも関わらず、悪態をつきながら男は立ち上がる。
そこにいるのはフードを被った線の細い男性だった。フードのせいでただでさえ分かりにくいのだが、目元までかかる伸ばした髪の毛が更に人相を曖昧にさせている。薄い唇の下には無精髭を生やしている。深山も髭を生やしていたのだが、深山が俳優の印象なら、この男は落ち武者のそれだ。
「あーもう、"怪盗チェスター"のまねごとしてもうまくいかないな」
「そりゃそうでしょ。あの義賊まがいの愉快犯は、もっとスマートです」
"怪盗チェスター"とは、巷を騒がせている怪盗だっただろうか。実は優花もあまり詳しくはないのだが、桔梗が話題にしていたこともあるし、深山も先ほどぼやいていた気がする。
「何よ、オタク、チェスターのこと買ってるのな。ファンとかか?」
「恨みはないですが、僕らの敵です。だからこそ、その腕前をよく知ってます」
フードの男には目立った外傷がない。先ほどまで横たわっていたのは、凧を打ち抜かれたことで、体勢を崩していたのだろうか。辰巳の言葉を聞いて、ひひっ、と引きつった笑いを浮かべる。
「そうか、"狩人"でもアイツは止められないんだな」
「――とりあえず、降伏するなら今ですよ」
僅かばかりの苛立ちを込めて、辰巳は銃口を再度突きつける。それを見て「おー、怖」と余裕そうに呟きながら、ゆっくりと手を挙げた。
「なぁ、アンタ、名前は?」
「は?」
「いいじゃねぇか、教えてくれよ。俺は
「……
「辰巳か。いいぜ、覚えておくよ」
ぴくっ、と小さく芥の左手が動く。
遠くから見ていた優花は、僅かに何かが”揺らいだ”気がしたが、それも束の間、
「動くな!」
些細な動きに寸分の迷いもなく、銃の撃鉄が落とされる。撃ち出された弾丸は正確な照準の元、真っ直ぐに芥の動いた指に向かっていき――
ただ、虚空を駆け抜けていった。
芥が躱したのか? いや、そんな次元の話ではない。
芥の姿は影も形もない。あるのは地面に横たわる凧だけ。
「……痛っ」
消えた芥を探す辰巳の右頬に、一筋の朱線が走る。古傷の上に走るその朱線から、どろりと紅い血が
遠くから見ていた優花の目にも、芥は急に消えたようにしか見えない。どこに行ったのか? 残響する発砲音に耳を塞ぎながら、優花は周りを見渡すが、どこにも芥の姿はない。
「俺が初めて勝った相手としてなぁ!」
その声は頭上から響く。驚いて見上げた優花は、その光景に更に愕然とした。
時代劇の忍者でも今日日しないような、凧に張り付いた芥の姿があったのだ。
奇妙なことにその凧に糸は張られていない。しかし、どこかへ飛び去ると言ったことはなく、その場に縫い付けられたかのように、微動だにせずに凧は浮かんでいる。
「気が早いですね?」
芥を視界にいれた辰巳は、すぐさまその銃口を向ける。一瞬で照準を合わせると同時に、何の迷いもなく引き金を引いた。優花は、すぐさま耳を押さえる。
しかし、発砲の音はいつまで経っても聞こえない。
「……え?」
その光景に優花は間抜けな言葉が小さく漏れた。
誰も乗せずにぷかぷかと浮かぶだけの凧。そして、引き金を引いた辰巳の手からは、銃がなくなっている。
そう、芥の姿は凧の上から消えているのだ。その芥は今――
「辰巳くん、後ろ!」
「おっと、動くなよ」
静かだが、確実に優花の声を掻き消す芥の声。それは、辰巳の真後ろから放たれた。
その右手には、先ほどまで辰巳が握っていた銃を握りしめている。先ほどとは立場が逆転して、芥が銃口を辰巳に向ける形となっている。
「ははっ、なんだ、人って簡単に殺れるんだな。はははっ、ちょろいなぁ」
薄い唇が、狂気の色に歪む。緊張が解けたような、吐息の混じった小さな笑いを混じらせながら芥は辰巳に話を続ける。
「なぁ、辰巳さんよ? 何されたかも分かんねぇだろ?」
「……」
「そうだよな、なんにも分からないよなぁ?」
後頭部に銃を突きつけられたまま、辰巳はぼんやりと浮かぶ凧を見つめている。未だに頬を伝う紅い血には意も介さず、両の手を挙げて、
その端正な顔を、綻ばせる。
「"凧 "と"
芥の笑い声が止む。難しい問題を解ききったことを、兄に自慢する弟のように、辰巳は楽しそうに言葉を紡いでいた。
「瞬間移動については聞き込みの段階で予想の一つでした。問題は、その手法。正直さっきまで分かりませんでしたが、この傷と盗られた銃が決め手でしたね」
己の得物がそこに在る事を確かめるように、わざと頭を後ろに傾ける。
「どちらも、凧とあなたがいた場所を結ぶ直線上で起きたことなんです。それなら、きっと見えていない“凧糸”が原因なんだなって思ったんですよ」
辰巳の推理に優花も思い当たる節がある。
芥が手を動かしたとき、僅かに辰巳の輪郭が揺らいだ気がしたのだ。目の錯覚だと思ったのだが、揺蕩った細い凧糸が見えた、と考えれば分かる気がしてくる。とはいえ、遠くから見ていた優花も、僅かな視界の"ブレ"で見ることができたぐらいだった。とても細い凧糸なのだろう。
「僕が手を挙げても、糸らしい物には当たらない。推測ですが、糸はあなたが持っていますね? "凧糸"を"凧"に結びつけることで、"瞬間移動"の魔術を発動できる。違いますか?」
「……」
返事はまるでない。フードの端から見える芥の顔には、明らかな焦燥が映っていた。当然背中を向けている辰巳には知るよしもないのだが、この沈黙を是と受け取ったらしい。
「より詳しく言えば、"凧と糸のある場所に自由に現れる"魔術でしょうか。そう考えれば、ひったくりの手口もおおよそ見当がつきます」
「……言ってみろよ」
銃口を向けられているのは依然として辰巳の方である。しかし、実際に追い詰められているのは芥の方に見えてしまう。おかしな状況だった。優花も固唾を飲んでこの状況を見守る。
「風で"凧"を飛ばし、その後に"糸"を結びつける。そして、"糸"から手だけを出して、狙いの荷物をひったくる。後は単純、屋上などの死角になる場所にすぐさま転移した、と、さしずめそんな所ですかね?」
「……はっ、なるほど。見る目はあるんだな。正解だよ」
あっけらかんと真実を告げる芥。真相を言い当てられた事に僅かながらに苛立ちを見せるが、すぐにその顔には笑みが戻る。
「でもな、それが今分かってもしょうがないよなぁ!? 今もうお前は絶体絶命。どうだよ、素人に殺される気分はさ!」
「どうって、別に何とも。こんなの死線の内にも入りませんし」
「強がるなよガキが!」
怒りにまかせて銃口を辰巳の後頭部に当てる。見ている優花の方がひやひやする場面で、辰巳は涼しい顔をして溜息をついていた。
見ていられない――油断している今が好機と捉えた優花が、駆け出そうとした矢先、
「女、見えてるからな!?」
「――ッ!」
芥の言葉に射貫かれて、優花の足が止まる。あそこに行くまでに、間違いなく銃弾は辰巳の頭を貫くであろう。迂闊に動くことはできなくなってしまった。
そんな状況でも、辰巳本人は小さく笑っている。
「大した覚悟もないヤツに、銃は撃てません。はした金目当てで狡いことしている素人には特にね」
「……は?」
「だから、『あなたに僕は撃てません』って話です」
「は、はぁーー!?」
ひょうひょうとした態度を崩さない辰巳と、わめき散らす芥。
芥の顔には、滝のように冷や汗が流れ続けている。僅かに震える体からも、銃を持っての緊張は感じ取れる。しかし、その血走った目からは、『撃ち抜いてやる』という覚悟が見て取れる。辰巳は何かの意図があって挑発をしているのであろうが、このままでは本当に打ち抜かれてしまう――。
「抜かせ! 撃てらぁ!」
芥は、荒くなる息を吐き出しながら整えていく。辰巳を撃ち抜く覚悟を決めようとしている。
辰巳は微動だにせずにただ前を見つめながら、「優花さん」と名前を呼ぶ。
「覚えておいてください」
「おい、喋るな!」
「敵は、追い詰められると最終手段に出る物です」
「黙れぇ!」
痺れを切らし、臨界に達した芥が、引き金を引く。その重みに答えるように、撃鉄は落とされて――
カチッ、カチッ……
気の抜けた音が続けて聞こえる。優花も、芥も、その光景に驚いていたが、ただ一人、大きく笑う少年がいた。
「言ったじゃないですか!」
笑い声の主――辰巳は、振り返ると同時に裏拳で銃を持つ手をはたく。
手汗で濡れた銃は弾き飛ばされ、そのまま優花の足下まで滑ってきた。
「あなたに僕は撃てませんって!」
呆気にとられている芥に向かって、辰巳は蹴りを放つ。蹴られた腹を押さえて呻く芥は、追撃に繰り出される蹴りを押さえ込むように手を広げると、姿を消す。
今度は優花も見て取れた。芥は"凧"に既に張り付いている。息を荒くしながら、逃げ切ったことに安堵する芥の姿。ここまでは、先も見た光景だった。
蹴りの空振りを認めた辰巳は、すぐさま後ろを振り返る。その左手にはもう一丁の拳銃を持っている。
凧に張り付いて呼吸を整えている芥に向けて、迷いなく発砲した。
「うぉおおお!?」
絶叫と共に芥は風を生み出して弾丸から凧を反らす。紙一重で回避した物の、もし気づくのが遅れていたら弾丸は芥の肩を撃ち抜いていたであろう。
そう、車内で聞いていた優花は知っている。――辰巳は、二丁拳銃を用いて戦うと言うことを。それでも、"装備の魔術"を用いて一瞬のうちに手の上に現れた拳銃には驚いてしまった。
何も知らない芥の動揺はそれ以上であろう。命の危機から間一髪で逃れたことも相まって、息も荒々しく、芥は怒号を漏らす。
「てめぇ、図ったな!」
「ひったくり犯を相手にするんですから、これぐらいの備えはしますって」
左手に握った銃を向け、銃口越しに会話を繰り広げる辰巳。
芥の顔は憤怒の色に染まっていく。真っ赤に染めた顔から、ありったけの殺意を見せていた。
「こけにしやがって! お前らはぶっ殺す!」
「おや、いい目になりましたね」
そんな芥を見て、辰巳は僅かに武者震いをした。
これから巻き起こる戦いに向けて、全身から溢れる悦びを隠すことなく向けている。
大きな目はじっと芥を見つめている。獲物を見つけた肉食獣のように、待ちわびた玩具を買ってもらった子どものように、無邪気ながらも戦闘への悦びを全身に表していた。
「それでこそ、狩り甲斐があります」
未だ溢れる血を空いた右手の親指で拭い、その血を舐める。
鮮血で塗らす口元は、妖しく歪んでいた。
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